第五十二話 クズに送る

 正直、こんな外道は今までに見たことがない。

 あまり人付き合いのなかった俺だが、腐っても領主家の長男だ。これまでに多くの貴族を見てきた。その中でも、コイツは群を抜いて不快である。


 この国の国民性? いいや、それは絶対にありえない。この国の人々は、皆他者を思いやる善良な心の持ち主だ。短い間だが、マーケットで商店を出していてそれを実感した。

 だから、この男は異常だろう。少なくとも、この国の素晴らしき人々をまとめ上げられる器を持ち合わせてはいない。コイツはダメだ。


「なぁ、そんなに渋ることもないだろう。どうせ、精霊と人の間に子どもなんてできやしないんだ。まさか、アラレスタ嬢に惚れているわけでもあるまい。なら、俺にくれたって良いじゃないか。もちろん、他に優秀な人材はこちらで用意しよう。どうだ?」


 このアヴィチェリダという男は、真正のド阿呆だ。まさか、直接対面していて、アラレスタがどれほどの嫌悪感を向けているのか気付いていないと。

 それで彼女と仲良くしようなど、間抜けにも程がある。


「……子どもができないのなら、アヴィチェリダ殿こそ、彼女と関係を結ぶ必要などないのでは? 貴殿にはもっと地位の高い人間がいるでしょう。何分、精霊の立場というものは国に尊重されませんから。彼女と恋仲になっても特はありませんよ」


 本当なら、こんなことは言いたくない。アラレスタを侮辱しているようではないか。

 だが、この大バカ者を納得させるのなら、これが一番いいだろう。バカとて貴族、立場や地位を気にしないはずがない。


「ハハハ、面白いジョークを言うんだな。それが良いんじゃないか。子どもはできないのに身体の関係はある。なんて素晴らしいんだろうなぁ! どれだけ使っても俺の地位は絶対に揺らがないとは!」


 ダメだ。この場所に来たことを後悔している。いや、この場所にアラレスタを連れてきたことが申し訳なくなっている。せめて、プロテリアかカッツァトーレを連れてくるべきだった。まさかオーストマンシャ領の領主がこのようなクズだとは思わなかったよ。


「……君は少し勘違いしているようだけどね、俺は何も、アラレスタ嬢と恋仲になりたいわけじゃないんだ。言っただろ? その娘を『くれ』と。要するに、俺の所有物になれと言っているんだ。もっとわかりやすいように言ってやろうか? 奴隷になれ、そういうことさ」


 怒りだ。俺が今抱いているのは、純度100%の怒りだろう。

 膝に置いた拳が震えて仕方がない。コイツをにらみつける視線を抑えるのにも神経を使う。今すぐにでもその顔面を殴りつけて謝罪させたい。


「残念ですが、彼女は俺の所有物ではありません。彼女は彼女のものです。その決定権は、第三者が握って良いものではない。それに、もし彼女に手を出そうものなら、森の精霊たちから手痛い制裁を受けることになるでしょう。お控えになった方がよろしいかと」


「精霊、精霊ね。さっきも言ったじゃないか、その手札は俺たちに対して弱すぎる。精霊など、武力で弾き返せばいいのだ。連中には農奴か性奴隷が適任だろう。軍事力としてはあまりにひ弱だ。文明力も、我々が交流を結ぶに値しない。最初から、精霊と手を組むことなど何の意味もないのだよ」


 無知だ、あまりにも無知だ。コイツは、精霊と人間の格差をまったく知らないのだ。

 しかし、ここまで無知だと逆に気になる。いったいどうして、水の精霊と共に暮らしながら、これほどまでに無知なのか。森の精霊をどうしてここまで下に見ているのか。


 まったく分からない。子どものころ、精霊の恐ろしさについて教わらなかったのだろうか。その強さを、一度も目の当たりにしなかったのだろうか。精霊が率いた軍勢がどれほど人類に被害をもたらしたか、一度でも本で眼にしなかったのか。


「なぁ、アラレスタ嬢はどうだ? 俺に奴隷として飼われる気はないか? 君を妻として迎えてしまうと、俺の立場も危うくなる。だからあくまでも奴隷ということになるが。それでも、何不自由ない生活が出来るぞ。清潔な寝床にうまい飯、夜には気持ちいいことも待っている。働きづめの生活は、君には似合わない。どうだ?」


 何故、この男はこんなにも鈍感なんだろうか。アラレスタの表情を見て、何も思わないのだろうか。まさかこの状況で、自分の誘いに乗ると本気で思っているのか。そうだとしたらお笑いだ。何て頭の残念な領主なのだろうか。


「ありえません。私は森の精霊。人を見る目は人間よりも優れたものと自負しています。その私から言わせてみれば、貴方は汚れそのもの。勤労の疲れよりも遥かに不快で、害獣のフンよりも下衆。そんな男に、私のような清廉な女性が付いて行くと本気でお思いですか? バカ。きっとこの言葉は、貴方のためにある言葉なのでしょう」


 きっぱり。いつもの快活で笑顔溢れる雰囲気とは打って変わって、このゲスな男にアラレスタはそう言い放った。正直、俺も爽快である。ここまでばっさり切り捨ててくれると、こちらもスッキリするというものだ。


「ハッハッハ! 本当に面白いなぁ君たちは。いやいや、今までこんなに俺を侮辱した奴はいなかったよ。何せ、ここは武力の領地だからね。歯向かえばどうなるか、まさか分からないわけじゃないだろう」


「何をバカな。精霊である私に真正面から敵うと本気で……ッ!?」


 奴がニヤリと微笑んだ。その瞬間、身を乗り出していたアラレスタも、何かに気付いたように俺を振り返る。結局、反応が一番遅れたのは俺だった。


 ナイフだ。ふっと視線を動かした瞬間には、怪しく光を反射する漆黒のナイフが、俺の首筋に突きつけられていた。刃が少し喉笛に触れて、赤い血がたらりと流れている。恐ろしく切れ味のいい刃物だ。


 後ろを振り返ることは出来ない。だが、犯人がだれかなどすぐにわかる。

 マジョルさんだ。老人特有の手つきに、この国ではあまり見かけない衣装の感触。部屋の位置関係からも、彼であることは間違いなかった。


「ま、マジョルさん!? これはいったいどういうことですか! ……まさか、アヴィチェリダの暴走ではなく、初めからこうなることを知っていて、私たちをここに呼び込んだのですか!?」


 返事はない。だが、何らかのアイコンタクトをとったのだろう。こちらに目線を向けているアラレスタの表情が、少し不穏なものに変わっていた。


(……ノレ君。エコノレ君! 抵抗しないで私に代わって。こんな状況見てられない。アヴィチェリダっていう男にも腹が立つ。私のアラレスタに手を出そうなんて。一発ぶん殴ってくる。お願いだから私に代わって!)


 ――そんな要求は飲み込めないな。エコテラに交代したところで、いったい何が出来る。アイツを殴れるのなら、俺の方が先にそうしたい。だが、この状況では難しいだろう。


 言ったじゃないか。危機的状況に陥ったら俺に任せろと。俺の方がこの身体のことを熟知している。生存確率は高い。勇気は……エコテラの方があるだろうが、それでも俺は男だ。少女に怖い思いをさせることなど、できるはずがない――


 エコテラに乗っ取られそうになる身体を無理やり制御して、俺は自分を保つ。

 この肉体は既に、俺よりも遥かに上位の存在である彼女に屈していた。しかし、本気になれば抵抗できないわけじゃない。それも、彼女の意志の強さによるところが大きいが。


 今回の場合、彼女はああ言っているが、俺に任せようという思いも少しあるのだろう。

 何より、俺の思いも強いものだ。これはアラレスタと俺の問題であり、今回に限って無関係のエコテラを巻き込むことはない。


「アラレスタ、質問だ。このナイフに魔力は宿っているか?」


 急な問いに、アラレスタはわけがわからないと言った様子だ。この状況で聞くことではないだろう。しかし、真面目な彼女はすぐに答えてくれた。


「いえ、それは普通の鉄でできた刃物です。切れ味は良いですが、それ以上でもそれ以下でもありません。いったい何を……」


「なら、マジョルさんに魔力は宿っているか? それは、俺の体内を刺激するようなものか?」


「いいえ。身体強化等魔法は特に使っていない様子です。たとえ魔力を用いたとしても、その、エコノレさんの喉笛を搔っ切る場合、その刃物ならば微量なもので済むでしょう。最悪の事態にはならないと思います……」


 そうか、それなら良い。最悪の事態、すなわち大陸ごと吹き飛ばす結果にならないのであれば、それで充分だ。あとは俺が何とか出来る。


「信じているぞ、アラレスタ。お前の魔法の才能は、俺が誰よりも認めている」

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