...

 「大丈夫だよ、月ちゃん。もういなくなったから」

冴子さんが必死に宥める。

 「つきちゃん、」

ネコも心配そうに、もみじ饅頭を月子さんの膝にのせて顔を覗き込んでいる。

 「あら、練習は?」

谷川先生がホットミルクを持ってきてくれたタイミングで、ユウトとレオが寮に戻ってきた。

 「月子先輩…?」

心配そうに応接室を窺っている。

「ありがとう、大丈夫だよ。二人とも、練習は?」

冴子さんがさりげなく、一年生の視線から月子さんを隠すようにふり返った。

 「あの、きょうは危ないからって、もう寮に戻れって。」

そういうユウトの声に、戸惑いが滲みでている。

 月子さんがイラつく原因も、カイトさんが危ないからっていう意味も、わからずただ困惑しているようだ。


 知らないんだ。ユウトはなにも…


 入学式にはいたものの、図書室組みのユウトには、式の夜になにがあったかなんて、伝わってないんだろう。

 「不審者情報が、あったのよ」

谷川先生が説明すると、ユウトは目を丸くした。

「ええ、レオくん、知ってた?」

レオが小さく頷く。

「なんだ、知ってたなら教えてよ! 天先輩たちは大丈夫かな。まだ学校だよね…、」

 「はいはい、大丈夫ですよぉ?」

「わっ!」

「心配してくれたのぉ?」

学校から無事帰還(寮まで数十メートルだけど)戻ってきた天さんと雪さん、と、

「小山先生、」

小山先生が応接室に顔をだした。

 「月子さん、もしかして、なにかされた…?」

月子さんの様子に、小山先生の顔色が変わる。

 「あ、大丈夫です。手をふってきたのが、ちょっと、その、」

冴子さんがいい淀む。けど小山先生にはわかったようで、痛そうに顔を歪めた。

 俯いて、床の一点を見つめている。その瞳を見て、


 小山先生…?


 漠然とした不安がすぎる。なにか、いわないと。いや、いえないんだけど。そう、ぼくが立ち上がろうとして、

 「小山先生も、きょうはもう休まれたほうがいいですよ。」

寮母さんが声をかけてくれた。

 小山先生が、ハッ、としたように顔を上げる。

「ありがとうございます。そうします。谷川先生、よろしくお願いします」

小山先生はそう、軽く頭を下げると応接室をあとにした。

 その、後ろ姿を見送る。顔を上げると天さんも黙ったまま、小山先生の背中をじっと、見ていた。


 それでもぼくはまだ、小山先生が寮にいることに安心していた。

 この時間に寮にいるなら、きっときょうの宿泊は小山先生だ。寮にいれば安心だ。家に帰るより。

 あの男が駐車場から去ったとはいえ、まだその辺をうろついているとも限らないのだ。入学式の日のように。

 レオもここにいる。ユウトと。

 

 レオも小山先生も、寮にいれば安心だ。だってみんな、そばにいる。


 ぼくたちの気持ちを掻き乱すものは何人りたりとも侵入を許されない。


 たかが県立単位制高校分校の小さな寮。


 けど至大寮はきっと、ぼくたちにとってそんな場所だった。




 「なんで、だめなの?」

 カイトさんに寮に戻された理由が、ネコにはいまいちわからないようだった。夕食の時間になっても、うじうじと元気がない。

 けどそこは仕方がない。男がうろついてるかも知れないとして、生徒にも危害が(間接的にはもう十分、受けてはいるんだけど)及ぶかも知れない。人質だ、て、ネコなんて片手で持ってかれてしまいそうだ。


 人攫い警報がでてるから。


 「ふぅん?」

ネコはまだよくわからない、というふうに大きくとられた食堂の窓から、海を見ている。

 きょうの夕食は生姜焼きだ。ネコの好きなメニューのはずなのに、箸がまったく進んでいない。

 海に入れなかったからか、

 月子さんが心配なのか、

 周りの緊張した空気のせいか、

 ただ、いつもほど身体を動かしていないからか。


 「うみ、はいりたかった」


 それは、ぼくも、入りたかったよ?


 すっかりしょぼくれたネコの、頬から頭からなでて機嫌をとる。

 寮に来て海に入らなかったのは、あの、海が荒れに荒れた屋上事件の日、以来だ。


 傾きかけた陽が、きれいな夕焼けになり、海の色を変えてゆく。きょうもよく晴れていた。天さんのゆう、海日和だった。


 いまだ空を仰げないぼくは、

 空を映してキラキラ、

 透明なアオに透ける海を見ていたかった。

 海に入る時間が削られるのは、残念だった。


 結局、いまだテイクオフすらできないのはいつの間にかぼくだけになっていた。

 「もしかして、ボディボードとか、いいんじゃない?」

小山先生が提案してくれる(実際、波の高い日は、月子さんや冴子さんはボディボードを楽しんでいて、それも楽しそうだった)けど。

 どうしても、

「へたっぴだな!」

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