4-3

 李明玉の死体発見現場から逃亡――。


 そもそも、死体が見つかったことさえ知らないのにどう言うことかと、むしろ珠葵の方が聞きたいくらいだったが、相手は頭から話を聞く気がないみたいだった。


 南陽楼を引きずり出されて、問答無用で王宮内のどこなのかも分からない牢屋に放り込まれてしまい、放り込んだ男たちはそのまま出て行ってしまったのだ。


「説明しろ――っ!!」


 と、叫んだところで案の定誰もそれを聞いてくれなかった。


「もうっ!」


 そう地団駄を踏みつつ、仕方がないので憤然としたまま牢内の石造りの椅子に腰を下ろす。


「そもそも明明さんが亡くなったのかどうかさえ、知らなかったって言うのに!」


 仮に最後に彼女と会ったのが自分だったとしても、ここまで追い回される理由が珠葵には分からなかった。


「――ほう、威勢がいいな。子龍の侍女」

「⁉」


 いつ、どこから現れたんだろうか。


 鉄格子の向こう、暗闇の中から響いて来た声に、珠葵はぎょっと身体を強張らせた。


「だ、誰⁉」

「誰、か。本来であれば、そう敬意の欠片もない口をきける身分ではないのだがな」


 暗闇の声はちょっとムッとしているように聞こえる。

 と言っても、勝手にこんなところに放り込まれて、敬意もへったくれもないだろうに。

 と、珠葵としては主張しておきたい。


「敬意とは、敬うに値する人間にのみ払うものと教わったもので。ご自分のここまでの行動を顧みられて、そんな要素ありました?」


「…………ふむ」


 どうやらさっきの男たちよりは、話をする余地があるらしい。

 珠葵の問いかけに、何故か真面目に悩んでいるようだった。


「親か? 師か? なかなか秀逸なことを教えているな」


「私が一番尊敬も信頼も奉げている人の言葉なので、遵守一択。で、どなたが何のためにここへ? どうして私がここに放り込まれたのか説明は頼めるんでしょうか」


「……どうやらその様子では、凌北斗の行方は知らなさげだな」


「凌北斗?」


 うっかり「誰だっけ」と言いかけたところで、珠葵も遅れてそれがあの自分勝手の極みのような刑部の青年の名前だったことを思い出した。


「親しいのだろう? 共に街を歩いていたとの目撃情報がある」


「――親しい⁉」


 珠葵が名前を思い出すまでの「間」を訝しんだ男が、素で不思議そうに聞いてきたため、珠葵も怒涛の反論をぶつけてしまった。


「勝手に店に押しかけてきて街中を連れ回した間柄を『親しい』で括られたら不本意‼」


「……お、おう?」


 珠葵の剣幕に、暗闇の向こうの声は明らかにたじろいでいた。


「では其方そなた、凌北斗から何かを預かって、あの現場から立ち去ったのではないと?」


「誰よそんな嘘八百を報告して仕事に手を抜いているヤツ。私が上司ならぶん殴ってボコボコにしてやるけど⁉」


 そう叫んでシュッシュッと殴る仕種をしてみたところ、返って来たのは真っ暗な沈黙だった。


「…………ちなみに其方そなたの店も、今、のだが、皆、どこへ?」


「――――」


 こちらとて歓楽街の只中で、もう何年も接客業を務める身なのだ。

 途中から相手の声色が変わったことには気が付いていた。


「……さあ? は気まぐれだし? いつもをあげる私もいないし? しばらくお店には寄りつかないんじゃないかなぁ?」


「ふうむ……そう都合よく物事は動かない、か」


「何か納得したのなら、今すぐお店に帰して。今日の売り上げパアなの、損害賠償請求したいくらいなのに」


「私個人はそうしてやっても良いが、まあその言い分は信じない者の方が多いだろうよ。何せそのくらい、凌北斗はこれまで誰ともつるんでこなかったのだ。刑部の者でもない其方そなたとの目撃情報があっただけでも青天の霹靂でな」


「鄭様――御史台更夜部の官吏とだって、目撃情報あると思うんだけど」


「それはそれで聞くだけ無駄だ。何かあっても誰も吐かん」


「……つまりはそれだけ私が舐められた、と」


「そうとも言うな」


 暗闇の向こうの声には、こちらを気遣う様子がまるでなかった。


「悪いが損害賠償請求とやらは、後日凌北斗にでも突き付けてくれるか。其方そなたが何も知らぬのであれば、こちらもそれを上に報告せねばならんのでな」


「上」


「無関係でいたいのであれば、これ以上は知らぬ方が良かろうよ」


「じゃあ帰らせて。何度も言うけど、私、無関係」


「言い分は伝えておいてやる。ただまあ、あまり期待はするな。出して貰えるとすれば凌北斗が見つかった時だろうな」


「……アイツ、いないの?」


 居ないからこそ、珠葵はこんなところに放り込まれているのだろうが、珠葵としてもそこは聞かずにはいられなかった。


「李明玉の遺体発見現場から早々に立ち去った後は行方不明。刑部も無断欠勤。探しているのは我々だけではない」


「アイツ――‼」


 叫んでみたところで、珠葵は牢の中。

 どうしようもない怒りと理不尽が、ふつふつと身体の中に湧き上がっていた。


「運が悪かったな、とでも言っておこうか? まあ人生すべてが自分の思う通りにいくものでもない。これも良い経験だと思って、本人が見つかった時にでもその憤りはぶつけるが良い。こちらはそこまで関知しない」


 そう言った声の主が、どうやらそのまま立ち去りそうな気配を見せてきたので、珠葵は思わず「名前聞いてない……!」と、相手を引き止めてしまっていた。


「……知ってどうする?」


「ここから助かった時に、親切にして貰ったって口添えする。ちなみにあとの、ここに放り込んだ元凶は、皆ボコる予定」


 珠葵が殴るのが無理でも、珠葵にはがいるのだ。


 言葉にしなかったところが伝わったのかどうかはともかく、一瞬の沈黙の後、声の主はその場で噴き出していた。


「…………はははっ!」


 そうかそうか、とかなりウケているのが暗闇越しにも伝わる。


「良かろう。私は北衙禁軍副将・たん劉帆りゅうほ其方そなた、南陽楼の柳珠葵だったな? 座敷に出る年齢になったなら指名をしてやろう! 葉華とはまた違った楽しみがありそうだ……!」


「なっ⁉」


 私は小道具屋の店番であって、妓楼の禿かむろじゃない……!


 そう反論するよりも早く、既に丹劉帆はその場から立ち去っていた。


 と言うか今の男、葉華姐さんとだけの地位もお金もあるのか。


 道理でここに来た当初「誰に口をきいている」風なことを言い切った筈だ。


「えぇ……そんなにエライならここから出してよ……」


 とりあえず、凌北斗。

 今度会ったら絶対ぶん殴る。


 結局珠葵は頬を膨らませながら、その場に居続けるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る