第五十一話 アヴィチェリダ
重厚な扉を子気味良くノックすると、内側から入室許可の声が聞こえる。
少し低めで、厳格さを思わせる声だ。父の声もそうだったが、領主ともなると日常的に舐められないような口調・声音を意識するようになるのだろうか。
重たい扉をマジョルさんがゆっくりと開けてくれる。
入室許可を求めるのは俺だが、扉を開けるのは彼の仕事らしい。どうにも、他国の領主に受け継がれてきた文化というものは分からない。失礼のないよう気を付けなければ。
「初めまして、アヴィチェリダ殿。俺の名前はエコノレ。こちらはご存じですよね、アラレスタです。本日は交渉を引き受けていただきありがとうございます」
本番に弱い俺にしては、上出来な挨拶だと思う。丁寧な口調で話せている。
今回、俺たちはあくまでも下側の立場だ。向こうから領地を譲ってもらおうというのだから。やむを得ない理由があろうとも、下手に出なければならない。
「やあ、久し振りだねアラレスタ。そして初めましてエコノレ君。君の噂は何度も聞いたよ。マーケットでとんでもない奴が現れたと、旅好きの民衆が話していた。何でも、日ごとにマーケット史上類を見ない売り上げをたたき出しているそうじゃないか」
この地オーストマンシャ領の領主アヴィチェリダは、とてもじゃないが領主と言えるような風貌ではなかった。たくましい腕の筋肉を丸出しに、短い黒髪は乱雑に切ってテキトウに扱っている。身長は俺より少し低いくらいか。この国では大きい部類である。
年齢は10代後半と聞いている。数年前に祖父と父が病死し、若輩ながらもこの地で領主をしていると。この点に関しては、尊敬する部分がある。何もわからないながらこれほどの都市を築き上げたのだから、立派なものだ。
しかし、見た目に気を使うということを知らないな。服装も整ってはいない。寝巻ではないだろうが、およそ来客用とは思えないラフな恰好。髭も整えていなければ、洗顔もしていない様子だ。
正直、カッツァトーレよりもさらに粗野で野蛮。表情や声音の雰囲気こそ厳格ではあるが、それ以外の全てにおいて品に欠ける男だ。
喋り口調も、これから交渉するのだという気を感じない。多くの人間と対話し利益追求を共にしてきた俺だからわかるが、彼の態度にはまったくと言っていいほど相手へのリスペクトを感じないのだ。これは、難しい交渉になりそうだな。
「いえいえ、俺などはまだまだ駆け出しの一商人でしかありませんよ。特にこれと言って難しいこともしていません。誰にでも出来ることを、誰にでも出来る範囲でやっているだけです。……その点、アヴィチェリダ様のやっていることは、誰にでも出来ることではない。これだけ広大な領地をまとめるなど、……本当に尊敬します」
こういう相手への常套手段。取り敢えずテキトウに褒めてみる。様子見だな。
ただし、単純に褒めるだけじゃつまらない。今のうちにこう言っておいて、俺が完璧に新領地をまとめ上げたらどうだ。最高に気持ちがいいだろうな。楽しみで仕方がない。
……分かっている。最近事業が上手く行っていて、俺は調子に乗っているんだ。
俺の夢でもあった本物の領主相手に、端から勝負を仕掛けるなど。だが、これが楽しいのだ。こうでなくては、挑戦する意味がないのだ。
「ふむ、謙遜はよせ。俺も君の活躍は認めている。まったく新しい手法で金を動かしているそうだな。……本音を言うと、領地経営などではなく、君にはウチの専属として働いてもらいたい。何せ、兵士を養うには金が要るのだ」
「そういうわけには行きません。先に手紙で申しました通り、現在この国には未曽有の危機が迫っています。それを回避するために、精霊たちが多く住む森にほど近いあの土地が必要なのです」
アラレスタには既に内部へ話を通してもらっているが、当然表上の手紙も出している。
そこには、タイタンロブスターの軍団が侵攻中という旨も記した。そして、ウチェリトさんの助言による解決策についても。ある程度の話はもう終わっているのだ。
「……弱いな」
「へ?」
思わず、素っ頓狂な声が出てしまった。彼は今、何と言ったのだろうか。俺の聞き間違いではないかと、この耳を疑った。
「弱い。タイタンロブスターなど、老いぼれの集団だ。それがたった20であろう。何を、平和的な解決などというバカなことを提案するのか。とても稀代の天才商人の願いとは思えん。わざわざ回りくどいことをせずとも、返り討ちにすれば良かろう」
まさか、未だにアレの脅威を理解していなかったとは。この領主は、俺の想像を遥かに超えるおバカ様のようだ。あまりに呆れて、身体の力が抜けてしまった。恐らく、俺は今相当間抜けな面をしているのだろう。
「マーケットの民衆がどの程度のものか知らないが、俺の育て上げた兵ならば簡単だ。それに、山に住む凡庸な精霊と違って、この都市には水の精霊がいる。ブルターニャの平和ボケした連中とは違うのだ。霊王ウチェリト? そんな田舎者の老いぼれは、ただ年を食っただけの臆病者よ。あの土地は手放さん」
「!」
戦慄した。コイツのバカさ加減もそうだが、それ以上に、俺の隣に座るアラレスタが、今まで見たことがないほど怒っている。そして、それを完全に封じ込め和やかな笑みを浮かべていた。
……というか、このアヴィチェリダという男は、流石に世間を知らなすぎではないのか。
タイタンロブスターの特性を理解していない。水の精霊と森の精霊にある格式と上下関係を理解していない。良くこれで、領主など務まったものだ。
水の精霊というのは、霊峰ブルターニャの反対側にある大きな湖で暮らす精霊のことだ。そこから、谷を流れる大河周辺に住み着き、現在では港町にも進出している。精霊としたの格は、トンビよりも遥かに下だ。ゆえに、水の精霊は森の精霊に盾突くことはない。
「それは、あまりにもタイタンロブスターという生物を理解していません。アレは、人間が真正面から戦って敵う相手ではないのです。それこそ、精霊だって奴らには敵いません。それが分かっているからこそ、こうして平和的に解決しようとしているのではないですか」
正直、霊王ウチェリトを侮辱されたことは、俺も腹が立っている。彼は恩人であり、アラレスタの恩師でもあり、そして大陸の守護者でもあるのだ。それを、何も知らずに汚い口で罵るなど、到底許されるべきではない。
だが、ここで冷静さを欠いてはダメだ。今感情に流されれば、それこそ向こうの思うつぼ。この場さえ耐えれば、つまり領地だけ手に入れば、後は難しいことなど何もないのだ。腹を立てるのは、コイツを追い詰めてからでいい。
「前時代的な。それは過去の話であろう。様々な武器・魔法の登場で、魔獣の脅威度は劇的に下がったのだよ。今は人間と土地を奪い合う時代なのだ。……それに、あの土地は金が動く。税収の中心でもあるのだ。そう簡単に手放すものか」
……おかしい。内部にはもう話を通してあるはずなのに、どうしてこうもことが進まないのか。こちら側であるはずのマジョルさんも、先程から傍観を決め込んでいて助け船を出してはくれない。
「……お金の話ならば、こちらにも用意があります。現在の税収よりも遥かに多い額を納められると約束いたしましょう。前払いに、銀貨50枚を持参しました。もちろん、これ以上の額をお支払いすることも可能です」
正直、こんなやつに金を払いたくはない。だが、それで解決できるのならばそれでもいいのだ。これからの出費も増えるが、民衆と商店を守るためならば致し方ない。俺の負担が増えるだけだ。
「違うなぁ。違うよエコノレ君。ここまで言ってまだ分からないか。……アラレスタ。彼女を俺にくれ。もちろん銀貨もいただくが、それ以上に彼女が欲しい。俺ほどの領主が、金だけで領地をくれてやると本気で思っていたのか?」
絶句した。野蛮だが厳格な雰囲気も持ち合わせていた青年の顔が、今は下卑た助平にしか見えない。こんな男に、いったいどうして交渉など持ちかけてしまったのか。
呆れてものも言えないというのは、まさにこのような状況を言うのだろう。この男の顔など、もう見たくもない。
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