2-4

 黒曜石の様な、黒一色の光を放つ長い髪を、耳の横からひと房ほど垂らして、後は大きく結い上げて、いくつもの豪奢な髪飾りを煌びやかに添わせている。


 薄緑色の肩掛けは、少し背中側にずらして、腕で受け止めていて、首元から肩にかけては色白の肌が露わになっていて、珠葵でさえもその妖艶さに息を呑むほどだ。


葉華ようかねえさん!」


 南陽楼どころか、王都一と言っても誰も否定をしないだろう名妓・葉華が、店の奥からやって来て、早朝の騒がしい訪問客を睥睨していた。


「まあ、確かにこの坊やは勉強が足らないコトは確かだけどねぇ」

「なっ⁉」


 大抵の男性は、葉華のそんな視線を受ければ、コロリと何をしに来たのかを忘れて「お金を貯めて、客として来る!」などと叫ぶようになるので、妓楼内でトラブルが起きた際なんかの、仲裁の常套手段ではあった。


 多分、葉華もそれで引き下がってくれれば万々歳くらいに思っていた筈が、年齢が若すぎるのかどうか、青年はむしろ馬鹿にされたとの怒りを露わにしているように見えた。


「ふふ……どうやらこのは、まだ五年くらいは早かったようだね」


 とは言え、日々色々な客をもてなしている葉華だ。

 珠葵よりは遥かに冷静で、相手のあしらい方を心得ていた。


「珠葵」


 相手が激昂している内は、真面に相手をしても仕方がないとばかりに、珠葵の方へと話しかけてきた。


「ここ何日かの間に、店に客として明明めいめいは来たのかい?」

「えーっと……?」


 突然出てきた、また新たな名前に珠葵が小首を傾げる。

 やって来た青年の方でも、何の話だと言う感情を隠さず、葉華を睨みつけていた。


「明明……ああ、北陽楼の明明さんのコトですよね? はい、まさに今日、夜中にいらっしゃってましたよ」


 大店の若旦那にフラれたとかで、それまでに貰ったらしい贈り物を大量に持ち込んで、散々に愚痴をこぼしていった妓女――それが、明明だ。


 初めての持ち込みでもないため、珠葵でも顔と名前は一致している。


 短剣に関しては、御史台更夜部に「いわく付きの品」として提出したばかりだが。


 そう言えば目の前の青年は、さっき刑部官吏を名乗っていた。


 珠葵には王宮内の各部署の力関係が分からないので、今はその件については黙っておこうと、ただ、部屋の隅にある着物や髪飾りだけを手で指し示した。


「どこのお店の若旦那かは知りませんけど、もうお店には来ないんだとかで、泣いて愚痴ってもう大変でした」


「ああ、それだけ金払いの良い客だったんだろう。そう言う上客なら、確かに固定客として見込めなくなるのはイタかっただろうね」


「……っ、おい!」


 まるで青年の存在を忘れたかの様に会話を交わす二人に、青年が我慢も限界とばかりに声をあげた。


 ただその声は、葉華の目をますます細くさせただけだった。


「やれ、本当に使えない子だね」

「な⁉」

「今ので分からなかったのかい」


 多分、葉華は意図的に説明を後回しにして、相手をじらしている。

 出来れば私も説明して欲しいな……なんて、珠葵にはとても言えなかった。


 ただ葉華は、そんな珠葵を見て「ふふ……」と妖艶な笑みを浮かべているので、実は珠葵も分かっていないと言う事は、最初から織り込み済みでのこの態度なんだろう。


「ここで話を繋げて考えられないようじゃあ、御史台だか刑部だかは知らないが、出世は出来ないだろうねぇ……さて、そろそろ種明かしをしようか。珠葵この子の言う明明と、坊やの言う李明玉は同じ人物だよ。互いに片方の名前しか知らないから、話が通じないのさ」


「「⁉」」


 葉華の投げた特大の爆弾に、珠葵も青年もそれぞれに息を呑んだ。


「坊や。妓楼で働くからには、ワケありの子も多い。馬鹿正直に本名で働く子なんざ、いやしないよ。妓楼に入って、見習いを卒業する時に、妓楼の店主と相談をしてお座敷名を決めるのさ」


 珠葵この子は小道具屋の店主であって妓女ではないから、そのまんま本名だけどねぇ……?


 青年の疑問に先回りをする様な形で、葉華が微笑む。


「さしずめ、その、珠葵の言う『若旦那』とやらの店で何かあったんだろうよ。そして店の方では、若旦那が妓女に入れあげていた事までは知らずとも、そうだね……たとえば『小道具屋で働く李明玉』の下に通っていた、くらいの情報は把握していたんじゃないか? 妓楼通いを知られたくない旦那がたがよく使う方便だからねぇ」


「なっ」


 青年の方は、馬鹿な……と目を見開いているけれど、珠葵の側からすれば、あまり驚く話じゃなかった。


 地方からの出稼ぎに来て、実は妓楼にいるなどと知られたくない妓女のために、働き口として小道具店の「看板なまえ」だけを貸す事もあるからだ。


 また、身受けされていく妓女が奉公先で蔑まれないようにと、この小道具店で働いていたのだとの「職歴」を提供する事もある。


 なので珠葵の店には、珠葵も知らない名前だけの小道具店店員が、山のようにいたりするのだ。


 そんな貸し小道具のアイデアも、妓女たちの働き口としての名貸しも、実は葉華と雪娜の二人がそう決めて、店を立ち上げたのだと珠葵は知っている。


 ここは帰るところのない珠葵のための店であり、妓楼でしか生きるすべのない妓女のための店でもあった。


「それはつまり、北陽楼の明明さんが、若旦那はともかくお店のかたには妓女だと知られたくなくて、南陽楼の小道具店で働く李明玉だと、外では名乗っていたって事ですか?」


 私の問いかけに、葉華さんは「そこの坊やより、よっぽど利口だよ」と、あてつけるように微笑わらって肯定していた。


「まあ、逆の場合もあるけどね。妓楼から出てくる若旦那とやらが、店子あたりに見つかって問い詰められて『妓女じゃなく、妓楼の小道具店で働く子だ』って、とっさに言い訳をした場合……とかね」


 なるほど。

 確かにどちらもありそうだな、と珠葵は納得した。


 隣でぶすくれている青年は、不満がありそうだけど。


「どうやって、それを証明する。俺に北陽楼へ行けとでも言いたいのかも知れないが、実は今ここでその女を匿っていて、俺が北陽楼へ向かったと同時に、ここから逃がすつもりじゃないのか。そうじゃないと、どうやって証明する」


「それは、単独行動をしている坊やの自業自得だろうよ。最初から相棒の一人でも連れて来ていれば、二手に分かれて行動が出来たんだからね。自分の不手際をこっちに押しつけんじゃないよ。ここは坊やが自分の責任で、行くか残るかを選ぶ話だ」


「……っ」


 口惜しげに唇を噛む青年に「それと」と、更に葉華が追い打ちをかける。


「アタシらは別に、坊やが北陽楼へ向かう事を薦めちゃいない。こう言う揉め事があると大抵が『妓女の方が誑かした』などと考える。だけど、その若旦那とやらが明明の意思を無視して、勝手に入れあげた挙句帳場の金に手をだしたって場合もあるだろうに。そうなった場合、北陽楼へ押しかけたところで意味なんてないだろう」


「……それは」


「やれやれ、せめてそのあたりの可能性を考えて、調べてからここへ来て欲しかったね。だから勉強が足りないって言うのさ」


 青年は、唇に続いて拳を握りしめている。


 これ、もう、今日は一時撤退するしか道はないだろうに、どうするのか。

 珠葵はこの事件はなしの行先が、やや不安だった。



「――今日はその辺りにしておいて貰えませんか、葉華」


 そこへ別の声が、店の外から突然割って入って来た。


 ギョッとなった珠葵や青年とは違い、葉華は軽く眉を動かしただけだった。


「随分と遅いご登場だ。部下の監督不行き届きじゃないかねぇ」


 その声に合わせる様にして、店の外から一人、中へと入って来る。


「――鄭様」


 数少ない、珠葵の王宮内の知人。

 鄭圭琪の登場に、珠葵はようやく、ホッと一息をついた。

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