...

 「ありがとう、ござい、ました」

レオが、小さく呟く。


 いや、その、ぼくこそ、醜態を、晒しました…


 「かわいっすね」


 は?


 「声、」


 はぁ、


 「ヤベ、てなって、一瞬、足、とまりました」


 はぁぁぁ?


 「あ、ジョーダン、す」

レオは真顔を崩さない。どこまで冗談なのか怪しくて、なんとも形容しがたい気持ちになる。

 「……、」

 「……、」

 レオは、終始、ぼくの方を向くことなく、ただ、陽を眩しく返す海を見ていた。

 ぼくも、となりで膝を抱えて、海を見る。


 ほれてくる波の壁が陽を透かして、

 透明な青にキラキラ輝く。


 きょうこの日にしか上がらないこの波を、ふたり、並んで無言で見つめる。


 「あざした」


 こちら、こそ?


 レオは最後にまたそうポツリ、呟くと弾かれたように、カイトさんの待つ方へ駆けていってしまった。


 きのう見たレオの表情かおを、ぼくはきっと忘れなくちゃいけない。


 レオはきっと、それを忘れたい。


 背中の傷はもうみんなの目に馴染んで、ここでそれを気にする人はほんとうに、いなくなっていた。




 きょうもまた、

 波に巻かれる。


 ぼくだけじゃない。


 新しいボードで横に走る練習をはじめたレオも、しょっちゅう波に弾かれて巻かれている。

 小山先生も、ネコも、天さんも、ほれ上がった波にのりそこねれば巻かれて、なに食わぬ顔でまた沖へ向かう。


 波に、

 透明に発泡する海に、

 巻かれるたびに

 ぼくたちはいらないものを、

 海にとかす。


 そうやってぼくたちは、

 日々を繋いでゆく。






 いったい…


 どんなに練習を重ねても、夜には筋肉痛が襲ってくる。

 「だっせ! だっせ!」

その日もネコはぼくのベッドに我が物顔で侵入し、楽しそうにぼくのお腹やら腕やらにのっかってきた。

 「うひゃひゃひゃ、」


 ちょ、痛いんですけど、押さないで! …てっ!


 ポロリ、ネコのでっかく開いた口からなにかが落ちる。


 え! え! ちょっと待って! ちょっと!


 思わずネコを抱き起す。転げ落ちたものを拾い上げて、


 うっそでしょ!


 ネコの歯が、抜けた。





 「あ〜、乳歯ね」


 はぁ、にゅうし…、は? 乳歯⁉︎


 夜の医務室で、ぱっかり開けたネコの口を、谷川先生が覗き込んでいる。

 「最後のやつ、抜けたね。大人の歯が生えてきてるよ。よかったね!」

「おぅ!」

 塩水でうがいをして、

「ババァにみせてやる」

ネコは抜けた歯を大切に、谷川先生にもらった小さなケースに入れている。

 「もう、虫歯になっても生えてこないからね。ハッ! ネコちゃん、まさか、歯磨き、浩太くんにやってもらってないよね!」

 ネコは、

「しらねえよ。」

などと突っぱねているけど、


 あ、すみません…


 ぼくは思わず視線を彷徨わせてしまう。

 「ダメじゃん! 歯磨き、しっかり教えてあげて!」


 え、ぼくですか?


 そう、谷川先生は真顔で、『こども用』と印字された新しい歯ブラシをぼくに渡してきたのだった。

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