...
「一応、公務員なのにさぁ…。で、三年で先生んち、たまに様子見にいってるんだよ。本人は気づいてないけど」
気づいてないんだ…
「きょうはとくに、な」
それ、レオのことですか…?
「レオはまだガキだ。そういう意味で手はだせないよ? マジでやっかいなのは、大人だから」
じゃぁ、
「お前、見ただろ? きょう。駐車場の白いプリウス。川崎ナンバー」
息を飲む。顔を上げると、天さんが小さく頷いた。
「あれ、あの車。入学式の夜に、小山先生連れ去り事件起こしてんだよ」
緩い宵の空気の中を、ゆっくり、寮へ向かう。
荒れたアスファルトにサンダルが、ジャリジャリ、音を立てる。
ショップの前では、カイトさんがちょうどお店を閉めて帰ろうとしているところだった。子ども用の椅子を前と後ろにつけた電動ママさん自転車を引いている。
「揉めてたね。」
ぼくたちを見て、はは、て、小さく笑う。
「声かけたんだけど、スルーされちゃったよ」
「はは、悪りぃ。たぶん、小山さんで頭がいっぱい」
天さんとカイトさんは、タメ口ではなす。
カイトさんがタバコをだすのも、天さんの前だけだ。
これは大人のはなしってやつだ。
ぼくは少し離れて、お店の向かい、用水路の柵によりかかってふたりがはなすのを聞いていた。
「あの子さぁ、家族、いないの?」
天さんはなにもいわずに、ただ肩をすくめる。
「はは。…きょうさぁ、訊いちゃった。小山さんのこと、好きなんでしょ、て。小山先生、男だし歳上だし、ハードル高いんじゃない? て」
「ハッ、積極的。」
「けどさぁ、レオ、ピンときてないみたいで、なんだコイツ、みたいな目ぇされちゃったわ」
「……だろうね」
「じゃぁ、なんでそんなに小山先生にくっついてんの? て、訊いたらさ、なんつったと思う?」
「……なんて?」
街灯にぼんやり浮かぶ天さんの顔は、もう、笑っていなかった。
「おかえり、て、いってくれたから」
『おかえり』
小山先生はそう、いうのだ。
寮の戸を、はじめて叩く子どもたちに。
すべておいてきたくて、
それでもおいてこれなかったものまで
包み込んでくれるような、
温かい笑顔で。
『おかえり』
ぼくの、
あの日も、そうだった。
「だってさ」
「……そ、か」
「それしかいわなかったから、オレの想像だけど。家族、いないのかな、て。多いじゃん、ここの子。あ〜…タカシもだけど」
「いないわけじゃねぇよ?」
「あぁ、悪り…」
カイトさんは最後に、ふうっ、と、大きく煙を吐きだすと、顔を上げた。ぼんやり宙を見つめる瞳に膜が張って、古い街灯の灯りがキラキラ、映る。
「オレ、あの子のこと、誤解してたわ」
「……ふぅん?」
「オレらが考えてるより、少なくともまぁ、オレが思ってたよりずっと、」
ゆっくり、カイトさんの目が焦点を結ぶ。天さんと視線がぶつかる。
胸が騒つく。
「ヤバいよ、あの子」
「家族がどうかは知らないけど、」
カイトさんとわかれて寮へ向かいながら、徐に天さんが口を開いた。
「父ちゃんは、いないんだ」
突然で、思わず顔を上げる。暗がりの中で、天さんの表情からは、なんの感情も読み取れない。
「レオが、殺した」
は?
「たしか中一。雪が中三のとき。レオが、包丁かなんかで」
天さんは調子は『離婚したんだ』程度のはなしかと勘違いするほど、なんの抑揚もなかった。
「ちょっとだけニュースにもなってたかな。知らない? 横浜の、中学生が父親殺しちゃった事件」
湘南の田舎にいたまだ中学生のぼくには、そんなニュースは届かなかった。
首をふることもできなくて、ぼくは目を見開いたまま、もう足をとめて固まっていた。
震えていたのかもしれない。
ようやくそこで、天さんは、はは、て、小さく笑ってぼくの背中をさすってくれた。
「悪りぃ、こわいはなしだった? レオは悪くねぇよ。わかるだろ?」
それは、わかっていた。
知り合ってまだ一ヶ月も経ってないじゃないか、て、いわれたらそれまでだけど。
愚直だ、て、危なっかしいほどまっすぐでまじめなんだってことは、理解とはまた別のところで感じていた。
「ニュースで名前はでなくてもさ、同じ横浜だし、中学伝いで噂が広がって、どの中学のだれなのか、もうみんなわかってたなぁ」
そうだろう、
いまは簡単に、
なんだって世の中へダダ漏れだ。
「父ちゃんのカテイナイボーリョク、て、やつがあったみたいで」
父親の…
脚が竦む。
お腹が、背中が、痛い。
吐き気がする。
こわい。
こわいだなんて、
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