3-2

「さて、珠葵。君が預けてくれた短剣の話だが、率直な話、浄化をお願いするのはもう少し先になりそうだ。多分今夜も待っていてくれただろうから、まずはそのことを伝えておきたくてね」


 葉華が私室に下がった後、圭琪は珠葵にそう説明をした。


「恐らくはこの後、妓楼の開店準備の時間を見計らって、刑部も誰か事情聴取に来ると思う。事前に上層部同士での情報共有は済ませてあるから、通り一遍の事しか聞かないとは思うけどね。一応、その心づもりだけはしておいてくれるかい」


「あ、はい、分かりました。それはここにある、彼女が手放した品とは別に短剣がある話はしなくて良いってコトですよね?」


 上層部うえで話がついている、とはそう言うことだ。


 人ならざるモノが関わる事件に関しては、大抵が御史台更夜部と刑部との間で暗黙のうちに処理が行われる。


 市井に暮らす人々は、この世に人ならざる存在があると言う認識はあれど、たまに夜中に現れては、ちょっとした悪さをすると言った程度の認識だ。


 何か大切な行事を控えている場合には、区域をまとめている寺にお祓いを頼んだり呪符を売って貰ったりと、日常生活の中に対策が組み込まれていて、それほどまでに畏怖や恐怖の対象とはなっていない。


 ちょっと以上、つまりは命を奪うほどの強力な魔物が出た時には、寺からの依頼を受けた御史台更夜部の出番。


 そして浄化の後、そこに明確な犯人がいないと困る(魔物でした、では困る)場合の対処を引き受けるのが刑部であり、市井の人々は基本的にこの刑部の発表を公的真実として納得させられることになるのだ。


「話が早くて助かるよ。珠葵も随分と王宮の裏事情に詳しくなったものだね」


 そう言って苦笑する圭琪に、珠葵は「雪娜様の為ですから」と、右手の拳をぎゅっと握りしめた。


「鄭様の鬼より鬼らしい教育にも、ちゃんと耐えたんですから」

「……へえ」


 すっと半目になった圭琪の、目が笑っていない笑顔に、どうやら一言多かったらしいと珠葵も理解をした。


「それだけ言えれば、まだ大丈夫そうだ。いっそ官吏試験を受ける勉強も始めてみるか?」

「いっ……いえいえいえ‼」


 ぶんぶんと、音でも出そうなくらいに珠葵は首と手を横に思い切り振った。


「私はこのお店で、お仕事をして、おせんちゃんたちとここでワイワイやっていければ、それで雪娜様のお役に立てれば、充分です! それこそ私みたいなのが官吏になれば、知らない腹黒さんに足を掬われたりして、結果的に足手まといになっちゃう未来しか見えませんから!」


 王宮では、海千山千の官吏が出世競争に明け暮れていると聞く。

 そんなところに珠葵が入って、渡り歩いていけるなどとは到底思えなかった。


 鄭圭琪の様な人材でなければ、王宮の中では到底、朱雪娜を支えられない。


 このお店で、まじない具の浄化に手を貸していることが、今、珠葵が胸を張って出来る雪娜の補佐だ。


「……知らない腹黒さん……」


 どうやら珠葵の気合とは別の所で、圭琪には何かが愉快だったらしい。

 顔をそむけて、少しの間肩を震わせていた。


「そうだな……珠葵には、珠葵の強みがある。王宮の中にいることだけが、あの方をお支えする手段ではないな」

「はい!」


 頑張ります! と、気合を入れる珠葵に「頼もしいね」と、圭琪も微笑わらった。


「さっきの暴走少年のこともそうだが、これ以降、誰が君を訪れてきたのか、何を言ったのか、悪いけど逐一私に報告をして欲しい。今はまだ説明は出来ないが、少々繊細な案件になっているんだ」


「あっ、はい、分かりました」


「ではおやすみ、珠葵。良い夢を」


 昼夜逆転生活の妓楼においては、これ以上ない正しい挨拶を残して、圭琪は妓楼を後にした。


「じゃあ、今度こそ、お店閉めよっか」


 珠葵も、今は圭琪に聞いても仕方がないと割り切って、今は睡眠時間を確保することにした。




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 ――そして圭琪の言った通りに、午後を過ぎ、そろそろ妓楼を開ける準備をしなくてはと言う時間になったところで、珠葵の店に二人組の男性が訪ねて来た。


「我々は王宮刑部の官吏、かん浩然こうねんちょう雨桐うどうだ。御史台更夜部から話はあったかも知れんが、聞きたいことがあってこちらに参った」


 圭琪よりは遥かに年上に見え、年相応の落ち着きもある。

 そして何より、昨日のよりは断然落ち着いた、大人の対応であることに、珠葵の警戒も少し揺らいだ。


「はい、聞いてます。李明玉さんとここで会った小道具店の店主、柳珠葵とは私のことです」


「……うむ。話には聞いていたが、若いな……」


 口元に手をやりながら、管浩然と名乗った男性の方が、驚きも露わに呟いている。


 さすがに今日は珠葵も、大人げなく「明明」の名前を力説することはしない。

 とっととお帰りいただくには、ある程度は素直に答えるに限るからだ。


「だが、まあ、更夜部絡みとなれば、年齢を基準にしてはこちらが足をすくわれる。仕事と割り切って話を聞くより他はないだろうな」


 事実相手の方でも、必要以上に珠葵に突っかかろうとはしなかった。

 まったく、昨日とは雲泥の違いである。


 そんな珠葵の視線に気が付いたのか、二人の官吏は珠葵を見て苦笑を閃かせた。


「ああ、そんな疑わし気な表情かおをしないでくれ。昨日は刑部ウチの凌北斗が迷惑をかけたと聞いている。このうえ我々まで刑部の評判を落とすようなことはせんよ」


「このうえ何かをしでかせば、刑部全体で妓楼出入り差し止めと聞いているからな」


 管浩然の言葉にかぶせるように、張雨桐がそう、肩をすくめた。


 子供にする話じゃないだろう、と張雨桐の脇腹を突いた管浩然の方が、根は真面目なのかも知れない。


「だから今日は、必要最低限のことしか聞かんよ。何を持ち込んで、何を話したのか。御史台更夜部に話したことを我々にも聞かせて欲しい。管轄ごとに色々と決まりがあるからな。君にとっては二度手間になってしまうかも知れないが、そこは寛恕して貰いたい」


「更夜部から申し送りされた情報を、刑部としても鵜呑みにするわけにはいかないからな。その逆もしかり。情報の確認と思って貰えると助かる」


 二人の官吏の真摯な態度に、珠葵は事前の圭琪からの話もあったため、昨夜と同じことを、彼ら二人にも説明をした。


「信じる、信じないはお任せしますが……」


 ただ、最後にそんなことを言ってしまったのは、昨日の暴言を思い返しての嫌味もあったかも知れない。


 そうと悟った二人の官吏も、顔を見合わせ合って苦笑してみせた。


「いや本当に、凌がすまなかった」


「まあ、その……少しだけアイツのために言ってやるとすれば、アイツ、少し前に育ての父親を亡くしたばかりでな。色々と気が立っていたのかも知れない。君には関係のないこととも言えるが、頭の片隅にだけ置いてやって貰えると有難い」


「…………親を」


 微かに頬を痙攣ひきつらせた珠葵に、それ以上は――と、管浩然が同僚を止めていた。


「ああ、そうだな。余計な話だったな。では我々は引き上げさせて貰うよ。開店前の忙しい時間にすまなかった。店、頑張れな」


 どうやら張雨桐の中では、珠葵も何らかの事情を抱えて店で働く健気な少女……とでも位置づけをされてしまったらしかった。


 今度私的に妓楼に来た時には、ここにも差し入れをしてあげるよ、などと太っ腹なことを言いながら、生真面目な管浩然と共に、二人は帰って行ったのだった。

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