...

 かくて、浜には天さんとぼく、それに小山先生が連れてきた一年生の男子二人だけが残された。


 「で、さぁ、」

 三人、浜辺に棒立ちの波乗り新人らを、天さんは上から下まで、じぃ、と眺めてくる。

 三人とも、渡されたウェットスーツを間違えなく着て、きちんとジッパーもあげている(最初に前後間違えて、それを見てネコに大笑いされたのだから、いまはこれであっているはずだ)。

 「あっつくないの?」


 ・・・


 「…暑いです。」

 ポツリ、呟いたのは、二年のぼくでも、真っ先に反発してきそうだと思っていた凶悪な目つきの少年でもなく、そのとなりで小さくなっているいかにも気の弱そうなぽっちゃりくんだった。


 正直、暑かった。


 海水はまだ冷たいから、と渡されたそれは全身を覆うもので、ジッパーを閉めると首まで覆われてしまう。

 なのに五月の陽射しはもう夏と変わらない。白い浜からの照り返しもある。


 スーツの中は蒸し風呂状態。


 吐気がしそうだった。


 こんな…、波にのるとかどうとか以前に心が折れそうだ…


 「…日焼け止めは?」

「え、持ってなくて…」

 白い肌をすでに真っ赤にしているぽっちゃりくんがまたもじもじと答える。

「ちょ、お前らダメだ! とりあえず! 上、脱げ!」

 ああ〜! と、大袈裟にうなだれてから、天さんはぽっちゃりくんのスーツのジッパーを下ろしはじめた。

「ほら、水飲んどけ!」

 ワタワタとスーツの上を脱ぎペットボトルを呷るぽっちゃりくんの横で、ぼくと凶悪目つきの少年は、それでもやはり突っ立ったまま、その様子をただ見ていた。

 「ほら、お前らもっ、」

「…っ、」

 ぼくはただ、首をふるしかできなかった。


 説明ができなかった。

 なんで脱ぎたくないのか、とか。


 天さんも小山先生も、はじめて会ったネコも、たしかに海に入る前も後も、もう上半身、ウェットスーツは脱いでいた。

 そうだろう、湘南を闊歩するサーファーたちもこの時期になればみなそんなような格好で海岸公園でくつろいでいた。


 そしてぼくたち

 山百合学園の先生も生徒もそれを、

 公衆の面前で素肌を晒す姿を、

 ひどく卑猥なことだと、

 眉を顰めて見ていたのだ。


 どうしていいのかわからない。


 ことばに詰まるぼくを、凶悪な目つきの少年がなんの感情も見えない目で、じぃ、と見つめてくる。

「のぼせちまうよ?」

 たしかにもう、頭がクラクラしはじめては、いた。

 むー…、と、しばらく天さんは唸っていたが、小山先生のおいていったボックスからボトルと、校章の入ったシャツを取りだしてきた。

 「ウェットはさすがに脱げ。で、ラッシュ、着てればいいよ。これ、部活用のゼッケンだけど。…半袖は、大丈夫か?」

 小さく、頷く。

 「見られんの嫌なら、あ〜、あそこ、トイレの横にシャワールームあるから。そこで。」

 どう受け取れたかは別として、脱がない意図は意外にも伝わったようだった。

 ラッシュを手に、海岸の隅にある公衆のシャワールームへいこうとして、

 「お前は、脱げ。」

 天さんの硬い声に思わずふり返る。

 見下ろす天さんを、凶悪な目つきの少年が、さらに目つきを鋭くして睨み上げていた。


 あ、

 なにかよくない雰囲気じゃないだろうか、これ。


 そう、引き返そうかと思うのと、

 ぼくには関係ない、引き返したところでなにもできないと思うのと、

 それでも目が離せなくて足が動かない。


 「隠すな」

 天さんが静かに告げても、少年は微動だにしない。


 どれだけそう対峙していたか。


 「お前は、」


 やがて、ふっ、と、天さんがパパの顔に戻った。呆れたような、困ったような、駄々をこねる幼い息子に根負けした、パパの顔だった。

 「お前は、隠す必要なんか、ねぇのよ」

 そう、鋭い目を歪めて俯く少年の頭を、ワシャワシャと、なでる。

 「ここではだれも、だっれも、そんなもん、気にしねぇから。」

 そういわれて少年は、小さく頷くと、鼻を啜りながら上を脱ぎはじめた。

 泣いているんだろうと、わかった。

 横で、ぽっちゃりくんまで泣きそうになって見守っている。

 少年が上半身を脱いでしまうと、天さんはボトルの水を飲ませて背中を抱いてやる。

 その背中、右肩から左腰にかけて大きく斜め一直線、明らかに事故ではないであろう傷の跡が、残っていた。

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