...
「いってらしゃいね」
「オレ、きょうひゃくてんとる!」
「……、」
「いってきます!」
「…、す」
「「いってきまーす!」」
寮母さんからお弁当を受け取り学校へ向かう。
学校、て、いっても、寮に併設された小さな建物なんだけど。
きょうから、連休に帰省していた生徒を待つ猶予期間が終わり学校がはじまる。
全寮制とはいってもまだみんなの顔を知っているわけじゃない。
学校にいくってだけで憂鬱で仕方なくて、今朝はネコに叩き起こされた。
もみじ饅頭に引かれて教室に向かう。
潮に風化した校舎は本当に小さくて、寮とはまるで対照的に無機質なコンクリで、夜じゃなくたってお化けがでそうな建物だった。
それでも教室や廊下には先生たちの苦心の跡がそこかしこに見られていて、崩れてきそうな壁には行事の写真やアルファベットの表、図書室からのお知らせなんかがかわいらしく掲示されていた。
各教室のクラス表示まで手作りでデコレーションされている。前の学校に付属していた保育園を、思い出した。
「ようこそ〜! 二年一組〜!」
ガハハ、と豪快に笑いながら教室で迎えてくれたのは井上先生だった。体育科のおじいちゃん先生は、教室に生徒が来るのをだれよりもはやく来て待っているようだった。
「筋肉痛だろぉ」
小さく頷くと、またガハハと愉快そうに笑う。
ぼくは座席表を覗いて、
あ、
ぼくの席はネコのとなり。
それは予想の範囲内だ。
が、
あ?
なんと、一クラスに(一学年に一クラスしかないんだけど)生徒はなんと六人だった。
六人⁉︎
座席表をもう一度、見る。
ぼくのとなりに、ネコ。
月子さんとルームメイトさん…冴子さん。
寮では会わなかったあと、二人…
天井が雨漏りで崩れかけた教室の真ん中により添う、六個の机をふり返る。
と、
「おぅ、おかえり!」
「はよっす!」
「ただいま、じぃちゃん!」
真っ黒に日焼けした上背のある青年と、白い肌とさらにサラサラのショートヘアを白銀に染めた小柄な女の子が現れた。
授業は、数学以外は全学年合同だった。
先生が教科ごとに一人ずつしかいなくて、情報と数学、理科と英語、養護と図書室司書さんは、同じ先生だった。
アルファベットを覚えなおして、
引き算のドリルを解く。
漢字の書き取りをして、
なぜか理科だけは突然むずかしくて昇華やら溶解度だったりする。
ネコはなんど練習してもbがdになるから、一緒に練習する。
白銀の女の子…マナさんはどうやらかなりの気分屋で、カラカラ笑っていたと思うと次の時間には保健室にこもっている。
身長百八十あるだろうかって真っ黒な青年…ジュンくんは養護の先生にべったりで、授業中に保健室から引っ張り戻されていた。
レオは小山先生が担当する国語の間中呆けているし(意外にもほかの授業は真剣にノートをとってるんだけど)、ユウトははやくも教室に入れず図書室避難組だ。
さらにはケンカをはじめる一年生を天さんが愉快そうに煽って雪さんに脛を蹴られている。
なんか…これ、めちゃくちゃなんじゃないの…?
「初日は疲れるよね。」
そんな喧騒の中でいつも健康的な笑顔を向けてくれる月子さんは、陸の上でも天使だった。
指を使いながら必死に引き算のドリルを解くネコの横で、冴子さんとヒソヒソはなしながらときどき小さく笑う月子さんの横顔を、目で追ってしまう。
潮焼けしたストレートのおかっぱを耳にかけて。
片方の耳には二つ、小さな赤いピアス。
大きなパチクリした目を細めて笑う。
目を細めると、クリンとカールした長いまつ毛が目立つ。
笑窪ができて、海にいるよりずっと幼く見える。
放課後、またあのライディングを見ることができるだろうか。
恋とか愛とか恋愛とか、
きっと、
そんなんじゃない。
ただあの舞うようなライディングに惚れただけ。
ただ、それだけだ。
光を散らして波に舞う、
あの姿に。
なんといってもぼくには愛がないのだ。
だれかを想うことなんてできない。
だれかを好きになることもない。
大丈夫だ。
上がりはじめた風がいまにも外れそうな窓を揺らす音を聞きながら、ぼんやり、そんなことを考えていた。
女の子のことを授業中に考えるなんて、はじめてだった。
ひどく、背徳的なことをしているようで、それでも目が離せなかった。
上がりはじめた生温い南風は午後にはひどく海を荒らし、
ドンッ
ドォンッ
波の砕ける音が古い校舎を揺らすほどになっていた。
当然ぼくと一年生は海にはでれなくて。
荒れた波の合間を縫うように走るネコと、それに天さん、小山先生のライディングを、三人でずっと見ていた。
きょうの海に、月子さんの姿はなかった。
「そりゃ、こんな波じゃロングは無理だわ。」
天さんはそう笑っていたけど、なんだか海に月子さんがいないことがひどく落ち着かなかった。
夜になり風がやんでも、一日中風に煽られた波はおさまらず、夜になっても轟音を轟かせて浜に、岩礁に打ちつけていた。
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