3-3

「珠葵。厨房の使用人が一人、腰を痛めたらしくてね。すまないが買い物だけ頼まれてくれるかい」


 妓楼・南陽楼の経営者であるえん子墨しぼくからの急な頼みで、この日の珠葵はまだ日の明るいうちから街中を歩いていた。


 警護も兼ねて、人の姿に変化した桜泉と、装飾品的に首に巻き付いている姫天とがそこに同行している。


 と言っても、食べ物関係の屋台を見るたびにそちらに吸い寄せられそうになっているので、二人(?)とも、単に買い食いしたくて付いて来たに違いなかった。


「もう! おせんちゃんも、てんちゃんも、買い食いはあと! 先に子墨さまから頼まれた買物済ませるよ⁉」


「そうか! あとで寄ってくれるのなら、我慢する! なあ、姫天?」

【うん! 姫天、いい子だから我慢する!】

「……あはは」


 知らない人が見れば、襟巻に話しかけるアヤシイ人だ。

 ビックリするんじゃなかろうかと、珠葵は思わず辺りを見回したが、幸か不幸か今の会話を聞き取れた人はいなかったようだ。


 夕餉用の魚や野菜を注文して、南陽楼に届けてくれるようにお願いをする。


 基本的には届いた時点で現物と代金の引き換えになるので、珠葵がお金を持ち歩く必要はない。

 南陽楼で働く人間であると言うことを示す割札を預かって、各店舗でそれを照合して、注文をするのだ。


 それでなくとも、珠葵は時折小道具店の備品、具体的には書き付け道具なんかの買い出しに外に出たりするので、割札以前に珠葵の顔を知っている店子も多かった。


「さて、と」

「【珠葵、終わった⁉】」


 子墨に頼まれた最後のお店を出て、ひと息ついたところ、桜泉と姫天が目ざとくそれに反応した。

 もう目ざとすぎて、珠葵は苦笑いしか出て来ない。


「とりあえず、串焼きとお饅頭ね。そんな大金持ち歩いてないんだから、高級食材は却下ね」


【串焼き!】

「おまんじゅう!」


 ――どうやら、桜泉と姫天にとっては、それで充分だったらしい。

 目を輝かせて、コクコクと頷いていた。


 元々、彼ら人外のモノたちは、珠葵が浄化を施した後、妖の力がこもる〝珠〟があれば生きてはいける。

 だが南陽楼に住む彼らは、珠葵と暮らすことで、人が食す食物の味を覚えてしまっていた。


 く・し・やきっ、とか、おまんじゅうっ、とか調子っ外れな歌を歌い始めた桜泉と姫天を(姫天の声は他の人には聞こえないが)止める気にもならず、珠葵も屋台が並ぶ区画の方へ足を向ける。



「――おい」

「⁉︎」


 どこかの店と店の間、奥へと向かう路地。

 進行方向ではなく、右手。それも日も差さず暗くなっていたため、最初、珠葵は普通にそこを通り過ぎようとしていた。


「おい、待てよ!」


 何だか聞き覚えのある声だとは思いながらも、串焼きとお饅頭に気持ちが飛んでいる桜泉と姫天を宥める方が遥かに面倒なので、珠葵は二度目の呼びかけも無視した。


 大体、おい、なんて名前の人間は知らない。

 それでいいだろう。


「……っ、待てって言ってるだろっ!」


 暗闇の路地から現れたが、珠葵の腕を掴もうと、手を伸ばしてきた。


「――ていっ!」


 だがその手は珠葵に届く前に、別の手によって思い切り叩き落とされていた。


「なっ」

「おせんちゃん……」


 手刀を真っすぐ、上から下へ。


 前を歩いていた筈の桜泉が、いつの間にか珠葵のすぐ傍まで来ていて、珠葵を捕らえようとしていた手を叩き落としていたのだ。


【姫天もいるからね!】


 そして姫天は、珠葵の襟巻のようになっていたのをやめて、珠葵の右肩で身体全体を怒らせながら、近付いてきた「影」の正体を威嚇していた。


「おまえ……おまえ、魔物を連れて歩いている――」

「わあぁぁっ!」


 御史台更夜部の存在は、監察官としての通常の御史台に比べると、知名度は低い。

 けれどまるきり隠された部署と言うわけでもない。


 この世の中、意外と人外のモノの存在は認知されていて、絵空事だとは思われていない。


 だが偏見がないかと言えばそうでもなく、つまりは「暗黙の了解」として、王宮の中も外もその存在は認知されている状況だった。

 自分達からその存在を必要以上に誇示しなければ良い。


 そう言う意味では、目の前の「彼」が叫んだことは、下策中の下策だ。


 目立たないことこそが、人と彼らとの共存の境界線なのだから。


 そして確信する。


 ――この男、やっぱり単細胞バカだ。


 珠葵たちの目の前にいたのは、昨夜珠葵の店で散々騒いで、南陽楼一の妓女・葉華にも、御史台更夜部の鄭圭琪にもこっぴどく叱られた筈の青年だった。


 確か、凌北斗……と叫んでいたような。


「アナタ、バカですか? いい年をして、バカなんですね⁉」

「な⁉」


 珠葵はなるべく周囲には聞こえないよう声を落として、それでもこちらの苛立ちと怒りはキチンと伝わるよう、声を上げた。


「せっかく、見なかったコトにしてあげようと思ったのに……!」

「なんだと⁉ それは、こっちの科白だろう! こいつら――」

「だーかーらっ!」


 珠葵は話が通じない苛立ちから、地団駄を踏む。


「刑部は昼間、人間の犯罪者を扱うところでしょう! って言うかそれ以前に、このおせんちゃんと、てんちゃんは、御史台更夜部も認める私のオトモダチ! 昼間に出歩いている時点で、特別個体に決まってるでしょうが!」


「特別個体だと⁉」


「知らないの⁉」


 人外のモノたちの活動時間は、ほぼ九割五分、夜半の時間だ。

 稀に陽の光の下でも活動が出来る力の持ち主もいて、それらが特別個体と呼ばれている。


 刑部宛、よほどのことが起きなければそれらのことは放置で良いと、御史台更夜部から連絡がいっている筈で、両者の間で協定が存在しているはずなのだ。


「ねえ。知らなかったの? 知ろうとしていなかったの? どっち?」

「……っ」


 冷ややかな珠葵の問いかけに、凌北斗が言葉に詰まって唇をかみしめた。


 ……どうやら後者だとみた。


「話にならない。出直して――」

「それでも! それでも俺は聞きたいコトがあるんだ!」


 しっ、しっ、と逆方向に追いやる仕種を見せる珠葵に、今度は凌北斗が90度以上頭を下げて、懇願の姿勢を見せた。


「頼む……っ」


「珠葵ぃ、放っておいて良いと思うよ?」


 そんな風に会話に入ってきた桜泉は、どうでも良いと言わんばかりにそっぽを身いた。


「それよりさ、串焼きとおまんじゅう食べに行こうよ」

「あー、そだね……」

【姫天も、それ賛成――!】


 人間どころか、人ならざるモノたちにまでまるっと無視されたこの状況で、凌北斗の方は、さすがにこのままでは埒が明かないと思ったんだろう。


 不意に「分かった、奢る!」と、そこで大きな声を上げた、


「串焼きでも饅頭でも、何でも奢る! だから、話をさせてくれ……っ」


「「【――――】」」


 珠葵と桜泉と姫天は、思わずと言ったていで顔を見合わせていた。

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