第五十三話 人でないなら、殺すのに覚悟などいらない

「……おい外道。お前は、人間を殺したことがあるのか? いや、愚問だったな。兵の領地オーストマンシャで、まさか領主が人を殺したことないはずがない。だが、どうだ? お前の手で俺を殺してみるというのは。領主としての器を見せてくれよ」


 正直、自分でも何言ってんのかわかんない。ただ、とにかくこのクズを挑発したかったのだ。こんな安い言葉しか出てこないが、コイツをその気にさせることにこそ意味がある。


 もちろん、俺は人を殺したことなどない。昔は領主家の長男だったが、実際に人を殺すような教育は受けなかった。当然人の殺し方は騎士団などに教えられるし、俺も指導こそされなかったが知っている。だが、それ以上踏み込んだことをするのは、よほど厳しい領地だけだろう。コイツがどうかは知らない。


「面白い挑発をしてくれるじゃないか、エコノレ君。君はアレかな。今の状況が分かっていないのかな。君の命は俺が握っているんだぞ? 少しでも命乞いをしてみたらどうなんだ。まさか、自殺志願者ではあるまい」


 笑い出してしまいそうなほど、奴は簡単に乗っかってきた。

 語調こそ乱れてはいないが、その表情は怒りに包まれそうになっている。そして、おもむろにポケットへと手を入れた。恐らくナイフでも入っているのだろう。拳を作っているのが丸わかりである。


「え、エコノレさん! 彼の言う通りです。そんな命を捨てるようなマネは止めてください! 私の代わりになれる精霊は沢山いますが、貴方の技術は貴方しか持っていないものなんです! ここでそれを失うなど! ……私の治癒魔法を信じてくれているのはありがたいですけど、死んでしまっては助けられませんよ!」


「心配するな、何もここで死のうなんて思っていないさ。コイツにそんなことが出来ると、本気で思っているのか? 断言しよう、この男に人は殺せない。このような卑怯でゲスな男に、そんな勇気があるわけがない。人を殺すのには、理由が必要だ。普通はな。騎士ならば、民を守るため。そしてイカレならば、自分の快楽を追求するため。はてさて、このクズはいったいどちらなんだ?」


 だんだん調子が出てきた。途中からは笑みも漏れだしてしまっている。

 我ながら、素晴らしい演技だと実感できた。緊張しいな俺がここまで出来るなんて。それもこれも、ずっと傍にエコテラがいてくれるからだ。


 恐らく、さきほど彼女とぶつかり合ったせいだろう。普段よりもエコテラの存在がずっと近くに感じている。敢えて言葉にするのなら、それこそ抱きしめ合っているような距離間だ。これがなければ、こんな局面に俺の心臓が持つはずがない。


「随分と言ってくれるじゃねぇか。なるほどな、騎士は正当で、イカレは邪道。民を守るため以外の理由でお前を殺そうとする俺は、もはや騎士ですらないと。そうやって理屈でこの場を切り抜けようって魂胆だな。噂通り、言葉の巧い男だ」


 アヴィチェリダはついに椅子から立ち上がり、ポケットから変形ナイフを取り出しつつこちらに歩いてくる。その目は、もう今から人を殺すのだという目だった。


 先程はああ言ったが、正直この男は、やろうと思えば人を殺せる男だろう。

 恐らく人を殺した経験はないだろうが、人が死ぬ現場は数多く見てきたはずだ。戦場の領地オーストマンシャの領主なのだから。


 精神は若い。しかし、若輩ながらもこの領地をまとめ上げてきた。

 コイツは間違っているが、何もできないボンクラでもないのだ。領主として、最低限の器は持ち合わせている。


「そこを代われマジョル。その男は俺が殺す」


 マジョルさんを強引に押しのけ、俺の首筋に銀色の刃を突き立てるアヴィチェリダ。

 その眼光は、先程よりもさらに険しいものへと代わっていた。その風貌も合わさり、はた目からは本当に蛮族にしか見えないだろう。威圧感が凄まじい。


「良いかエコノレ。人間というのは高貴な生き物だ。俺のようにな。対してお前はどうだ? 貴族のような振る舞いをしているが、お前は商売に成功しただけの平民だ。雅さとはほど遠い。平民は人間じゃないのさ。だから殺せる」


「そうか、面白い考え方をしているんだな。それはある種、生物学にも関わるものだ。人間種の分類とは、とても興味深い。まさか貴殿がそんなに博学とは思わなかったよ」


 俺を睨みつけ文句を言うアヴィチェリダに向かって、見当違いな返しをしてやった。

 高貴さ? 雅さ? 学のないサルにはこの程度の返しで充分。俺に言わせれば、学問を修めようとしないこの国の貴族など貴族ではない。彼の言葉を借りるのなら、全員人間ではないのだ。何を馬鹿なことを言っているのか。


「時にアヴィチェリダ君よ、人間の急所というものを知っているかな? いや失礼、また愚問だった。まさかオーストマンシャ領の領主が知らないはずはない。けれどまあ、万が一知らないと悪いからヒントを上げるよ。今赤い液体が出ているところさ」


 ニヤリと口角を上げてみせた。もう楽しくて仕方がない。アドレナリンが出まくって喉笛の痛みなど気にもならないほどだ。コイツの悔しそうな顔を見るのが心底面白い。


「どこまでも人をバカにしてくれる……! そんなこと言われずとも分かっているわ! 一撃だ。一撃でお前の喉笛を掻っ切り殺してみせよう。お前は人間ではないのだから、何を躊躇うことなどない。そしてアラレスタ嬢もあの商店も全て俺のものにするのだ!」


 ようやくか、アヴィチェリダは大声を出してそう吠えた。

 俺が思っていたよりも、激情するのは随分遅かったな。腕や表情こそこわばっているが、今の今まで声を荒げず平静を保っていた。その精神力は素晴らしい。


「フハハ、一撃か。そんなポケットナイフで? 如何にも切れ味の悪いそうなナイフじゃないか。君の筋力で、果たして喉笛を切断できるかな? マジョルさんの持っていたよく切れる黒いナイフを使った方が良いと、俺は思うけどね」


 奴が今手に持っているのは、ごく一般的な折り畳み式のポケットナイフだ。

 対してマジョルさんが持っていたものは、重さはあるものの刃は薄く、魔法で身体能力を強化していない老人でも人体を切断できるものだった。どちらが良いかなど、一目瞭然である。


「……そうやって、逆にこのナイフを使わせようというのだな。切れ味の悪いこのナイフなら、お前は助かるかもしれない。俺がお前の言うことに逆らうと、そう思っているんだろう。言ったはずだ、お前を殺す。打てる最善は打とう。残念だったな、思い通りに行かなくて」


 そう言いながら、アヴィチェリダはマジョルさんからナイフを受け取る。

 当てただけで俺の喉笛を少し切ったあのナイフなら、首ごと両断することも可能だろう。まさか、本当にそれを握ってくれるとはね。


「良く狙って切れよ? そうじゃないと、兵の領地オーストマンシャの領主は、ナイフも操れないヘタレだと俄かに囁かれることになる。狙う場所は分かっているな? 一撃で殺してくれるんだろう? ホラ、ここだよここ」


「うるさい! 貴様など俺の眼中にも入らぬわ! 死ねぃ!」


 喉笛に刃を当てた状態から、勢いよく横に引き抜いた。

 凄まじい切れ味を持つナイフは、正確に俺の喉笛だけを切断する。

 あまりの痛みに耐え切れず、俺はその場に倒れこんでしまった。



~SIDE アラレスタ~



 あ、ありえない。エコノレさんが死んだ? あんな啖呵切っておいて、結局何もせずに喉部を切られて死んだ?


 私はてっきり、何か秘策があるものと思っていた。多少の怪我を負うことも考慮して、私にあんな問いかけをしたのだと。

 それが、実際にはこうだ。これから先、いったいどうしたらいいの。


「は、ハッハッハ! やったぞ、殺したぞ! ざまぁみろ。俺に歯向かうからこうなるんんだ。……スゥ。まさか、人を殺すのがこんなにも爽快だなんて。教えてくれてありがとうエコノレ。一人の天才を失ったのは心苦しいが、得たモノは大きい!」


 アヴィチェリダがわかりやすく調子に乗っている。恐らく、脳内麻薬が出まくっているんだろう。エコノレさんがそんな感じのことを言っていた。


 彼は手にナイフを持ったまま、下卑た目で私を見つめてくる。

 今にも刺すのではないかという雰囲気を醸し出しながら近づいてくる彼は、もはや狂気以外の何物でもなかった。


「さぁアラレスタ嬢、俺の寝室へ行こうか。安心すると良い、あの男の死体はしっかりと埋葬しておく。商店も、これからは俺が運営しよう。君は気持ちいことだけを考えていればいいんだよ」


 私に近づく彼の手。無手ではなくナイフを持った方の手を先に持ってくるのは、私を脅しているつもりなのだろう。もしくは、人を殺した快感が忘れられないのか。


 そんなものよりも私は、エコノレさんの死体を抱えるマジョルさんから目が離せなかった。彼の身体に触れた途端、不自然に崩れ落ちたのだ。何が起きたのか、精霊の目を持つ私ですら理解に時間がかかった。


 そして、今にも私の喉に刺さろうとしていたナイフが、地面へ向かってポトリと落ちる。

 同時に、大きな絶叫を上げながらアヴィチェリダも崩れ落ちた。喉の側面からは、エコノレさんとは比較にならない勢いで血があふれ出している。


「……な、言……じゃ――か。ゲホッ、ゲホッ。お前に人……すこと――て出……い」


 喉を抑えつつ大きく咳こんで、彼はそう言い放った。

 いや? 外見は間違いなくエコノレさんだけど……。


 本当に、今日は自分の目が信用できない。彼の正体がどちらなのかも見抜けないなんて。

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