...

 ぼくが波に巻かれるのを見て笑うネコと、一緒に、波にのりたかった。

 部屋に戻ればネコがテイクオフの特訓? をしてくれていた。タイミングのイメージトレーニングと、スタンスの確認と。なかなか視線が上がらないぼくが、前と上を向く練習。

 が、

 「つきちゃん!」


 ちょっ!

 鼻先のニンジンてやつか⁉︎


 立つ瞬間にネコが真顔で月子さんのクラス写真を掲げてくるから、たしかにとっさに顔は上がったけれども! それは一回でやめさせた。


 それに、慣れてしまえば波に巻かれるのは苦ではなかった。三半規管がどうかしそうになるけれど、

 巻かれる瞬間に見える、

 波の中でキラキラ

 光が弾けるのと、

 透明な波の向こうに広がる

 ソーダ水越しの青空が、

 ぼくは気に入っていた。


 巻かれるたびに、

 いらないなにかがひとつひとつ

 海にとけてゆくようで、

 そうして、少し、

 空に近づいてゆく気が、していた。




 ネコは生姜焼きを持て余して箸でつついていたけど、終いにデザートのプリンに手をだしはじめた。


 ネコ? まだぜんぜん、食べてないよ?


 海に入れなかったのだから、テイクオフの練習をもっとしてもよかったかも知れない。

 この様子だと夜も眠れないかもしれない。部屋でもう一度、練習するかな…て、

 「もっと、くう」

ネコがぼくのプリンにまで手を伸ばす。


 あれ? 食欲がないわけじゃないの?


 「ん〜、でかい、これ。」


 でかい?


 ちょっと齧っただけの生姜焼き。いつもなんでも(寮ではナイフとフォークがでない。ネコは箸をまだうまくは使えないから、)かぶりついて食べていたのに。

 一口サイズにしたら、食べる? ネコの皿を取って箸で切り分けようとして、

 「お、なんだ、ネコ食ってないの?」

天さんと雪さんが食堂に入ったきた。


 しまった、入れ替えの時間だ。


 天さんが焦るぼくの顔を見て片眉を上げた。

「そんな顔すんなよ。おばちゃんに、お弁当にしてもらいな?」


 え、


 「わかんないことは、だれにでも訊きな? そのための、寮だから。」


 あ、


 そんなことを、すっかり忘れていた。ぼくは小さく頷いて、二人分のトレーを手に席を立って、けど。

 「はは。じぶんの食事くらいじぶんで持たせな〜。甘やかしすぎ!」

天さんさんの声が追いかけてきた。


 「あらあら、ネコちゃん。おばちゃん、気づかなくてごめんね」

 カウンターにトレーを持っていくと、寮母さんはすぐに生姜焼きを一口大にしてお弁当にしてくれた。

 「七時までには、食べさせてあげて?」

ネコではなくぼくに手渡してくる。


 え、ぼくですか?


「あと、柔らかいの、ご飯じゃなくてマッシュポテト、入れておいたから」


 はい…柔らかい…?

 え、まさか、ネコ、虫歯?


 心配になるけど、

 「いま、く、う〜っ!」


 いやいや、もう入浴時間だから。


 お弁当に喜んでるネコに、歯が痛そうな素振りなんてない。


 あとで、見てみるか。


 寮母さんにお礼をして、腰をふりふり謎のダンスで喜びの丈を表現するネコの手を引っ張り食堂をでた。




 「ふろ、ふろ〜、しょうがや、き〜」


 あのアンニュイな様子は演技だったのか⁉︎


 て、くらいご機嫌に、いまだ謎の小躍りをやめないネコを連れて四階へ上がる。と、

 「お、風呂か。」

巡回していたらしい井上先生とすれ違った。


 あれ?


 「波乗りできなかったからって、風呂で泳ぐなよ? はっはっ」

(海に入った日もお風呂で泳ぎまわっているのを、井上先生は知らない)


 いや、あれ? きょうの宿泊、小山先生じゃ…


 「ん? オレだよ? 小山先生はボードロッカーで点検してたな。もう、帰ったんじゃないか? あの大先生も神奈川に戻ったしな。……なんだ、心配か?」

井上先生はぼくの頭をあやすようにポンポン、と、叩いた。

 「大丈夫だ。小山先生は、あんなのにやられるタマじゃねぇよ。はっはっ。あ、浩太っ!」


 嫌な予感がする。


 それが、問題なんじゃないだろうか。


 わざわざ三年生が張り込みをしていたのは小山先生が心配、てより、小山先生が不埒なヤツに手を挙げないか心配、て、ニュアンスだった。


 苛立ちを空気にぶつける月子さんを目の当たりにしたあの、小山先生の瞳を思いだす。


 きのう、


 『こんな思いはもう、させない』


 そう、海を見ていたあのときと、同じ瞳をしていた。

 しかも、だ。小山先生がいないなら、レオだって心配だ。


 井上先生に返事もせず、ぼくは一段飛ばしで階段を駆け降りた。ネコがぴったりくっついてくる。お風呂はあとだ。

 「わっ!」

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