5-5

「――君が、柳珠葵?」


 一応石造りの、鉄格子で逃亡を阻んでいるはずの牢で、小道具店にいる時以上に、外からあれこれと人がやって来るのはどうしたことか。


「……どちらさまですか」


 今度は誰だ。

 思い切り「不審人物に思ってます」オーラを出しながら珠葵が尋ねる。


「ああ、失礼。私は御史台づきの中丞職を賜っているこう冲鋒ちゅうほうと言う。更夜部付密偵の呉羽――と言えば分かるのかな。彼からの依頼で顔を出させて貰った」


「え、呉羽? と言うか、中丞って……」


 更夜部付密偵って、何?

 怪しまれないように適当に名乗ったんだろうか……などと内心で首を傾げていた間に、灯りに照らし出されたのは丹劉帆よりは若いと思われる青年だった。


 そしてこちらはこちらで、御史中丞などと名乗っている。

 それは鄭圭琪と同じ役職ではなかったか。

 御史大夫、つまりは朱雪娜の副官職。


 ぐるぐると考えこむ珠葵に、高冲鋒は「ああ」と、軽く手を叩いた。


「鄭圭琪は御史台更夜部の中丞で、私は本店側の中丞だ。当代御史大夫である雪娜様には二人の中丞、つまり副官が付いていてね」


「それは知りませんでした」


 人ならざるモノを取り締まるのが御史台更夜部の仕事だが、本来の御史台は、王宮官吏の犯罪取り締まりや王都内商業店舗の行政監察を行うのが仕事だ。


 御史台と聞けば、普通は行政監察の部署の方を人は思い浮かべる。

 ただ、後発で更夜部が設立されて以降、そちら側の部署との区別の意味もこめて、近頃は「本店」と呼ばれることも多いらしいのだ。


 朱雪娜は、結界を張ると言う業務の特殊性から、更夜部にいることがほとんどだ。

 と言うことは、昼間の御史台はこの高冲鋒が事実上の御史台の長として公務の多くをこなしていると言うことか。


 呉羽が声をかけて、ここまで来させたとは言うものの、更夜部ではなく「本店」所属の人間となれば、本気の味方なのかがやや判断しにくい。


 珠葵がじっと見つめていると、高冲鋒は困った様に肩をすくめた。


「実は私は地方の監察から戻ってきたばかりでね。そうしたら、何故か御史台にも更夜部にも入れず締め出しを喰らっている文官が溢れていて」


「え」


「ただ文箱だけは行き来可能と言う、非常に面倒くさい状態になっているんだ。つまり公務は通常通りにこなせるから、皆、表立って文句を言いづらい」


「…………」


 珠葵の脳裏を一瞬、春宮皇太子・游皐瑛の姿がよぎる。

 彼の力であれば、そのくらいはしれっとやってのけそうに思えた。


「まあ、原因が何らかの術式であるならば私には通用しないから、実質私一人が出入り自由な状態になってしまってね。そうしたら、部署に入った途端にその呉羽って青年に声をかけられた。君と鄭圭琪との間に入って動いてくれないか……ってね」


 呉羽は、なんでまたそんな面倒な真似をして人ひとり巻き込んでいるのか。

 そう思ったのが表情かおに出たのか、高冲鋒の苦笑はそのまま変わらなかった。


「私に更夜部所属組の様な『力』が全くないのを見抜いたんじゃないかな。あらゆる『術』に引っかからないと言うのは、逆に特性だと」


 そう言って、暗闇でよく見えていなかっただけで、実は手に提げていた袋包みを取り出して軽く掲げてみせた。


「⁉」


 まさか、と目を見開いた珠葵を見て、高冲鋒の笑みは悪戯が成功した子供の様なそれに変わった。


「どうやら正攻法で許可を取っていては、に証拠隠滅を図られてしまうと思ったらしい。自分は許可を取りに行くから、先にこれらを君に渡して欲しい、と押し付けられてね」


「呉羽……」


 何て無茶を、と思ったものの、それだけ呉羽も余裕がなかったのかとすぐさま思い直す。


 あるいは『力』を押さえる布をかぶせてあるとは言え、見るからに呪われていそうな禍々しい短剣に、自分が触りたくなかったのか。


「ええっと……高様は、それを持っていても何ともない……?」

「何ともない、とは?」

「気分が悪くなったりとか……」


 珠葵から見れば、短剣なんかは黒い禍々しい靄で覆われているのが見えるくらいなのに、高冲鋒はまったくそれを感じないと言うのだろうか。


 じっと手提げの荷物と自分を見比べる珠葵の言いたいことに、どうやら高冲鋒自身が先に気が付いたらしい。


「言ったろう?私はそう言った『力』を持っていないのだ、と」


 もう言い慣れているのか、特にやさぐれた雰囲気はそこからは感じなかった。


 珠葵の様に自分の意志で『力』を扱える者はそう多くないとしても、誰しも大なり小なりの『力』はあって、何かしら悪意のある術にかけられると、身体に影響はあるのだと、前に聞いた気がしたのに。


 どうやら何事にも例外というものはあるらしい。


「少ない人はいても、まったく持たない人と言うのは初めてかも……」


「まあ、おかげで悪意のある術にはかかりづらいらしく、御史台の中で異様に重宝されていてね。問題の有りそうな領地の監察には、必ずと言って良いほど行かされる。――今日は何故か、戻るなり荷物運びを依頼されたわけだが」


 はい、と鉄格子の隙間から風呂敷包みごと荷物を差し出され、珠葵はおずおずとそれを受け取った。


 袋越しにも不愉快な感覚は多少なりと伝わってくる。


「今更だけど君、普段は更夜部が有害な魔物を退治した時に、後始末と言うか道具の浄化をしている子だよね? しかも次代の守護龍たちから認められていて、迂闊に何かすれば手を出した方に手痛いしっぺ返しがいくとか。……なのに、何故ここに?」


 素で不思議そうな表情を見せる高冲鋒に、珠葵は盛大なため息を溢した。


「……その話、王宮内でも結構有名だったりします?」


 一瞬低気圧渦巻く声になり、高冲鋒が微かに表情かお痙攣ひきつらせた。


「うーん……どうだろうね? 少なくとも御史台は、更夜部も本店も、役付きの者は皆知っているかな。後は当代いまの守護龍である龍泉様のお姿を拝見出来る王族や刑部、北衙禁軍の上層部とかかな? その辺りだと私もそうだけど、顔は知らずとも、少なくとも名前と立場は上層部から叩き込まれるからね」


「……ふっ」


「⁉︎」


 そこまで聞いて、つい鼻で笑うと言う未来の淑女らしからぬことをしてしまい、高冲鋒がギョッと目を見開いた。


「じゃあ、どうして誰も凌北斗あのバカにそれを教えなかったのよ――っ‼︎」


「え⁉︎ 何だい、急に⁉︎」


「いえっ、高様に八つ当たりしても仕方がないんですけど!  私が今こんな所に入れられているのは、凌北斗って言う何だかやんごとなきご身分の方のご落胤らしい子が姿くらませたことへの完全なる巻き込まれで!」


「……うん? 凌北斗? 君、知り合い?」


 凌北斗を知っているのか知らないのか。

 そしてこの人も珠葵が「親しい人物」枠に入っていると思うのか。


 珠葵は思わず抗議の声を上げてしまった。


「ホント、それについては断固抗議したいんですよ! 育ての父親が亡くなって辛いだろうことを差し引いても、思い込みと勘違いぶりが酷かったですから! アレは市井に置いておいた方が良いですって!」


「……ふうん」


「⁉︎」


 そこで高冲鋒の表情がストンと色を無くしたものに変わり、今度は珠葵が言葉を飲みこんんだ。

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