【🏝完結🏝】Sky

...

　「めっちゃ、うまくね？」

　傾いた夕陽の射す部屋、二段ベッドの一段目に腰を下ろしてクッキーをかじる。そのまえで仁王立ちの男の子が得意げに胸を張る。

　「……、」

　おいしい。

　サクサク、口当たりのよいクッキーは口の中でホロホロ崩れて甘く広がる。

　形もよく、型で花や星、ハートの形にきれいに抜かれている。

　さすが、家庭科の先生とつくっただけはあるな、なんて思う。けど、なによりきっと、

　『褒めてくれていいんだぜ？』

　て、大きな目をキラキラさせて得意げな笑みを浮かべるこの少年がじぶんのためにつくってくれたクッキーだと思うと、それがどんなものだろうと、おいしくないわけがなかった。

　ネコ少年が調理室から持って帰ってきたクッキーは、お母さんのための練習だといいながら、きれいにラッピングされかろうじて読める字で『コータへ』と書かれた小さなカードが添えられいた。裏にはまだ会ったこともないひろみ先生からの歓迎のメッセージも。

　おいしいよ。泣きそうなくらい、おいしいし、嬉しい。

　そういいたいのに、そう口を開くことも微笑むことも、いまのぼくにはできなくて、ただ小さく、頷く。

　けれど、

「くいすぎじゃねぇの？　でぶるぜ？」

　キリなくクッキーを口に運ぶのを、気に入った、と、正しく受けとめたネコが、嬉しそうに笑ってぼくの膝にのってくる。

　感想を伝えることも笑うこともできないぼくは、せめてその小さな頭をゆるゆる、なでてやった。ネコは猫みたいにくすぐったそうに肩をすくめると、

　「……っ、」

　もみじ饅頭の手でぼくのもやしみたいな手を取りじぶんの頬にすりよせてきたた。

　思わず肩が跳ねるけど、ネコはまったく気がついていないみたいだ。そのまま抱きついて、お腹に頭をすりよせてくる。

　「ババァのはさぁ、」

　風が上がってきたのか、海に面して取られた大きめの窓が、ガタンガタン、と鳴る。

　「ぜんぶはなのかたちにしてやるんだ。ババァのくせに、はながすきとか、キモい、だろ〜…？　ぜってぇうまいって、いわせて…」

　嬉しそうに、そうはなす幼い声はもう最後は消え入りそうで、

　え、

　頭をぼくのお腹に押しつけたままの格好で、ネコは寝息を立てはじめた。

　風に煽られて荒れはじめた波が、磯に打ちつける音と、

　小さな男の子の寝息、だけ。

　ぼくは、抽象画みたいな文字が並ぶメッセージカードを眺ながら、小山先生のことばを反芻していた。

　＊

　「あ、一応、ネコは浩太くんと同じクラスだから」

　数時間前、ぼくは約束通り応接室でネコが戻ってくるのを、石舟庵のお菓子を食べながら小山先生と待っていた。

　そこで、あ、と、小山先生が思いだした体でそう切りだしたのだ。

　あぁ…

　ネコ少年のはなしを信じていないわけではなかったけど信じきることもできずにいたぼくは、もうこれで観念するしかなかった。思わずため息がでる。

　やっと休み場を見いだしたと思ったのに、

　薬を取り上げられてあげく、

　あんな落ち着きなさそうな、

　世話の焼けそうな、

　学童保育のガキンチョみたいな子と、

　これから暮らすのか…

　ここは、安息の地ではなかったのか…ガッカリだ…

　「もうバレちゃってると思うんだけど、」

　てへ、みたいに小山先生が笑う。

　嫌な予感がする。

　「ネコの低身長は、世間のゆう発達障がいみたいなやつ、なんだよね。アイジョウブソク、みたいな？」

　あ、知ってる。それは重たいやつだ…

　肩が落ちる。

　いまのぼくに、低身長になるほど愛情やら栄養やらに飢えたクラスメイトを支える気力なんて、愛想だってない。

　小山先生だって、ぼくがなんで転入してきたか、薬を服用してるのを知ってるはずだ。なのに…

　そんなオーラをだしてみるけど、かまわず先生はつづけてくる。

　「これ、さ、」

　ガサ、と、小山先生が書類の中から数枚のハガキを取りだした。

　宛名面に、赤い殴り書きの文字。

　「ネコがババァにだした手紙。」

　『受取拒絶』

　ネコ少年が書いたであろう拙い文字を上書きするように書かれたそれは、

　「ぜんぶ、戻ってきちゃって」

　小山先生はそう、寂しそうに…いや、悔しそうに、笑った。

「手を解かない、それだけで、いいんだ」

　ぼくの抗議を察してか、小山先生の雰囲気が変わる。

　メガネを指でなおすと、小山先生はまっすぐ、ぼくを見据えた。

　吸い込まれそうな深いグランブルーの瞳。相変わらず柔和な塊みたいな表情をして、ひどく真剣で、目を逸らすことができない。

　「ことばも、笑顔も、親切も、いらない。考えないでいい。万が一にも、じぶんが支えようなんて、考えないで」

　小山先生のいっていることが、日本語であるはずなのに、理解ができなかった。

　「ネコは、決して、キミに『世話』してもらわなきゃならない存在じゃない」

　あ、

　恥ずかしくて、俯く。

　じぶんの傲慢さに。

　…ごめんなさい…

　口の中で呟く。

　愛がない。

　その通りだ。

　愛が、

　「ありがとう。」

　「っ、」

　小さく肩が跳ねる。

　「優しいんだね。でもね、」

　優しくはないです。

　少しの優しさでもあれば、ぼくはきっとここへは来なかった。

「でも浩太くんはまず、じぶんが元気になることを考えないとね！」

　不意に、小山先生の視線が和らいだ。

　「向こうから伸ばしてきたなら、その手を、解かなければいいだけなんだ」

　そう、同じことを念を押すようにはなす。

　「浩太くんの優しい気持ちは、それだけで十分、伝わるから。」

　優しい？　ぼくの優しい気持ち？

　そんなものは、湘南の海において…

　「ありがとう。」

　小山先生はそう、にっこり笑った。

　「浩太くんが来てくれて、ほんとうに、よかった。」