第4話



 赤田真美、二十六歳。

 大学生のころからキャバクラで働いており、卒業後もしばらく夜の世界にいたそうだ。笠井満と交際がはじまったのは一年三ヶ月前、三ヶ月交際してから同棲を開始、そのタイミングで店をやめたが、共同生活は一ヶ月でたん。現在は、しぶのアパレル店でアルバイトをしている。

「しかし、目立ちますね彼女」

 渋谷センター街の雑踏の中、わたしと奥野さんは、十メートルほど先を行く真美を尾行していた。

 実際に見た真美は、写真よりも美人で、モデル並みだった。

 ダンガリーシャツにフリルつきのミニスカート、ドットのリボンが巻かれたキャノチエ。今風の流行を取り入れたファッションで、スタイルのいい真美が着ると映える。秋の地味目な服が行き交う雑踏にあって、真美のさつそうとした姿は人目を引いた。

 駐輪場をあとにし、わたしは渋谷で奥野さんと合流していた。

 とりあえず真美を見ておこうと、昼前に彼女が働いているショップに行った。真美が働いている店は、満が共通の知人から聞きだしていた。十代から二十代の女性向けの店で、真美は接客をやっていた。夜の仕事で鍛えたのか、遠目からでも感じのよい接客をしており、真美の人付き合いの上手さが窺えた。

 いまは昼休みで、彼女が外に出てきたところを尾行しているのだ。

「彼女が働いているショップの求人調べましたけど、時給千三百円でした。キャバクラでの収入は判りませんけど、あんなにルックスがよければ、結構稼いでいたはずですよね。給料、三分の一くらいになってるんじゃないかな」

「嬢として稼げるかは外見だけでは決まらないものですが、まあ、人気が出そうな感じの女性ではありますね」

「笠井満と別れたあと、真美はなんで夜の世界に戻らなかったんでしょう? 人間、一旦上げた生活レベルを落とすのは難しいと思うんですけど」

「嫌々やっていた仕事だったのかもしれない。一度退職してしまうと、気持ちはなかなか戻りませんからね。当座の金が稼げる仕事をしつつ、次の展開に備えているのかも」

「次の男を探しているってことですか」

「まあ、そんなに都合よく見つかるとは思えないが」

「ということは、笠井満とヨリを戻したい動機は、あるということですよね」

「金に困っているのなら、そうでしょう」

 真美は、満の通帳やキャッシュカードに興味を覚えていたという。一ヶ月で破綻していなければ、どうなっていたのだろう。満は、真美に預金を吸い上げられていたのだろうか。そして真美は、まだそれをあきらめきれていないのだろうか。

 かい見えた希望の光を追い続け、ついには戻れないところまで突っ込んでしまう。探偵になってからの一年半で、不倫からギャンブル依存まで、ありふれた破滅の姿をたくさん見てきた。にぎやかで楽しげな雰囲気のここ渋谷センター街も、一皮けばそういうものがごろごろと転がっているだろう。

 雑踏の中、真美の姿が消えた。

 道端のサンドイッチ店に入ったのだ。五百円でランチが食べられる、ファストフードのチェーン店だった。

 わたしはそばにあったコンビニに入り、おにぎりや野菜ジュースを買った。食べられるときに食べておくのは、探偵の鉄則だ。

 戻ると、奥野さんは近くにあった交番の真ん前に立ち、サンドイッチ店を監視していた。こういうポジション取りをさっとできるのが、奥野さんの技術だ。交番の前に立っている人間を、道行く人たちはあまり警戒しない。

 昼食を渡し、ふたりで食べはじめる。真美は窓際の席で携帯電話をいじりながら、サンドイッチをつまんでいる。午前の仕事で疲れているようで、店頭に立っているときには感じさせなかった疲労が、顔ににじみ出ていた。

 ──彼女は、どういう人なんだろう。

 若いころから夜の世界にいて、恐らくは金目的で笠井満に接近した。それが破綻したあとは堅気な仕事をしている一方、ストーカーの嫌疑をかけられている。表面に浮かんでいる健康的な美貌の奥に、赤田真美というコントロールセンターがある。彼女の〈人間〉はどんな形をしていて、どんな回路が通っているのか。

 興味を惹かれる。探偵という仕事の、一番しい部分だ。

「……また無茶をしましたね、みどりさん」

 突然、奥野さんが言った。話を切りだす機会を待っていたような、改まった口調だった。

「何のことですか? 無茶?」

「さっき、会社に電話があったそうです。今朝、私有地に勝手に入り込んで居座った榊原という女は、おたくの社員かって」

 駐輪場の管理員に、通報されたのだ。名刺を渡した時点で会社にクレームを入れられる可能性は考えてはいたが、こんなに早いとは。思ったよりも怒らせてしまったらしい。

「なぜ、そう無茶ばかりするんですか」

 奥野さんは、真美から目を離さずに語りかけてくる。わたしも、同じほうを見ながら答えた。

「いやー、でも、今朝のことは、私有地に居座ったってほどじゃないですよ。少しだけ、しつけに話を聞いただけでして……」

「去年の八月。あなたは被調査人マルヒの自宅の庭に忍び込んで、住宅の壁越しに盗聴をした。これは刑法一三〇条〈住居侵入罪又は建造物侵入罪〉に触れている。見つかって警察を呼ばれていたらあなたは捕まっていたし、会社ごと行政処分を食らう可能性もあった」

「あれは、あー……手がかりがなくて、ああするしかないと思ったんです。もうやりません」

「その二ヶ月後。あなたは家出少女のしつそう調査で、ひとりで勝手に潜伏先まで乗り込んでいき、女をかくまっていた男と鉢合わせた。男は脱法ハーブスパイスを吸って、ラリっていた。錯乱した男は、持っていたナイフで、あなたを刺す寸前まで行った」

「まあ、あれは、ちょっと深追いしすぎたかな。反省してますよ、はは……」

「死ぬぞ、そんなことやってたら」

 奥野さんの言葉が、圧を増した。

「あなたは、おかしい。危機に対する感覚が壊れている」

「いやあ……すみません。ご心配おかけして」

「警察にも、あなたのような人がたまに入ってくる。非日常が味わえるから──心拍数の上がる現場にいられるから──そんな理由で就職してくる人がね。その後大人しくなってく仕事に順応できる人もいたが、危険な現場に突っ込んでいって、それきり戻ってこられなかった人もいた。あなたもこのままだとそうなる」

「死ぬのは嫌ですね。長生きしたいです」

「それなら、無茶はやめることです。人間は、簡単に死にます。そのときに苦しむのは、死んだ当事者じゃない。周りの人間ですからね」

 ありふれた破滅は、ごとではない、ということか。

 奥野さんは口を閉じた。沈黙の中に、わたしからの返事を待っている気配がある。

 こんな風に言ってくれる人がいるのは、ありがたいことだと思う。

 会社の中には、わたしを忌み嫌っている人も少なくない。いい大学を出た社長の娘が道楽で入社してきて、やりたい放題やっている──そう見られても、仕方ないと思う。いまは謙虚に、目立たず、新人らしく、黙々と仕事をこなして信頼を積み上げていくべき時期なのだ。全部承知している。

 ふと、二年前の京都での調査を思いだした。

 真相を暴けば、わたしは友人を失い、ひとりの女性を決定的に傷つける──判っていたけれど、止められなかった。

 ──自分のさがを、後天的に直せるのだろうか?

 最近たまにそんなことを考える。人が、心の奥に隠し持っているものを見たい。秘密にされればされるほど、暴かずにはいられない。わたしはどうやら生まれつき、そういう厄介なものを抱えている。

 問題なのは、それを直せるのか、だ。が光に集まるのを、修正することはできるのだろうか。修正できたとして、もはやそれは蛾と呼べるものなのだろうか。

 わたしは、かばんの中にあるデジカメの存在を感じていた。

 様々な写真を撮ってきた。世界の裂け目の向こうに、一瞬だけ垣間見える〈人間〉の姿も、何度かとらえることができた。このカメラは、わたしそのものだ。暗いところから、無機質な目で対象を見ることこそが、わたしという人間の本質だった。

 こんな探偵は、組織にいないほうがいいのだろう。さっさと独立し、個人で活動するべきなのだと思う。サカキ・エージェンシーはいま、業界大手への道を駆け上がっている最中なのだ。父の顔に、娘が泥を塗るわけにはいかない。

「どうですか、みどりさん」

 奥野さんが追撃してくる。いままで何度か奥野さんには忠告を受けていたが、今日けりをつけようとしているようだ。

 だけど、噓をつくことはできない。

「じゃあ、奥野さん、助けてください」妥協するように、わたしは笑顔を作った。

「なるべく、性格を変えられるように頑張ってみます。でも、すぐには直せないと思うんです。危険な現場に、つい行っちゃうかもしれません」

「私の話を聞いてました? つい、じゃないでしょう」

「将来的に直すように努力します。だから当面は、わたしが危ないことをしてたら、止めたり助けたりしてくれませんか? 奥野さんなら頼りになります」

「あなたねえ……真剣に考えてるんですか」

「はい、真剣ですよ。真剣だから、こういう答えになります」

 奥野さんはあきれたように、ため息をつく。

「考えておきます。とにかく、くぎは刺しましたからね」

 ちょうど真美が食事を終え、店の外に出てきたところだった。

 わたしたちは何の合図もなしに、再び彼女のあとを追いはじめる。

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