...

 「そろそろ、戻るかな」


 日は高く昇り、そろそろ昼が近いことを告げていた。


 海もいっそう、深い青に輝いている。


 天さんが手をふると、懸命にシュワシュワで練習していたユウトとレオが上がってきた。

 「のれんじゃん。」

 そういわれて、ユウトは嬉しそうにはにかむ。レオは相変わらず凶悪な目つきで表情もないんだけど、小さく頷いて今度は躊躇いなくウェットの上を脱ぎはじめた。


 四人、浜辺に座り込んでドリンクを呷る。


 「レオさぁ、あとでちょっと、はなしあるわ。」

 濡れたレオの髪からほのかにタバコの香りがするのに、天さんも気づいている。レオは一瞬、天さんを睨み上げて、けどまた海に視線を戻して、小さく頷いた。


 あぁ、


 小山先生の優しさを補って、実質、寮生の生活指導は天さんなんだろう。

 天さんなら、きっとレオ少年も素直になれるんだろう。そう思えた。


 「コータはさ、」

 不意に天さんがぼくの肩をこづいてくる。

「いつか、あんなふうに、」

 浜の右側、ショートボードのエリアを視線で示してくる。つられてそちらに目をやると、


 あ、


 そこでは、ネコと小山先生がまだ海に入っていた。

 厳ついサーファーたちの中で、大きな波の合間に見え隠れするネコと小山先生は子どもみたいだ。


 あっ、


 波が大きくほれてネコに迫る。


 それを認めてネコが巧みにボードを返す。


 ガッ、と、海をかく。


 波が崩れ落ちる瞬間、小さな身体が跳ねてボードにのる。


 のったと思うと、そのまま波の壁を走りだす。


 波は崩れながらネコを追うのに、ネコは満面の笑みで巧みにそれを躱してゆく。

 大きくターンしてしぶきを上げる。

 波の下まで降りたと思うとまた波の上まで跳ねるように戻る。


 すごい、


 『ネコ』


 その名の通り。


 見つけたおもちゃに夢中になる、ネコ科の、それだった。

 エネルギーの塊が、波の上を暴走する。

 自在にボードを操って、波と戯れる。


 あの波はきっとネコの気に入っている。


 ネコをその上から離そうとしないで遊ばせている。

 海は、きっとネコを気に入っている。


 最後にネコは波の一番下まで滑り降りるとその勢いでボードを波の上まで走らせ、


 「すげっ、」

 レオが呟く。


 ボードごと宙に舞った。


 「エア、決まった。」

 天さんも自慢げだ。いったん海に見えなくなったネコに不安になるけどそれも一瞬で、ネコはのっていた波の崩れたシュワシュワに押され、ボードに腹這いになって岸に戻ってきた。


 海から上がると大きく手をふって、ぼくめがけて走ってくる。ボードを放りだすと、走ってきた勢いでそのままぼくにつっこんできた。

 「……っ!」

 受け止めきれずに


 ドサッ


 そのまま仰向けに倒れ込む。


 えぇ…、ちょ、


 かまわずネコは、ぼくのお腹にのり上げたまま楽しくて仕方がないって様子だ。

 「なぁ、なぁ、みた? みてた? オレのライディング、なぁ、なぁ、」


 すごかった、すごかったよ。


 ことばにならなくて、なんども頷く。

 「なぁなぁ、みた?」


 見た、見た、しっかり見てたよ。


 「めちゃ、れんしゅうした! ババァに、みせてやんだよ!」


 はっ、


 思わず、小さな空気が漏れる。

 「きまってだろ? オレ…んぷっ!」

 小さな身体を、思い切り抱きこんでいた。頭を胸に押し当てられて、ネコが変な声をだすのも気にしていられなかった。


 知らない感情だ。


 あの、赤い殴り書きを思いだす。


 もやもやを紛らせたくて、潮に軋んだ髪をかき混ぜてやると、ネコが胸の中で笑い声を上げた。

 「おいおい、砂まみれだぜ。ふたりとも」

 天さんが呆れたように笑いながらネコを抱き起こし、ぼくも上体を起こす。

 「はは、」

 天さんがニヤリ、ネコの砂を払いながらぼくに片眉を上げて笑ってみせた。


 ババァになんか、見せなくてもいいだろ。ぼくが、見てるんだから。


 いままでにない悪態を胸の内で吐いてしまったのを、見透かされたようだった。

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