...
寮に戻り、庭でボードを水で洗い流す。
「戻ったら、必ずな?」
「…っす、」
「はい、」
「……、」
「で、ボードは、ロッカーに戻す」
「…っす、」
「はい、」
「……、」
「で、きょう、星を見にいくから」
「「「……?」」」
思わず三人、ボードを流す手がとまる。
星?
「星?」
おずおずと、二人をユウトが代表する。
いつからサーフィン部? は天文部になったのか。
「そう、」
天さんはじぶんとネコのボードを戻しながらさも決まっていたことのように話す。
「晩飯の時間。屋上な?」
晩飯は、どうするんですか?
みんなそう思ったに違いないのだけど、この三人に、それを口にできる者は、情けないながらいなかった。
まぁ、いけばわかるかな。
そんなふうにぼくもボードをロッカーに立てていると(ボードが大きいせいかぼくがひ弱なのか、踏ん張らないボードを立てられない…やっぱり波にのる前に難関が多い…)、
「あ、ぼくは大丈夫だよ?」
ネコのボードを天さんが戻すのを見たのか、レオが小山先生のボードをロッカーに戻そうとしていた。
いかに小柄とはいえ、小山先生はネコとは違う。じぶんのボードを戻すくらいじぶんでするだろう。
「…っす、」
「ぼくのボード、軽いから」
はは、て苦笑しながらレオを宥めるのを見ると、小山先生もなんとなく察しているんだろう。
レオは、気づくと小山先生を目で追っていた。
天さんが無言でその様子を見守るのを見ると、きっときのうきょうのことじゃないんだろう。
ライディングに惚れたのか、
それとも、
「ありがとうね」
結局、根負けしたのか、生徒がやりたいならならせよう、て、気持ちなのか、小山先生はボードをレオに渡している。
小山先生のあの海での豹変ぶりにもびっくりだけど、
海に入るためにメガネを外した顔にも、正直びっくりだった。いや、こっちのびっくりは予想の範囲内ではあったんだけど…
メガネを外して、じゃぁいってくるね、なんて笑う小山先生は、
ぶっちゃけ、かわいかった。
柔和な童顔に、メガネでかろうじて教師の堅さを醸しだしていたのに。
それを外してダイレクトにつぶらな瞳でこちらを見上げてくるのに、ぼくでさえ一瞬戸惑う。
小首を傾げてにっこり笑う。サラリ、マッシュボブの猫っ毛が揺れる。健康的な小麦色の肌からふわり、日焼け止めなのか、甘い香りが漂う。
あ〜…
小山先生がシャワーを浴びにいくのについてゆこうとするレオを、さすがに天さんがさりげなく引き戻している。
無口を決め込んでるわりに、意外にも積極的なのか?
無口に変わりないけど、無言の圧がすごい。
けど、けれども、
海で文字通り豹変した小山先生を思いだす。
ほんとうに煩わしいならきっとあの獰猛な牙を剥いて追い払うことだってできるだろう?
ぼくの気にすることじゃない。
子どもじゃない。ましてや女の子でもない。
女の子…
あの子…
ぼくだって人のことはいえない。
天さんに声をかけられるまで、ぼくはあの子に見惚れて、呆けていたわけだから。
見惚れちゃった?
天さんのニヤリ、笑う顔を思いだす。
見惚れちゃいました。
きっと、見惚れてました。
女の子に見惚れるなんてはじめてだから、よくわからないけど。
きっと、「見惚れてた」んだと思います。
「戻りましたぁ〜」
「あ、月子さん」
うわっ!
溌溂とした女の子の声に思わず肩が跳ねる。
あっ!
「あ!」
あぁ〜っ!
「コータくん! ネコちゃんのルームメイトの!」
天使さんっ!
「きょう、がんばってましたね!」
え、この学校、てか寮、いや、てか、
いやいやいや!
「ちょ、コータ! 大丈夫か!」
「コータ!」
「コータくん⁉︎」
月子さん…? がロングボードを頭にのせたままにっこり、笑う。
白地にピンクのブランドロゴが入ったかわいらしい長袖のラッシュガードを羽織って。
当然のようにその下のウェットスーツはもう上だけ脱いでいて。
腕はラッシュで覆っているというのに。
前を開けたままのラッシュから、ビキニで包まれた胸の谷間が丸見えで。
ちょ、…
きょう一番の衝撃に、視界が暗転したのだった。
「あ〜、あれはその、夏までに慣れとこうぜ」
気がつくと医務室のベッドの上で。
あぁぁぁぁぁあ!
思いだして布団にくるまり身悶えると、付き添ってくれたのか天さんが、そう苦笑い。
女の子の胸を見て失神したとか…
「だっせ! コータ、だっせ!」
楽しそうに笑うネコに、返すことばもない。
「見慣れてんじゃないの? 湘南なんて」
夏の海なんて、近よらなかったんで…
「月子さん、びっくりしてたよ? じぶんが声かけたらいきなり倒れるからさぁ」
それはそうだろう。いや! ちょっと、ぼく、あの子にかなり失礼なことしたんじゃないか⁉︎
「一応、女性恐怖症、て、はなしといた」
なにそれ⁉︎
よりによって! どんな言い訳⁉︎
え? いや、それはそれで正解なのか?
「コータって、おもしろいのな」
「……、」
「星、月子さんも見にくるからさ。そんとき謝っときな?」
小さく頷く。もう恥ずかしくて顔も布団に隠したままだけど、一応。
「あ、コータはしゃべれない、て、伝えといたから、頭下げればわかってくれると思うよ。」
「……、」
つい数ヶ月前のぼくならきっと、レディファーストを気取ってじぶんから挨拶してボードを洗ってあげて、波にのるの、見てたよ? なんてツラツラでてくるんだろうに。
もう、ゴメンの一言もでてこないじぶんを、このときほど心底憎ましく思ったことはなかった。
「うははっ! コータ、やっべ!」
せめて、ネコを楽しませてやれたのだけが、救いだった。
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