...
「吐き気がする」
小山先生の平手が、思い切り男の頬を張り飛ばしていた。
「力で抑え込もうって、オレはてめぇをぜってぇ、許さねえ」
男は頬を押さえて咳き込んでいる。
小山先生の口端が、微かに吊り上がる。
「オヒキトリ、クダサァイ」
静かな、けど、完膚なきまでの拒絶。
「こっの…」
男が怒りか屈辱かに震えて身体を起こしてきた。
「調子乗りやがって、偽教師がぁ!」
男が怒鳴るのを、小山先生は意地の悪い目で見据える。
「しばらく、大人しくしてもらうわ」
息を飲む。
悪い顔だ。
小山先生の、明らかな挑発だ。
ぼくは周りに目を走らせる。
仕組んでいるはずだ。
挑発して男から引きだすつもりだ。
しばらく社会からお引き取りいただく理由を。
天さんもなにかに気づいたのか、向こう側で様子を静観している。
「こい、つっ、」
「……っ、」
男が小山先生を乱暴に抱き込みの車のドアを開ける。
「やっ、」
小山先生が声を上げる。
男がのしかかるように小山先生の小柄な身体を後部座席に押し込もうとしたそのとき、
ザッ
……!
レオが地面を蹴り飛びだした。
レオ!
だめだ、レオ!
背中から抱き込むように抑え込む。小さく舌打ちが聞こえる。
「やめっ、」
切迫した叫び声が上がる。
「「小山さんっ!」」
瞬間、藪から飛びだした影は二つ。
「天くん⁉︎」
天さんと、
「暴行未遂現行犯、逮捕」
平井巡査だった。
小山先生の目的はこれだったのだ。
じぶんを呼びだした男を挑発して暴行に持ち込み、現行犯逮捕。
呼びだされたときに、平井巡査に連絡していたのだろう。
小柄な体躯を守る術を持って、生きてきたのだ。
終わった…
安堵してレオの手を引く。
が、
「ひっ!」
男が声を上げる。
え?
掴んだままの腕の先、
レオ…⁉︎
レオの殺意は、なんら変わらず、
そこにあった。
ぼくに抑えられながらも、飛びだそうとした戦闘体勢を変えない。
「麗央くん!」
男の悲鳴に、小山先生がこちらをふり向いて目を丸くする。
「なんで…、なんで、ここにいるの⁉︎ 浩太くんも、」
顔色が、目に見えて変わる。
「ごめんなさい、小山先生。心配で…探しにきちゃいました」
「天くん…、」
小山先生は一瞬、痛そうに顔を歪めた。(ほんとうに一瞬で、ぼくの気のせいだったのかもしれない)
けどすぐにいつもの、柔和な、けど少し困ったような笑みで、レオに、いや、レオの持つそれに、手を伸ばす。
「ごめんね、もう、大丈夫だから。麗央くん、…麗央くん?」
レオ?
レオは、小山先生を、
見ていなかった。
レオの瞳は冷たい。
揺るがない。
震えている獲物を見据えて、
動かない。
なんの情動も、
なんの感情も、ない。
獲ると決めたもの獲る。
ただ、それだけ。
「レオ、もう大丈夫だ。戻るぞ。」
天さんの声にも
レオの瞳はまったく、揺れない。
レオ…?
まったく、声が
ぼくたちの声が、
届いていない。
オレが。
オレの手が、
確実に、
その息の根をとめてやる。
二度と、
大切な人に、
大切なものに、
触れないように。
ぼくにはとめられない。小山先生に助けを求めて視線を投げる。けど小山先生はもう声が届かないと悟ったのか、じっと、レオの動きを見守っいる。
きっと、
同じ瞳をしていたに違いない。
母親を、
妹を、
守るために。
中学生のレオは。
同じ瞳で、
父親を、
天さんも、小山先生が黙ったのを見て、なにもいわずに、レオの動きを見守っている。
レオの凶悪な、
それなのにその奥にまだ
まっすぐにしかものを見ることができない
あどけなさの残る目が、
男を見据える。
レオは決して身体が大きな方ではない。ネコとまでいかなくとも、きっと幼い頃からの栄養不足が祟って平均より小柄だ。
そのレオが、成人男性一人、致死的な傷を、しかもじぶんも背中にあんな傷を負った状態で、負わせることができたのだ。
『プロだ』
そう、天さんのことばを思いだして、レオの腕を掴む手に、力が入る。離したら最後、レオは確実に男を狩る。
レオ、ねぇ、レオッ、
ぼくはまだ大人じゃないから、
小山先生や天さんみたいに先のことを読んでものを静観するなんて、できない。
必死にレオの腕を引く。
けど、
レオには男しか、見えていない。
大切な人を傷つけた男。
『おかえり』
そう迎えてくれた唯一の人を、
汚そうとする、
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