2-5

「さすが、手厳しい。ですが言い訳をさせて貰えるなら葉華、彼は私の――御史台の部下ではないのですよ」


 迫力ある美女の睨みに、鄭圭琪は困った様に微笑わらっていた。


「しかも今回は、私情込みの彼の勇み足。せめてこの後連れ帰ると言う事で、今日はご容赦いただけまいか」


「おや。部下ではないと言いながら、説教は出来るのかい」


 説教⁉と、葉華の言葉に分かりやすく反発している青年を「北斗」と、圭琪が低くたしなめめた。


「おまえは今、説教を受けても仕方のないことをしたと言う自覚は持った方が良い」


「なっ……」


「この時間帯は、刑部はまだ動いてはならない。御史台更夜部の時間だ。その上、南陽楼ここに押しかけて来たと言う事は、李明玉が店の売り物を盗んで小道具店に売り払いに来たと言う店の主人あるじの言い分を鵜呑みにしたな? あらゆる点で、おまえの行いに弁護の余地はない」


 普段は穏やかな話し口調の圭琪が、ここまで厳しく接しているのも珍しい。


 当然、王宮では珠葵の知らない顔で仕事をしているのだろうけれど、その一端を垣間見た感じだった。


 それでも青年が不満気なのは、珠葵から見てもまるわかりだ。


 珠葵に分かることは当然圭琪も理解が出来る。


 ため息をひとつ吐き出した圭琪は、青年の頭をガッと掴むと、珠葵と葉華に向かって深々と下げさせた。

 もちろん自身も含めて、だ。


「何を――!」

「申し訳ない。この埋め合わせは後日必ず」


 反発する間もない程の、問答無用だった。


 圭琪に頭を下げられた事など皆無の珠葵は、応対に困って葉華に縋る様な眼差しを向けてしまう。


「まあ鄭様の『埋め合わせ』は、基本的にこちらは損をしないからねぇ」


 そう葉華が苦笑したからには、ここは一度矛を収めたと言う事で良いんだろう。

 南陽楼どころか、王都妓楼の頂点にいるとも目されている葉華の一言は大きい。


「ただし坊やはアタシの目が黒いうちは王都四大妓楼出入り禁止だよ。個人的だろうと、仕事上の必要性が生じようとね。明け方の妓楼で騒ぐ愚かさを理解しない男に跨がせる敷居はないよ」


「お、俺はそもそも妓楼に通いなど……っ」


「それ以上何か言うようなら、この上は刑部関係者全員の出入りを差し止めたって良いんだよ? 刑部のお役人の懐分くらい、各妓楼ともに大した痛手にもならないからねぇ」


「なっ……」


「いい加減にしないか、北斗!」


 青年の頭を押さえつける圭琪の手に、更に力が入った。


「珠葵の前でする話でもないが、刑部には葉華ほどではないにせよ、贔屓にしている妓女がいて、仕事の息抜きに通う男も一定数存在する。それが差し止めになってみろ、おまえの馘だけでは済まないぞ!」


「は……はぁ⁉」


「おやおや、坊やは随分と潔癖なんだねぇ。鄭様の言うことは事実さ。馘だけで済めば良いが、逆恨みした誰かに後ろから刺される覚悟だってしなくちゃならないだろうね」


 まさか、と言いたげだった青年に、圭琪と葉華はそれぞれ違った角度から叱責と厭味をぶつけていた。


 そう言えば、個人で来ている分には知らないが、刑部に限らず王宮官吏は、どの部も一度はどこかの妓楼で宴席を開いた経験がある筈だ。


 人数が多かった時には、珠葵も裏方を手伝わされたことがある。


「……アレでも、大した額にはならないんですか?」


 酒を水の様に飲んでいた面子を思い返しながら口を開く珠葵を、葉華は面白そうに目を細めながら見ていた。


「アタシを一度指名する金額にもならないね」

「ひぇぇ」


 冗談抜きで背筋が寒くなる。

 さすが、傾城の美女の名は伊達じゃない。


「法外と思うかい? だがアタシらは芸を見せて、お金が余っているところから、不足しているところへ、橋渡しをしているんだよ。明日食べるのにも困る者から金なんて取りゃしない。湯水のように湧いているところから、貰っているだけさ。死にはしない」


 逆にそんな連中はしぶといよ、と笑う葉華に、圭琪も納得と言わんばかりに頷いていた。


「すまない葉華、珠葵。小道具絡みの話があったんだが、とりあえずはこの単細胞を刑部に戻して来る。もう少し起きていてくれると有難いのだが?」


「おや。珠葵だけならともかく、アタシもかい?」


 意外そうに片眉を動かした葉華に、圭琪は軽口も返さず頷いた。


「ああ。基本は珠葵への話だが、同時に妓楼の親方衆の一人としての葉華に話したいことでもある。借りが増えるのは承知のうえだ」


「ふうん……まあ、そうまで言われちゃ『こっちは今から寝るんだよ!』とは言えないねぇ」


「申し訳ない」


 そう言って再度頭を下げた圭琪は、青年の胸倉を掴んで引きずるようにしながら、南陽楼を後にして行った。



「――葉華ねえさん、有難うございます」


 まずは何より、葉華が来てくれたからこそ、珠葵はあの青年に連れ出されずに済んだのだ。

 そこはちゃんと礼を言うべきところだった。


「気にすることはないよ。鄭様じゃないが、あれはあの坊やが悪い。自分の職場や、王都妓楼に存在する規律を全く把握していない。ああ言う職場の官吏って、難しい試験を通るんだろう?あれでよく受かったモンだね」


 いや、書物の中のことしか知らない頭でっかちも中にはいるか、と葉華は圭琪たちが出て行った方角を見ながら肩をすくめた。


「ところで珠葵、ちょうど良いから鄭様が戻って来るまでに、アタシにも明明がここへ小道具を売り払いに来た時の話を聞かせてくれるかい」


「え……明明さんが来た時のこと……ですか?」


 問われた珠葵は、首を傾げた。

 とりたてて、記憶に残るような変わった出来事があったように見えなかったからだ。


 いや、もちろん、大店の若旦那とダメになったと、泣いてくだをまいて貢物を全部売り払っていったと言う事では、充分記憶に残る出来事ではあったのだけれど。


「ふむ、言い方が曖昧過ぎたか……たとえば、その若旦那の口から直接聞いたのか、あるいは店の誰かから『もう妓楼には行かない』といった伝言を受けたのか、となるとどうだい」


 そう言われると、確かに少し分かりやすくなったかも知れない。

 珠葵は何とか思い出そうと、更に記憶の奥底をさらった。


「んーっと……そう言えば『何が坊ちゃんとはこれきりにして頂きたい、よ!』って叫んでいたから……店の誰かから一方的に言われた、本人は来なかった、そんな感じになります……かね?」


 珠葵の言葉に、葉華は他人には分からないほどのかすかな驚きを、その秀麗な表情に乗せていた。


「……なるほどね」

「葉華姐さん?」


 口元に手をあてて、視線を少し斜め下へとずらす。

 そんな仕種一つとっても、南陽楼一の美女がすると、破壊力が桁違いだ。


 今ここに、身代を傾けそうなお金持ちの息子がいなくて良かったかも知れない。


「珠葵、アンタちょっと面倒ごとに巻き込まれたのかも知れないね」

「え」

「何を売りに来ていたのか、何を話していったのか。あの坊やは論外だとしても、鄭様が戻って来ても同じ事を聞かれるんじゃないかねぇ?」


 なんでまた、と珠葵が思ったところが表情かおに出たのか、葉華はやや苦笑気味だった。

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