...
そう思うのに、別の感情が、
ぼくを捉えて離さない恐怖が、
湧き上がるのを抑えることができなかった。指先から震えが、全身に広がってゆく。
ごめんなさい、ぼくが、
レオを、
抑えておけなかったからっ、
小山先生にナイフが刺さったのではない。きっと、咄嗟にレオが躱した。
けど、結果、小山先生にナイフを向けてしまったレオは傷ついたかも知れない。
どうしよう、ぼくのせいだ。
「大丈夫、なにもないよ。浩太くん、大丈夫。だれも怪我なんてしてないし、なにも悪いことなんて、起きてないから。心配しないで」
小山先生の声。手を握ってくれているのはたぶん小山先生だ。諭すようにそう、ゆっくり聞かせてくれる。
「…なさいっ、…っ、なさいっ、」
嗚咽を上げて泣く、レオの声も。
泣いてるの?
レオ、
なんで、
大丈夫?
泣かなくていいよ。大丈夫、て、小山先生もいってるよ?
そうレオの手を掴みたいのに、身体が冷たくなって動かない。
「いま、谷川先生、来るから」
抱きしめるように身体をさすってくれる天さんの大きな手は温かいのに、身体はどんどん冷えてゆく。
歯がバカみたいにガチガチ鳴って、
底の見えない闇に思考が落ちてゆく。
愛がないから、
お前の愛がないから、
彼の手を、
掴んで抑えてやれなかったんだ。
愛がない。
価値がない。
人間としての、
「浩太くん、大丈夫、大丈夫よ。ちょっとびっくりしちゃったね」
駆けつけてきた谷川先生が毛布をかけ、チューブの薬を握らせてくれる。
また、この薬…
薬物中毒みたいだ、ぼく、
これがないと生きていけないみたいだ、
別の恐怖にまた震える。
飲みたくない、それ、飲みたくないっ
必死に首をふる。
「そか、わかった、いいよ。大丈夫、深呼吸しようか。ゆっくり、」
「コータぁ!」
ネコ…? なんで、雪さんと、
「ネコちゃん!」
「だめよ! ネコちゃん!」
ネコの声に、寮母さんの声が追いかけてくる。
ネコ、ちゃんと、雪さんとお風呂…もう、寝る時間…、
ネコの姿を探したいのに、目は一点を捉えたまま、動かない。
「ネコは寮に戻れ! 大丈夫だから! ダメだ! 戻れ!」
珍しく、焦る天さんの声がする。
「ネコちゃん、戻りましょう、」
「やだ! やだ、コータ!」
大人たちの手を躱して、かまわずネコが、
「ゔっ、」
うずくまるぼくのお腹に例のごとく頭からタックルを決めてきた。勢いでそのまま仰向けに倒れ込む。
「コータ! コータ! しなないでっ、やだよ! やだよ!」
いや、死なない。ごめん、死なないから。けど、
ネコが首元にのしかかってくるから、
ごめん、いま現在、けっこう命の危機かも…くるし…
「ちょ、ネコ! どけ! コータがマジで死んじまう!」
「コータぁぁ!」
「ネコちゃん!」
「浩太くん!」
ネコの泣きじゃくる顔に、
ぼくの頬を鷲掴みにしてくるもみじ饅頭みたいな手に、
落ちかけた思考が浮上する。
波に巻かれた海の中みたいに、
ブワッ、と、光が溢れて、
いま、目の前の現実に意識が引き戻される。
「大丈夫か…? 生きてるか? コータ…」
ネコを無理やり剥がしてくれた天さんが顔を覗き込んでくる。
はぁ、なんとか…
咳き込むけど、もう、震えはとまっていた。
「ネコサン、すげぇ…」
よかった。
レオも泣きやんでくれたみたいだ。
ネコはまだわんわん、泣いてるけど…
「コータ、ありがとう、な」
起き上がるのを天さんが支えてくれて、そう、わしわし、頭をなでられる。なにが、て、視線だけ向けるけど暗くて表情はわからない。
「ずっと、レオの手を、離さないでいてくれた」
掠れた声で、安堵したように大きく息をつく。
いや、けど、ぼく、
「想いを、」
レオの腕を、
「離さないでいてくれて」
抑えきれなくて…
「助かった」
「コータがいてくれて、よかった」
「うわぁぁぁぁ、コータぁ!」
うっお!
ネコを抱き込んでいた小山先生がなにかいいかけたのか、その隙をついて、
「あ、ネコ、」
あ〜、
ネコが突進してくる。それをこんどはしっかり受けとめて、
ごめん、大丈夫、ごめん。
しっかり、抱きしめる。
現場はもう、ストーカーどころのはなしでは、なくなっていた。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてようやく、みんな当初の目的を思いだしたのだった。
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