第3話
鈴木しおみはうなされていた。
定期的に見る悪夢は、幼い頃経験した地獄のような日々を繰り返すというものだ。
幼さにしか自分の価値を見出せず、少しでも長い間アイドルでいられるようにと成長に怯えた毎日。幼さだけがお前の取り柄だと言ったのは誰だったか。今はもう名前も思い出せない大人は、夢の中では顔の見えない大きな影になって今も怒号を振りまいていた。
いつものように早朝に目を覚まし、今日もあの夢を見てしまったと暗い気持ちでカーテンを開ける。今日も有象無象としての一日が始まる。特別なことなんて起こらない、いつもと変わらない一日が。
しおみは小学生時代、札幌でアイドル活動をしていた。
アイドルになれなかった母親が、しおみに託した夢だから。大好きな優しい母に褒めてもらいたいから。だから頑張る以外の選択肢がなかった。
しかし歌もダンスもさほど得意ではないしおみは怒られてばかりだった。降り注ぐ怒号に毎日怯えながら過ごし、繰り返し価値がない、お前は必要ないと言われ続けた。それでも応援してくれる人はいた。優しい言葉をかけてくれた。しかし大人たちは、それはしおみの幼さに釣られているのだと笑った。
「ロリコンにしか好きになってもらえないアイドルって価値ないよね?何でここにいるの?」
ごめんなさい。絞り出した言葉は無視された。
価値のあるアイドルとは一体何なのか、当時のしおみにはよく分からなかった。今なら都合よく洗脳できる人間を欲していたのだと、何となくそう考えたりするが。
それでもしおみはアイドルが好きだった。自分がステージを降り父の地元で暮らすことになってからも、アイドルという概念を愛し続けてきた。そして、いつかまた自分が「アイドル」になる日を虎視眈々と待っていた。
しかし中学入学を期に越してきたこの町は、事務所どころかライブハウスもないような田舎である。そのチャンスはなかなか巡って来ず、もうこのまま平凡な日常を続けるのだろうなと半ば諦めていた。
しかしその日の放課後、転機は訪れた。
「おいお前、アイドルになれ。」
ずっと待っていた言葉をくれたのは、不愛想な不良少女だった。
心臓が高鳴る。しかし真意が見えない。具体的な話を聞かずして話に乗るわけにはいかない。
「ヤンキー風情がアイドルと何の関係が?わたくしにも理解できるよう百四十字以内にまとめて提出なさい。話はそれからよ。」
急いで家に帰り、この少女の身元を探ってもらわないといけない。しかし、それより先にこのことを母に伝えたいと思った。
「おかえりなさいませ、お嬢様。」
生憎母親は外出中で、使用人の鉄原がしおみを出迎えた。
「ただいま帰りましたわ。鉄原、ママは?」
「本日奥様は、旦那様の会社の皆さんと会食でございます。」
それなら今日は両親共に帰りが遅いだろう。母の帰りを待つ時間は寂しいが、先ほどの出来事を話す前に情報を仕入れておくことが出来る。
「鉄原、調べてほしい人物がいるわ。髪をピンク色に染めた工業高校の女子生徒よ。」
「承知しました。しかし……どうされましたか?」
鉄原は怪訝な顔をする。
「わたくし、彼女と一緒にアイドルになるわ。」
少女の名前は田中みさき、工業高校の一年生。家族構成は両親と兄。兄の深雪は札幌で働いていたが、半年前に精神を病んで実家で引きこもっているという。
「この田中深雪という男性ですが、五年前にお嬢様の出演なさったライブに足を運んでおりますね。確か相当なアイドルマニアだったと記憶しております。」
なるほど、見えてきた。兄を元気づけるためにアイドルになろうと考え、そのためにアイドル経験者のしおみも誘ったというところだろう。
「みさきさんに犯罪歴や反社との関わりはないかしら?」
「ありません。いたって平凡な家庭で育った平凡な高校生といえるでしょう。」
「わかった。では鉄原、みさきさんの家へ伺うわよ。」
みさきは歩いて帰宅途中だった。その後ろをゆっくりと車でつけていく。
「お嬢様、これでは不審者です。車を降りて直接声をかけた方がよろしいかと……。」
鉄原はそう言ったが、しおみはかなりのコミュ障のためそれはなかなかハードルの高い提案だった。
「うぜーーっっ、何なんだよ!警察呼ぶかんな!!!」
しかし、みさきはついに振り返って苛立ちをあらわにした。
「お嬢様、覚悟を決めてください!」
「ん、んん……仕方ないわね!」
しおみは冷や汗をかきながら車のドアを開けた。
「あ、あんた……!」
「ごきげんよう、田中みさきさん。」
先ほどは名を名乗られていないのに、うっかり名前を呼んでしまった。しかしみさきは気付いていないようだ。
「何であたしをつけてきたんだ?」
「ふふ、あなたアイドルになりたいんでしょ?お見通しですわ!」
「は?」
「違いますの!?」
みさきはきょとんとしている。
「ちげえよ……?アイドルになるのは、あんただ。」
「あなたは?」
「何であたしがアイドルをやるんだよ、アイドルっていうのは、こう……もっとふわふわしてひらひらしてるもんだろ。あたしには似合わねえよ。」
普通にそれは偏見だ。もしかしてこの子はあまりアイドルを知らないのではないか?
「あ、あなた……ちなみに、わたくしが承諾した場合、どうやってアイドル活動をさせるつもりだったんですの?」
そう言うと、みさきはしまったという顔をした。
「考えてなかった。」
「冗談でしょう!?」
一方その頃えともは、しおみの過去を探って暗い気持ちになっていた。
アイドルは夢のある存在である反面、搾取やハラスメントが横行する業界でもある。
そんなことは分かっていたが、同じ町で暮らす同世代の少女が、しかも幼い頃にその被害に遭っていた事実は少なからずショッキングだった。
しおみは、五年前に突然所属していたグループを解雇されている。運営は理由を「やる気が著しく低下しているため」としたが、ライブ後毎回しおみが激しく𠮟責されている様子を複数人の観客が目撃しており、そこから運営側に問題があったという噂が広がっていったようだ。
アイドルになりたい。でも、アイドルとは?
可愛い自分を表現しても許されたい。可愛い服が沢山着たい。都会で暮らしたい。でも、それはアイドルでなければいけないことだっただろうか。光には影がつきものだ、輝けば輝くほどきっと辛いことも増えるだろう。自分はそれに耐えうるだろうか?
ううん、と頭を横に振る。やめよう、現実を見るのは。鈴木しおみをアイドルにするのも、ワクワクするけどやめておいた方がよさそうだ。
そのとき、メッセージアプリの通知が届いた。先ほどのみさきからだ。
『助けてくれ。アイドルにされそうだ。喫茶うずらで待つ。』
えともが指定された場所に駆け付けると、そこにはみさきとしおみがいた。
「はじめまして、あなたが佐藤えともさんね。」
「は、はじめまして……。」
「えとも!助けてくれ!こいつ……あたしが一緒じゃなきゃアイドルやらないって言うんだよ!」
みさきは半泣きだ。
「でも、わたくしにアイドルになってほしいのでしょう?やると言っていますわ、あなたが一緒ならね。」
「何であたしが……。だから、あたしは歌も下手だしひらひらふわふわ~みたいなのとは無縁の人生送ってんだよ!」
「あ、鈴木さんアイドルやってくれるんだ。よかったねぇ!えともも、みさきちゃんがアイドルになるの賛成だな。」
「えとも!?」
しおみは水を持ってきた店員にホットケーキを注文している。自分は何を頼もうかと、えともはメニュー表を開いた。
「今日はわたくしのおごりですわ。お好きなものを頼みなさいな。」
「いいのか!?」
「えともはいいや、バイトしてるから自分で払うよ。」
みさきが「カレー食いてえ腹減ったから」と楽しそうに言うのに相槌を打ちながら、えともは一番安いレモネードを頼むことにした。
「鈴木さんはアイドルやる気になってくれたの?」
頼んだ品を待ちながら、改めてしおみに話を聞く。
「わたくしは最初からやる気でしたわ、詳しい話を聞いてみたかっただけで。佐藤さんもアイドル志望だと伺いましたけど?」
「え、えぇと……。」
話を振られたえともは言葉に詰まった。
「あ、あのね、鈴木さん。えとも、アイドル時代の鈴木さんについてちょっとだけ調べてみたの……。そしたら、ああやっぱりそういう感じなんだって思っちゃって、自信なくなっちゃったぁ……。」
しかししおみは「ああ、あのゴミ運営のことは気にしなくてよくってよ」と笑った。
「辛いことや苦しいことなんて、どんな仕事をしていたってあるはずよ。わたくしはたまたまハズレにあたってしまったから人より少し苦労しているけど、アイドルとして得られたものは沢山ありますわ。」
頑張って覚えた難しい振り付け、グループ内外の仲間との交流、そしてそれらを全力で楽しんでくれる観客の笑顔。それは、たとえ裏で何があったとしても、しおみの宝物なのだった。
「ある日、暗い観客席にあふれるライトの光が星空みたいだと言ったことがありましたわ。そしたら、そのあとの交流会でとあるファンの方が言ってくださったの。『自分たちにとってはしおみちゃんが星だよ』って。」
しおみは真っ直ぐな目で続ける。
「都会で満点の星空を見ることも、眩い星を間近で見ることも、本来なら出来ないことですわ。でも、アイドルならそれが可能になる。だからわたくしはまたアイドルになろうと思うの。誰かの星になることで自分も元気をもらえるなんて、こんな素敵なことはないわ。」
その言葉を聞いたみさきは、「分かった」と呟いた。
「分かった。やろうじゃねえか、アイドル。あたしは丁度誰かの星になりてえと思ってたところなんだ。」
みさき、しおみ、そしてえともは三人組のセルフプロデュースアイドルグループを結成することになった。
みさきとしおみはあまり地下アイドルに詳しくないため、知識が豊富なえともが正式に誘われることになったのだ。
「とりあえずSNSのアカウントを作ろう、えともは今あるのを使うね。あとは……いろいろ決まったらライブの主催者さんに売り込もう。」
「ライブはどこでやるんですの?」
「あ、あのさ……あたし衣装は白いワンピースがいいと思うな。」
「帰ってから詳しく説明するから!衣装については今度話し合おうねぇ。」
希望より不安の方が大きかった。
それでも、アイドルをやらずにはいられなかった。
自分が輝く場所を探すえとも、誰かを照らしたいみさき、そしてもう一度輝こうとするしおみ。目的は違えど同じ暗がりにある三つの星は、小さく、それでも確かに光り始めた。
はらぺこトライアングル 六月ミウ @takahashi_org
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