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丹劉帆が珠葵を置いて牢から去った後、しばらくの間辺りは静まり返っていた。
王宮の牢ともなれば、物理にしろ思想にしろ、犯罪者が他にも放り込まれていてもよさそうなものを……静かすぎるくらいに、静かだった。
「!」
カツン、と石造り牢の中で響く足音があった。
どうやら、また誰か来たらしい。
「せめて
本人が来たら効果的な厭味になるだろうと、聞こえる様に言ってみたけれど、返事の代わりに低い笑い声が微かに耳に届くだけだった。
「子龍の侍女は威勢が良いな」
声の主は、凌北斗でも丹劉帆でもなさそうだった。
ただ、丹劉帆と同じ様に「子龍の侍女」と呼ばれることだけは、少し気になった。
「……その『子龍の侍女』って、さっきここに来た人も言ってた。何? 何の話?」
「さっき?」
どうやら禁軍にも多少は目端の利くヤツがいたか、と呟いているのが聞こえるけれど、珠葵には何のことだか分からない。
「子龍の侍女」
「子龍の侍女じゃなくて、柳珠葵」
「ああ、そうだったな。朱雪娜の秘蔵っ子」
「!」
不意に出て来た雪娜の名前に、珠葵が思わず息を呑む。
「かつて雪娜が拾った子ども。国の守護龍たる龍泉が、唯一己が子に触れさせることを認めた子ども。だからこそ王宮内ではおまえは『子龍の侍女』としてその名を知られている」
「……本人が、そんな呼び名初耳……」
足音が更に近付くなか、男は「そうだろうな」と、淡々と珠葵に話しかけてきた。
「守護龍とその子龍を支配下に置こうとしておまえに食指を伸ばす輩が出ぬよう、これまでは雪娜が守りを固めていたのだから、知らずとも不思議なことではない」
一定の距離から近付くことのなかった丹劉帆と違い、この男は気にしないとばかりに珠葵の方へと歩み寄ってくる。
薄暗い牢の中、かろうじて照らされた松明の光の届くところに、足先から少しずつ灯りが照らし出されていく。
「……いいの?顔を晒しても」
「見ただけで分かるのか?」
「前に会っていたとしても一度じゃ無理。それに暗いし」
「なら気にするな」
珠葵も小道具店の店番をしている以上、他人の顔と名前を覚えるのは苦手な方ではない。
それでも近寄ってくるスピートが落ちないと言うことは、よほど顔を晒したところで、自分には何の不利にもならないと自信があるんだろう。
「
下僕って。
灯りの下、姿を現したのは雪娜と同じくらいの年齢に見える濃い髪色の青年だ。
黒いのか青いのか、牢で灯される灯り程度では、濃い髪色だと言うことくらいしか分からない。
長い髪を緩めに結わえて、片側の肩に長尾鶏の尾のごとく髪を垂らしていた。
ただし髪型は適当そうでいて、着ている服は王宮内でも片手の指でこと足りそうなほどの高級仕様だ。
このアンバランスさをどう判断すれば良いのか。
珠葵にはすぐさま判断がつかなかった。
「ほらみろ、私が何者なのかなど、些細な話だろうが」
「それは……そうかもだけど……」
「開き直って早めに身体を休めておくんだな。更夜部が動けるようになったら、
それは、あまりよろしくない。
そうは思えど手持ち無沙汰なのもまた確か。
「じゃあ、貴方がお話して下さい。このままじゃ色々と気になって眠れません」
「――――」
無為徒食に耐えられないとばかりに珠葵が叫ぶと、青年は「ふむ……」と、一瞬考える仕種を見せた。
「私とて、ここにいることが知られるのはあまり良いことではないんだがな……」
「北衙禁軍の人じゃないんですか?」
「ああ、違う。そうだな、何と言えばいいのか――」
【珠葵ぃ――っ‼】
そこへ、二人の会話を遮るには充分な「声」が、少なくとも珠葵にの耳には聞こえてきた。
頭の中に響いているこの「声」は――姫天だ。
【力が回復して、目を醒ましたらいないんだもん! 姫天びっくりした! 呉羽が、珠葵捕まった、連れていかれたって教えてくれた! 姫天心配した――!!】
一般人にとっては、どこからともなく現れた白い貂がきゅいきゅいと叫んでいるだけだ。
牢の鉄格子越しに立つこの青年はどうなんだろうと、恐る恐る様子を窺っていると、青年の目はハッキリと、珠葵の足元を駆け回っている白い貂を捉えていた。
「……
「……っ!」
「しかも随分と懐いている。浄化をせずに従えているのは子龍兄妹だけではなかったのか」
「……えっと」
「雪娜の秘蔵っ子には、それに相応しい隠し玉があったと言うわけか」
明らかに自分を認識されている、と気付いた姫天の尻尾がピンっと立ち上がった。
【ひぇっ⁉】
うん。これは言い訳のしようもない。
どう隙を付いて碧鸞たちと同じ空間に押し込もうかと、ぐるぐる考え始めた珠葵に、不意に姫天の方が【あっ‼】と、何かに気が付いた風な「声」を上げた。
「……てんちゃん?」
ここは
【姫天、このヒト見たコトある!】
「え?」
【雪娜と一緒にいたことある!】
「えっ⁉」
二度目の「え」は、我知らず声が大きくなっていた。
けれど姫天はさらに、驚きの爆弾を珠葵の懐に投げ込んできた。
【このヒト、皆から「
「…………ほう」
開いた口が塞がらなくなった珠葵に、青年の方は面白そうに口の端を歪めながら、目線はしっかりと白貂の姿を捉えていた。
「近頃の魔物は、王宮内の高位貴族をも理解するか」
しかも姫天の発言を一切否定していない。
「――えぇぇぇっっ⁉」
三回目の珠葵の絶叫は、牢の中にも響き渡るほどの大声になっていた。
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