第6話



「この会社は詐欺師の集まりか!」

 オフィスに怒声が響き渡ったとき、わたしはフロアの奥で書類の整理をしていた。

 エントランスに向かうと社員たちが集まっていた。人の輪の奥にいたのは、笠井満だった。「お前!」わたしの姿を認めるや否や、満は声を上げる。

「この野郎、榊原! でたらめな調査で大金取りやがって!」

 あまりのひようへんぶりに、わたしは驚いた。真美はストーカーなどしていないと報告したときの彼は、しおらしい様子だったのに。

 集まった社員たちが、じろりとわたしを見る。好奇心丸出しのものもあれば、また厄介ごとを持ち込んだのかと非難してくるものもある。いずれにせよ、どの目も言っていることは同じだ──お前が責任持って、処理をしろ。

「何事ですか」

 そこで、奥野さんがわたしの横にやってきてくれた。「奥野!」満はさらに声を張り上げたが、奥野さんは動じない。社員たちをかきわけて満のほうへ向かう奥野さんに、わたしは続いた。

「どうされたんですか、笠井さん。騒がれたら困りますよ。いまはみんな仕事中です」

「偉そうに言いやがって、何が仕事だ。いい加減な仕事しかしないくせに!」

「いい加減とは聞き捨てなりませんね。私どもの調査は、適正なものでしたよ」

「赤田真美は、ストーカーだ!」

 駄々っ子のような叫びだった。だが、そこには切実な色があった。

「どういうことですか? 赤田さんがストーカーなどしていないというのは、きちんと調べてお伝えしたと思いますが……」

「その調査がいい加減だったんだよ! 証拠があるんだ!」

「証拠?」

「また金がられたんだ! あいつ以外にそんなことをするやつがいるか!」

 満の声は、際限なく大きくなっていく。どうやったらこんなに大きな声が出せるのかと思うほどうるさい。

〈最初は鞄がなくなった、二回目は携帯が見つからなくなった、だったかな? そのたびにあたしが忍び込んで盗んだとか騒いで……〉

 わたしは、真美の言葉を思いだしていた。

 あのあと真美について調べ、彼女が多額の奨学金を返済したことと、高校生のころからアパレルの仕事に興味があったことが判った。ダメ押しとして、真美にはいま、新しい恋人がいることまで発覚したのだ。ストーカーの可能性は一パーセントもない。今回も満は、お金を落としたりしたのを、真美のせいだと思い込んでいるのだろう。

「笠井さん、ちょっと奥に行きましょう。お茶でも飲みながら、冷静に──」

 奥野さんが手を差しだしたところで、周囲の社員から、悲鳴が上がった。

 満の手に、カッターナイフが握られていた。

 その刃先が、薄い赤に染まっている。奥野さんが差しだした手を、いきなり切りつけたのだ。

 わたしはどうもくした。

 満は震える手でカッターを握りしめながら、血の気を失っていた。自分が行使したはずの暴力に戸惑い、ぼうぜんとしている様子だった。強気な表皮を剝がした奥から、気弱で繊細な本性が覗いていた。

 わたしが目を引かれたのは、奥野さんのほうだった。

 いつも穏和な表情の下から、しんえんが覗いていた。満を睨みつける鋭い眼光は、一切の情を感じさせない、冷酷な殺人者のようだった。

 思わず、震えそうになる。奥野さんは、こういうものを抱えていたのか──。

「確保っ!」

 満の背後から、若い男性社員が数人飛びかかり、地面にねじ伏せた。カッターがはじき飛ばされ、地面を滑る。「離せ! 詐欺師集団!」満は思いだしたように暴れはじめたが、もはや白々しい演技にしか見えなかった。

 奥野さんは切りつけられた手の甲をめ、カッターを拾い上げる。ハンカチで刃先をぬぐい、刃を収める。

「いま私は、死んでいたかもしれない」

「え?」

「こいつが持ってきたのが殺傷力の高い包丁やサバイバルナイフだったら、いまごろ生きていなかったかもしれない。命拾いしました」

「あ、ええ、そうですね……」

「探偵をやっている以上、危険は向こうからきます。わざわざ出向く必要はない。肝に銘じておくことです」

 もう、深淵は見えなかった。奥野さんの表情は、いつもの柔らかいものに戻っていた。

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