5-4

「すまんな、上司には返す刀で切って捨てられた。顔見知りには違いないのだから、自分のせいで牢に入れられていると知れば、罪悪感で表に出てくるかも知れん――とな。それは否定出来んだろう」


 珠葵が食事抜きも覚悟しはじめたそこへ、意外なことに丹劉帆が食事を持って現れた。


「何にせよ、脱走せずにいたのは正解だ。ここで姿をくらませていたら、我々に子竜らを捕らえる為の大義名分を献上するようなものだったからな」


「……っ」


 途中まで、姫天や呉羽の手を借りて逃げることも考えていただけに、劉帆の指摘に何も言えなくなる。


 でも一応は上司に話をしてみてくれたんだろう。

 却下されたとは言え、珠葵は不思議と腹が立たなかった。


 食事の間、世間話でも――と、思う程度には気さくに答えてくれたりするからかも知れない。


「丹様は陛下の親衛隊にいらっしゃるんですよね?」


 そして何となく口調も、さっきよりは丁寧にしてみた。

 何せ北衙禁軍副将と名乗ったくらいなのだから、相当に偉い人物には違いないのだ。


 年齢も30代後半くらいには見える。


 丹劉帆も珠葵の口調の変化に気が付いたのか、微かに口元を緩めた。


「ああ。陛下とて宮殿の奥にいらっしゃる事が多いと言っても、公務もおありだし、ご自身が狙われれば儀式をもってまじない返しをなさったりもする。玉座に常にふんぞり返っていらっしゃるワケではないぞ」


「……なるほど」


「それが?」


「いえ、何となくと言うか。よくここへ料理を持ってくることが出来たな、と。もちろん有難く……頂いて良いんですよね?」


 まさか何か盛ってやしないかと半目になる珠葵に、丹劉帆は笑い声を上げた。


「大したことを知らなさげな娘に盛る薬なぞない。勿体ない。せいぜい子龍らの隠し場所を吐かせる薬を盛るかどうかくらいだが、それはそれで後で守護龍りゅうせん様のお怒りを買っても困る。まあ、要は普通に食えってことだ」


 媚薬を盛る年齢でもなし、とまで堂々と言われてしまうと、かえって気が抜ける。


 疑心暗鬼になるのが馬鹿らしくなった珠葵は、開き直って口を付けることにした。


「ああ、そうそう」


 柔らかく煮込まれた鶏を口にする珠葵に、さも何でもないことであるかのように劉帆は口を開いた。


「それ、殿の指示で持って来ているからな」

「⁉︎」


 珠葵は驚いて危うくお皿を落っことしそうになった。


「殿下……って、春宮様ですよね?」


「公の場では『春宮様』とはあまり呼ばれないな。殿下の住まう宮の女官らくらいしか普段は言わない。皇太子殿下とお呼びするのが通常だが……たまに次期様と呼ぶ者もいたか? ともかく宮の女官を装って潜り込みたい、とかでなければ呼称は気を付けることだな」


「そうなんですね。分かりました」


 珠葵は姫天からその呼び名を聞いたから、そう言っていたに過ぎない。

 恐らく姫天が游皐瑛と遭遇する場所が春宮付近であり、女官がそう呼んでいたことしか姫天は聞いたことがなかったんだろう。


「……うーんと、丹様の部署は陛下直属と聞いたんですけど……?」


 それが何故、游皐瑛の指示でここへ現れたのか。

 

 珠葵がじっと丹劉帆を見ていると、ニヤリと面白そうに口の端を歪めていた。


「まあ、最優先が皇帝陛下と言うのは間違いないが『皇族の守護』と言う建前はあるぞ?」


「建前」


「理由があれば殿下への協力もやぶさかではないってこった。まあ、陛下以外の言う事は聞かん! って言う融通の効かんヤツもいるにはいるけどな」


 それは融通と言うより忠誠であって、むしろいいことなのではと思ったものの、海千山千の官吏が集まる王宮内では、一概にいいこととは言えないのかも知れなかった。


 珠葵は深く聞かないことにした。


「じゃあ、丹様には理由があるんですね? しばらくは手のひら返しはなさらない?」


 ちょっと信用してみた途端に裏切られでもしたら、目も当てられないじゃないか。


「おぉ、手のひら返しなぁ……嬢ちゃん、その年齢でなかなかしっかりしてるな?」


 やはり年の功か、ちょっとやそっとでは堪えないらしい。


「まあでも、私は『ひと晩葉華と過ごさせてやる』と言われたからな。喜んで殿下の『頼み』を受け入れて、こうして食事を持って来たワケだ」


「な……」


 手のひら返しはどっちだ! と叫びかけ、珠葵は馬鹿らしくなって止めた。


 南陽楼の葉華と言えば、当代一とも言われる妓女で、ひと晩彼女と過ごすのには下っ端官吏の給料ではとても追いつかないとさえ言われている。


 そんな権利で動くなとも言いたいが、それは充分に手を貸す理由になり得ることも確かなのだ。

 ……とても「そんなので買収されるな」とは、言えない額になる筈だから。


「丹様は葉華ねえさんがお好きなんですね」


 他に言いようもなく苦笑した珠葵に、丹劉帆も同じような笑みを返した。


「あれはいい女だ」

「はい」

「嬢ちゃんが10年たっても、ちょっと厳しいかもな」

「う……」


 その通りなので、言葉もない。


「言っておくが、私はどこぞの店の若旦那とやらのように、妓女を利用して情報を得るようなことはせんからな。そんなことをすれば、葉華から生涯南陽楼出入り禁止を言われてしまいかねない」


「ああ……言いそうですね、すごく」


「上司やは勘違いをしているが、私は葉華だから良いのであって、妓女と遊べれば何でも良いというわけではない」


「……身代傾きますよ」


「言ってくれるな。だがまあ、葉華のためならそれも良かろうよ」


 小道具屋にいれば、葉華目当てで南陽楼に来る客を見かけることはあるし、その入れ込み具合も様々だ。けれどこの丹劉帆は、その中でもかなり重い愛を葉華に捧げているように見えるのだ。


 南陽楼に通うために身代を傾ける男は実際にいるため、珠葵もついそう声をかけてしまった。


 余計なことかとは思ったけれど、劉帆は機嫌を損ねた風でもなく「分かっているとも」と、鷹揚に笑った。


「……じゃあ」


 その劉帆の鷹揚さに甘えて、これならどうだと珠葵は切り札を出すことにする。


「ここから出してお店に帰らせてくれたら、葉華姐さんに『丹様が如何にいい人か』をたくさん説明してあげます」


「…………」


 手応え次第で「冗談です」と逃げられる空気を出しつつ、珠葵がそう言ってみれば、実際には珠葵の想像以上に劉帆には刺さったらしく、うっとそこで胸を押さえていた。


「……馬鹿らしいと思うかも知れないが、存外それは私には有効なだと言えような」


「じゃあ……!」


「まあ、でも、さすがに今すぐは無理だな、いくらなんでも」


 珠葵が恨めしげにじっと丹劉帆を見れば、どう受け取ったのか「其方のその仕種では、まだまだ私は動けんぞ」と笑われてしまった。


「き、基準が葉華姐さんでは無理難題ですっ」


「くくくっ、怒るな怒るな。今すぐは無理だが、とりあえず食事は保証してやるし、私は、今は敵ではないと覚えておいてくれ。殿下もそうすぐに動ける立場の方ではないから、伝えたいことが出来れば私が都度間に入ることくらいは出来る」


 だから葉華にはちゃんと私のことをアピールしておいてくれ、とそこは真顔で丹劉帆は遥かに年下の珠葵に対して念押ししていた。

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