第3話



 初日の調査を、わたしはいつたん、ひとりではじめることにした。

 満が〈おかしな悪戯がされた〉と語った駐輪場が、わたしの自宅の最寄り駅・越谷にあるものだったからだ。駅を挟んだ反対側だが、満とわたしは最寄り駅が同じ距離に住んでいたのだ。

 駐輪場は、とある区画にサイクルスタンドが並ぶ様式のものだった。公営ではなく民間会社の運営で、ネットで調べると百台が停められると書いてある。

 朝七時。駐輪場の入り口には小さな管理員室があるが、まだ誰もいない。ゆっくりと現場を確かめたかったので、地の利を使って早朝にきたのだ。

 サイクルスタンドには、順番に番号が振られている。契約形態はつきぎめのみで、時間借りはできないようだ。入り口に「契約者募集中」と張りだされているので、空きはあるらしい。

「36」と番号が振られたスタンドの前に立ち、デジカメで撮影した。満が契約している番号だ。

〈あの日、仕事から帰って駐輪場に向かったら、自転車がなくなっていたんです〉

 二週間前。満は朝、駐輪場に自転車を停め、仕事に向かった。その日は残業があり、越谷に戻ってきたころには二十一時を過ぎていた。暗がりの中「36」のスタンドに向かうと、停めていた自転車が消えていた。

〈ひと目見て、やられたと思いました。ビアンキの新しいクロスバイクでしたから、いい値段で売れる。でも、そうじゃなかったんです。自転車は、別のスタンドに移動されていました〉

 わたしは「99」のスタンドまで移動し、撮影をする。駐輪場の隅にあるもので、その日、満の自転車はなぜかここに移動されていたらしい。

〈要はただの悪戯だったんですが、悪質なやつでした。かけたはずの錠がどっかに行っていて、前輪と後輪が錐か何かでパンクさせられてましたから〉

〈錠はどんなものだったんですか〉

〈ダイヤル式のワイヤーロックです。どうやって壊したんだろう? 一番強力なやつを、自転車屋で選んでもらったんだけど〉

 満はそう言って、青いビニールの破片を机の上に置いた。ワイヤーロックをコーティングしていた素材の切れ端で、「36」のスタンドのそばに落ちていたそうだ。

〈あんなもの、プロの手にかかったら紐が巻いてあるのと同じなんですけどねえ〉

 満が帰ったあと、奥野さんが教えてくれた。ダイヤル式のワイヤーロックはボルトクリッパーを使えば一瞬で切断が可能で、百円ショップのニッパーでも頑張れば切れるそうだ。

 切断できない錠はないと、奥野さんは言った。強固なU字ロックやチェーンロックであっても切る方法はあるようで、結局目立つ場所に置かない、錠を複数かける、スタンドや電柱などを巻き込んで地球ロックをするなど、対策を積み上げて窃盗犯を遠ざけるしかないらしい。

 ただし、満の自転車は窃盗されたわけではない。

 犯人は錠を切断しているのに、なぜかクロスバイクを持ち去ってはいない。別のスタンドまで動かし、タイヤをパンクさせただけだ。転売できる自転車を破錠までしたのに、なぜ持ち帰らなかったのか。

 そこで出てくるのが、赤田真美だった。

〈真美は、僕があのビアンキを気に入っていたことを知っていました。これは、あいつの構ってちゃんアピールですよ。僕の大切なものをめちゃくちゃにすれば、怒って連絡がくると思ってるんだ〉

 確かに、ストーカーの仕業と考えると、一応は筋が通る。

 相手のお気に入りのアイテムを傷つけて嫌がらせをしつつ、犯行の陰に自分がいることをそれとなくアピールする。わざと怒らせることで接点を持とうとするのは、ストーカーに見られる傾向のひとつだ。

 だが、それは真美が本当にストーカーならば、だ。いまはまだ、何の証拠もない。

「……ちょっと、あんた、そこで何してんの?」

 そこで、声をかけられた。

 振り向くと、げんな表情をした老人が立っていた。

 駐輪場の管理員のようだった。見慣れない女が駐輪場の隅で考え込んでいるので、怪しんだのだ。

「あ、すみません。はじめまして……」返事をしながら、応手を考える。

「実はわたし、こういう者でして……」

 サカキ・エージェンシーの名刺を取りだし、管理員に渡した。ジャーナリストのもの、一流商社のもの、名前だけが書いてあるものなど、名刺は七パターン持っている。名刺の使いかたは、探偵の隠れた腕の見せどころのひとつだ。何の名刺を使うかによって、相手から引きだせる話は全く変わる。選択を間違うことも多いが、今回は確信を持って素性を明かした。

「調査業って……探偵さん?」

「はい、そうです」

「へえ、あんたみたいな若い女性がねえ……ここで何してるの? 面倒ごとはごめんだよ」

「実は、人捜しをしていまして……」

 警戒している人間──それも、組織を背負って話す立場の人に真正面から話を聞いても、ろくな情報は引きだせない。こういうときに大切なのは、ことだ。

「この人、ご存じですか?」

 わたしはいきなり、笠井満の写真を見せた。

「知ってますよね? この駐輪場と契約している、笠井って人ですけど」

「……おい、いきなりなんだよ? しつけにもほどがある」

 予想通り、管理人は面食らったようだった。そう言いながら写真を見つめ、おもむろに左上を見る。

 わたしは間髪れずに、もう一枚写真を出した。

「この人はどうですか? この人も、契約者のはずです」

 赤田真美の写真だった。管理員は一瞬だけ目を泳がせると舌打ちをし、管理員室に向かってきびすを返した。警察か警備会社を呼ぼうとしているのだ。「すみません、失礼しました」足早に立ち去るわたしの背中に、「おい、待ちなさいよ」という管理員の声が飛んでくる。わたしは歩みを速め、その声を振り切った。

 目的は、達成していた。

 管理員のような立場の人が、顧客情報を部外者に教えてはくれない。だから、ちょっとした技を使った。

 最初に、確実に知っている人の写真を見せ、管理員の反応をうかがったのだ。笠井満の写真を見たとき、彼は記憶を探るように固まり、わずかに左上を見た。それが、知っている人を見たときの、彼の仕草だった。

 そして、赤田真美の写真を見せた。

 管理員は固まったあと、一瞬だけ左上を見た。満の写真を見せたときと、同じ反応だ。

 管理員は、赤田真美を知っている。

 真美はあの駐輪場で、目撃されているのだ。

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