...

 きょうは海へいく。


 そんな話をだれとしたはずもないのに、それはぼくが逗子総合高校下田分校に来るまえから決まっていたらしかった。


 「オレ、きょう、すげーねた!」

 そう飛び起きた少年の声で穏やかな朝は一転。クローゼットを引っ掻き回して服を散らかし、奇声を上げながら洗面を済ませ、

 「これ、めっちゃうまいから!」

 食堂ではぼくのトレーにありえない量のパンを盛っていく。

 バターロールにクロワッサン、シナモンロールとチョココロネ、フレンチトーストにクロークムッシュ…

 とにかくぜんぶの種類をのせてゆく。


 いやいやいや、そんなに、食べれないよ?


 そもそも、朝ご飯なんてここ一ヶ月は食べてないんだから。

 制止するタイミングもなくてどうしたものか見ていると、スルリ、ネコの手からトングを抜く手が…

 「はは、ネコ、取りすぎ」

 天さんと雪さんだった。

 「眠れた?」

 天さんはそう、笑いながらじぶんもパンを取ってゆく。次いで、雪さんのトレーに当然のようにパンを取ってゆく。

 日常なんだろうそれを、なんとなしに目で追ってしまう。

 「たまにはさ、蜂蜜は?」

 て、雪さんを覗き込む顔は、ぼくやネコに向けるものとは違う気がして、その表情から目が離せない。


 なんだろう、なんか…?

 甘い…?


 雪さんは相変わらず感情の読めない表情で、天さんが蜂蜜をとる手元を見つめている。天さんはそれでも満足そうにじぶんにも蜂蜜を取っている。


 「で、さぁ、」

「っ!」

 ふたりの様子に呆けていると、天さんがぼくに軽く肩をぶつけてきた。

 思わず肩が大きく跳ねる。


 不躾に、見すぎただろうか…


 きのう、浴室で見たあのライオンを思い出して脚が竦む。

 けど、話題はまったく別の方向で、

 「夜、ネコ、大丈夫だった?」

「……?」

 思わず視線を上げる。

 次いで、すでに指定席であろう海の見える窓側に陣取っているネコをチラリ、確認する。さっそくお茶を入れようとしてテーブルにぶちまけている。

 朝からパワー全開で体調が悪いようには思えない。


 大丈夫? なにがだろうか…


 ぼくの訝しげな視線に、天さんは小さく笑った。

「いや、気にすんな。なにもないなら、それでいい」


 え、気になりますけど。


 そう目で訴えるのを、気づかないのか気づいて敢えてか、

「あ、そのくらいは、食えるようになっといたほうがいいよ。コータ、細すぎ!」

 なんていいながら、やはりすでにテーブルで待つ雪さんのところへいってしまった。


 寮の朝ご飯は毎日同じだそうだ。とにかく山盛りのデニッシュと食パンに胸焼けするようなバターと蜂蜜。それにボウルに入った熱いカフェオレだ。(きっといままで食べた朝ご飯のどれよりボリュームがあってどれよりもおいしい。)

 ネコがいやってほど盛ったデニッシュを、いままでろくに朝にもの入れていなかった胃に押し込み、カフェオレで流し込む。


 で、


 「はやく! コータ、おっそいよ!」

 息つく間もなく、そのままもみじ饅頭に手を引かれてボードロッカーのある庭に強制連行だ。


 いやいや、まだ消化できてない…


 もうすでに痛くなりはじめている脇腹をさすりながら引っ張られるままついてゆくしかなかった。


 このもみじ饅頭に、ぼくはもうきっと逆らえない。


 そう、入寮二日目にして、ぼくは観念したのだった。

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