第5話



 夜。わたしはひとりで、真美を尾行し続けていた。

 暗めのシャツとパンツに着替えて眼鏡をかけ、下ろしていた髪をゴムでシニヨンに結んだ。

 真美はいま、埼玉県のそうに住んでいるようだった。渋谷ではんぞうもん線に乗ってから草加で降り、そのままずっと尾行を続けている。こちらに気づいている様子はない。越谷と草加は、隣の市だ。真美が満をストーキングしているのなら、ロケーションとしてはやりやすい。

 奥野さんはいまごろ、真美がかつて働いていたというキャバクラに行っているはずだ。彼が前歴を探り、わたしは彼女の自宅を突き止める。二手に分かれた作戦だった。

 いつの間にか、住宅街に入っている。時刻は二十時。特にどこにも寄らず、このまま家に帰るつもりのようだ。

 真美はやがて、一棟のアパートに入っていった。見るからに古そうな二階建ての建物で、女性のひとり暮らしには安普請に見える。携帯電話で賃貸情報サイトを検索すると、築三十五年・家賃は四万円だった。やはり、満と同棲していたときに比べ、生活レベルはかなり落ちているようだ。

〈キャバクラでの聞き込みが終わりました〉

 タイミングよく、奥野さんからメールが届いた。

〈一年でだいぶ従業員が入れ替わってましたが、真美のことを知る人が何人か話してくれました。彼女、あまり好かれていなかったようですね。本指名を取るために積極的に身体を触らせていたり、ほかの嬢の客を取ろうとしたり、際どい営業をやっていたらしい。お金にガメついという評価もちらほらと〉

 キャバクラは、指名された数に応じてポイントが積み増され、報酬が上がっていくシステムだ。ただし、ベタベタと客と触れ合って指名を稼ぐのは、店の治安も悪くなるため嫌われると聞く。ほかのキャストから客を奪うのは、最大のタブーだ。

 わたしは、日中の真美の勤務態度を思いだした。フレンドリーな接客をしていたが、少し客との距離が近かった気もした。キャバ嬢時代の営業戦略が、身体に染みついてしまっているのかもしれない。彼女の微妙に壊れた距離感が、ストーカー行為と重なる。

 顔を上げると、真美の部屋の電気が落ちていた。一日の労働で、真美は疲れているように見えた。すぐに眠ってしまったのだろう。

 考えてみたら、ストーカーを調べるのは、初めてだ。ストーカー対策はサカキ・エージェンシーの取り組んでいる事業のひとつだが、わたしには案件が回ってこなかった。

 ──赤田真美は、どんな人なんだろう。

 奥野さんに忠告されたばかりなのに、悪い癖が出てきた。ストーカーをやるような人はどんな人間なのか、気になりはじめている。

 こうなってしまうと、自分でも止められない。

 周囲を見回す。人通りがないのを確認し、わたしはアパートに近づいた。門をゆっくり開けて、敷地に入る。

 アパートの入り口に、集合ポストがあった。真美の部屋は一階の一番奥なので「104」だ。覗いてみると、ろくに整理していないのか、チラシや封筒があふれている。

【特別催告】と書かれたピンクの封筒が見えた。

 日本年金機構名義の封筒だ。年金を滞納しているらしい。年金の催告は緊急度合いに応じて色が変わり、ピンクは財産を差し押さえられる少し手前に送られてくる。

 やはり真美は、生活に困窮している。

 鮮やかなピンクの中に、真美の〈人間〉が見える気がした。キャバクラで強引な営業をして、真美はお金を稼いでいた。満と同居したことで仕事をやめたものの、その生活もあっという間に破綻した。もとの世界に戻ることもできず、表面的には華やかなアパレルの世界に身を置いていて、満とヨリを戻すべく──あるいは、満にふくしゆうすべく──彼につきまといをしている。

 めちゃくちゃな行動原理に見えるが、この郵便受けを見ると、どこか納得が行った。溢れかえった郵便物は、赤田真美という人間のこんとんを象徴しているように見えた。

 わたしは鞄の中を探った。ひと通り郵便物を引きだして、撮影しておこう。指先がデジカメに触れた。

「何やってんですか?」

 そこで、声をかけられた。

 顔を上げると、部屋着に着替えた真美が、目の前に立っていた。

「こんばんは」わたしは瞬間的に表情を取り繕う。

「何って、ポストから郵便を取ろうとしてたんですけど」

「いや、そこ、あたしの部屋ですけど? なんで中を見てるんですか?」

「え? ああ……104にお住まいのかたですか。嫌だなあ、わたしが開けようとしてたのは、こっちですよ」

 わたしは104の下にある、204のポストを指差した。

 安心させるように微笑みかける。表情も、口調も、言葉も、自然な会話に仕上げられたはずだった。だが、真美は疑いの表情を崩さない。

「あなた、昼間もいましたよね?」

 真美の言葉に、わたしはきようがくした。

「店の前まできて、あたしのことをじろじろと見てましたし、お昼もあとをつけてました。ああ、昼間は髪、下ろしてましたよね?」

 自信が音を立てて崩れていくのを感じる。今日の張り込みはよくできたと思っていただけに、同世代の一般人女性に見破られていたことがショックだった。

「あなた、興信所か何かですよね? 依頼人は、笠井満ですか?」

「何のことですか。笠井?」

「しらばっくれなくていいですから。あいつに言っておいてください。あたしがあんたのストーカーなんて、するわけないでしょって」

「ちょっと待ってください。どういうことですか?」

 どうも様子がおかしい。

「あなたで、三人目です」真美は、ため息をつきながら言った。

「どうせまた、笠井の身の回りで何かがあったんでしょ? あいつ、何かトラブルが起きるとあたしの仕業だって決めつけて、ストーカーをしてるとか因縁つけてくるんです。最初は鞄がなくなった、二回目は携帯が見つからなくなった、だったかな? そのたびにあたしが忍び込んで盗んだとか騒いで、探偵を送り込んできました。ほんと、いい加減にしてください」

 彼女の口調から、心底うんざりしていることが伝わってくる。

「ていうか、笠井はまだ言ってるんですか? あたしがあいつの金を狙ってるとかなんとか……。依頼人のことを言えないなら言わなくていいですけど、最初から金目当てなんかじゃありませんから。あたしは単純に、笠井のことが好みだったから、付き合ってただけです。あ、いまは大嫌いなんで、このことは伝えないでくださいよ」

 まくしたてる真美を見て、わたしは彼女の評価を修正しなければならないと思った。事前に想定していた人とは、明らかに別種の人間だ。

「判りました、認めます。確かに、わたしの依頼主は笠井さんです」

 腹を決めた。満とのことについて、きちんと聞いておくべきだと思った。

「でも、わたしが聞いた話では、同棲中に赤田さんは、財布やキャッシュカードを覗き見ていたとのことでしたが……」

「そんなことしてない。床に落ちてた財布とかカードを拾って、もとの場所に戻してあげてただけですよ」

「携帯や通帳を見ていたのも、同じですか?」

「ええ。笠井、整理せいとんとかできないんです。こっちが片づけてあげてるのに被害者意識の塊で、ギャーギャーおおに騒いで……そりゃ恋も冷めますよね」

「仕事をやめてお金を要求していたとも聞きましたよ」

「いやいや、ふたりで使うものを買いに行くんだから、半分請求するのは当然でしょう? 仕事をやめたのは転職のためです。あいつに食わせてもらおうなんて、思ってないですよ」

 真美はいらった様子で、ポストの中からピンクの封筒を取りだしてみせる。

「あたし、こういうの、つい忘れちゃうんです。別にお金に困ってるわけじゃありません。きちんと払ってますよ、馬鹿にしないでください」

「いえ、そんなことは思ってないです」

「あたし、自分の店を開きたくて、勉強中なんです」

 真美は、質素なアパートを振り返って言った。

「ようやく色々片づいて、自分のやりたいことをはじめられているんです。笠井なんかに構ってる暇はない。二度と関わるなと伝えてください」

「自分の店というのは、アパレルのお店ですか」

「あなたには関係ないでしょう、そんなこと」

〈色々〉が何を指しているのか判らないが、奨学金の返済でもあったのかもしれない。学費を稼ぐためにキャバクラや風俗で働く女子大生が多くいると、昨今問題になっている。

 赤田真美は、立派な人だったようだ。

 きちんとしているように見える人が、実はグズグズと腐っているケースはたくさんある。だが、こういうパターンもあるのだ。表面をぎ取った奥にあった彼女の〈人間〉は、真面目で堅実で、自分の人生を自分で切り開く強い意志を持っていた。

「判りました。お騒がせして、申し訳ありませんでした」

 しんに頭を下げた。

 調査は、これで終わりだ。意外な結果になったが、真美はストーカーなどではなかった。あとは満にそう報告するだけだ。


 だが、終わりなどではなかったのだ。一週間後、事態は急展開を迎えることになる。

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