...
殴られているそのときには、
思わなかったのに。
家から離れたいまさらになって、
遠くにぼんやり、
お腹を父親に蹴り上げられて吐いている中学生が見える。
息が苦しくなる。
こわい…こわい…
「こわかったな。こわかったんだよな。コータも」
天さんの大きな暖かい手が、震える背中をさすって肩を抱いてくれる。
「レオの父ちゃんがその日、なにをしたのかは知らない。オレが聞いたのは、手を挙げた父ちゃんが、母ちゃんと妹を庇ったレオの背中を斬りつけたこと」
小さな背中には大きすぎる傷。
レオが隠そうとして、
天さんが隠す必要なんなない、て、
包んだ傷。
「レオは母ちゃんと妹とじぶんを守るために、父ちゃんを、刺した、ってこと」
小さな少年が身体ごと、
父親の腹に食い込む。
刃物を手に、
「そのあと、レオは鑑別所だ」
凶悪な目にきっと、
なんの感情ものせず、
「オレが知ってるのは、ここまで。雪が卒業してこっちに来ちゃったしな」
その向こう、お腹を蹴り上げられた別の少年が身を起こしざまに手に握るナイフを父親の腹に食い込ませる。
予想していたような血が噴きだしたりはしない。
上手く刺せなかった? キッチンナイフなんかではダメだった?
父親の、怒りに歪んだ顔。
ナイフを引き抜いて、拳を、
ヒュッ
喉からおかしな音がでて、その瞬間、震えるのを抑え込むように天さんに抱き込まれた。
「大丈夫、大丈夫だ。心配すんな。レオの父ちゃんも、お前の親父さんも、もう、いねぇよ?」
いない…?
「いねぇよ」
そ、うか。
いない…
もう、大丈夫だ…もう、
ポケットに入れている頓服を飲む。ゆっくり、呼吸が落ち着いてくる。
「ごめんな、こわかったな。ごめんな。悪りぃ、……オレも、こわいんだ」
こわい? 天さんが?
もう、大人の天さんが?
顔を上げても、天さんの表情からはこわいなんて感情はどこを探してもない。
ただ、まっすぐ、暗い海をまっすぐ、いや、もっと遠くを見据えている。
まっすぐ。闇から守るようにぼくの肩を抱き込んだまま。
「もしレオが小山先生を特別に思っているとして、」
『おかえり、て、いってくれたから』
『ヤバいよ、あの子』
「小山先生に手ェ出そうとするヤツを見たんだとしたら、」
その特別はきっと、
好きだとか、
惚れているとか、
そういう類のものを超えている。
「レオはまたきっと、同じことをする」
きっと、レオはそれしか知らない。
大切なものを守る術を。
仕方がない。
レオの周りには、
それしかなかったんだ。
「レオはプロだ。レオがそうと決めればヤツは一瞬で海の藻屑だ。小山さんに付き纏うヤツがどうなろうとかまわない。けどレオは別だ。レオがまた人一人殺して、」
左肩と胸の間、心臓の少し上、
天さんはグゥッ、と、右手をそこに押しあてる。
「傷つくなんてのは、違うだろ…なぁ、それは、」
見える傷と、
見えない傷と、
ぼくはなにも、返すことが、
できなかった。
ただ頬をなでる緩い海風と、
遠く、波の音と、
天さんはしばらくそうして海を見つめていたけれど、
「ありがとな、聞いてくれて」
そう、頭をまた、なでてくれた。
聞けてなんかない。
なにもいえなかった、だけなのに。
「ありがとう」
ぼくは小さく頷いて、
ぐぐぅ〜…
あ、
あわてて、お腹を押さえる。
「あれ、いまの、コータ?」
あ、ごめんなさいっ、その、
カァッと、耳まで熱くなる。
天さんの手にすっかり気が抜けてしまったんだ。
すみません! いま、大切なはなしでしたよねっ…
「ぶっは! ちょっと、コータ、大事なとこ!」
天さんは笑いがとまらないというふうに、バンバン、ぼくの背中を叩いてくる。
「まぁ、まぁな? 腹、減るよな。練習あったしな? 飯だ飯! コータ、」
はい…
「レオを、頼むな」
え、
「きっと、お前になら、レオははなすから」
いや、それはないかと…
「オレはつい、こう、口がでちゃうからさ。」
ガシガシ、天さんが大人みたいに頭をかく。
「レオはなにも口からはでてこないかも知れないけどさ、となりに来たら、聞いてやってよ」
なにかはなされたとして、
ぼくはなにも返してなんてあげられない。
いま現在、天さんに気の利いたことば一つでてこない。
「黙って、となりに、いてやるだけでいい。あいつにはそれが、必要なんだ」
ごめんなさい。
けどぼくは、もう、
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