2-3

 結局その日、妓楼が朝になって営業を終えるまで、圭琪は珠葵の店に戻って来なかった。


「とりあえず、今日は閉店かな……」


 営業時間が昼夜逆転しているのが、妓楼だ。

 朝になったから、閉める。それが珠葵の日常だ。


 桜泉と姫天は近頃、店に置かれている、妓女と客との遊戯の一種である「陞官図しょうかんず」と言う遊戯を、よく一緒に楽しんでいる。


 紙で出来た専用の盤と、専用の独楽こまを回して、出た目にしたがってマス目を移動し、高い官職につくのを目的とする遊戯だ。


 単純と言えば単純な遊戯なため、桜泉や姫天でも遊べるのだ。


 この夜も、明け方になって店が落ち着いて来たあたりで、呉羽や碧鸞は酔って寝てしまい、桜泉と姫天が「陞官図しょうかんず」に熱中しているのを龍河が見守ると言う、あくまで店としては平常運転、平和な縮図がそこには展開されていた。


【まあ、そもそもこれだけ神獣だ霊獣だと勢ぞろいしているところに襲撃をかける阿呆な魔物ヤツらはいない】


 どうやら「人外ランキング」としては、そもそも魔物とは一線を画したことわりの中で生きる「神獣」が頂点であるらしい。


 その下に、元は魔物ながら邪気を浄化されて生き残った獣である「霊獣」がいて、魔物は更に下、魔物たちの中は人間に害を為す存在、為さない存在と、玉石混交状態。


 この店の中で言えば、龍河・桜泉兄妹きょうだいは神獣、碧鸞や姫天は霊獣と呼ばれる存在だ。


 ただし呉羽は、そもそもほう国の出身ではないために、どの分類にも当てはまってはいないらしかった。


 持っている魔力ちからだけを言えば神獣クラスだと、龍河は言うのだけれど。


 それでも落ち着かずにソワソワとしている珠葵に、龍河は【更夜部が何も言ってこなければ、こちらとしても気を張っていても仕方がないだろう】と、最後には言い切った。


「酔っ払いがいても?」


【……いざと言う時には、アイツらは俺が叩き起こしてやる】


 今、ちょっと間があいたのは気のせいだと思いたい。


 見た目は小さな白い龍だけど、多分この中では龍河が一番しっかりしている。


 呉羽曰く「将来国を守護する龍にならなきゃなんねぇんだから、まあそうなるよな」って話ではあるんだけど、それは多分、珠葵が死んだあと、さらに年月を経ないといけない先の話だ。


 龍の寿命は人間ひととは比較にならないほど長い。


 今、王宮から見て北側にあたる王都郊外の山に鎮座する守護龍であり、龍河と桜泉の親でもある龍泉は、よほどの事がない限りは、自分たちが生きている間は代替わりしないと言われている。


 仮に龍河が負った傷が治ったとしても、しばらくは白い小さな龍のままだろう。


 人間ひととしての姿形は、桜泉と同じ様に珠葵の成長に合わせてくれるだろうけど。


 九尾の狐くれはも裸足で逃げ出す程のイイオトコに変化してやるからな! ――なんて話を、龍河はよく叫んでいて、珠葵も密かに期待はしている。


「結局のところ、あの短剣をどうするかが決まらない事には、一緒に持ち込まれた装身具の類はまだ貸し出せないんだよね」


 圭琪に渡した短剣には、明らかに呪いの様な邪気の様な、清浄とは程遠い気配がまとわりついていた。


 パッと見る限り、その影響は一緒に持ち込まれた物にまで影響は与えていないように見えるけれど、万一と言う事もある。


 手元に戻って来たところで、出来れば短剣とひとまとめに〝浄化〟の術をかけておきたかった。


【その方が無難だろうな】


 要は更夜部からの連絡が入るまで、動きようがないのだ。


 気持ちを切り替えるよりほかはないと悟った珠葵は、閉店の準備に勤しむべく立ち上がった。


「――おい! この店に柳珠葵と言う女はいるのか⁉」


 すると突然店の入口の方から、高飛車とも上から目線とも言える、早朝と言う時間帯への配慮の一切を欠いた声が、中に向かって叩きつけられた。


「……はい?」


 失礼だな、と思わず眉根が寄ってしまったのは、勘弁して欲しい。


「私がその柳珠葵ですが、何か」


 なるべく声を平淡に、相手を無駄に刺激しないようにと気を付けながら、声の主に視線を向ける。


 そこには鄭圭琪よりも、見た目更に若い青年が、こちらを睨みつけるようにして、入口の前に立ちはだかっていた。


「王宮刑部官吏・りょう北斗ほくとだ! 聞きたい事がある。今すぐ王宮に出頭しろ!」


「…………はぁ⁉」


 珠葵の冷静さは、ものの数秒で崩壊していた。

 なんでこんなに居丈高に言われなくてはならないのかと、思った自分は間違ってはいない筈。


「見ての通り、まだ営業時間中です。聞きたいコトがおありでしたら、こちらでどうぞ」


「な……刑部に逆らうのか⁉」


「出頭すべき理由をまだ一言も聞いていません。そもそもこちらは何一つ心当たりがありません。聞かれて困る様なコトもありませんから、どうぞこちらで」


「……っ‼」


 青年の顔が、怒りでカッと赤くなったみたいに見えた。

 たかだか十代前半の小娘に言い返されて、腹が立ったに違いない。


 感情がダダ洩れだと言う時点で、鄭圭琪よりも遥かに対応がしやすくはある。

 

 ただ、上から目線の会話にムッときた珠葵も、あまりこの目の前の青年の態度をとやかく言う事は出来なかった。


 珠葵が相手よりもちょっとだけ冷静になるのが早かったのは、隣の桜泉やら後ろの葛籠つづらにいる龍河やらの「なんだこいつ」的空気の方が不穏で、我に返った所為せいもあったかも知れない。


「チッ……明玉めいぎょくの件と言えば分かるだろう!」

「李……誰?」

「このっ、とぼける気か⁉」


 もうそろそろ、青年の顔の、こめかみあたりの毛細血管切れるんじゃないかって感じだけれど、珠葵にしてみれば、本気で誰の事だか分からない。


 ここは妓楼だ。

 そんなカッチリとした本名で働いている妓女も見習いも、いやしない。


 たまに日用品の買い物や甘味を食べに外に出たとしても、貴族でもないのにいちいち姓名を名乗り合ったりはしない。多少の顔見知りで名前の方を知っている程度だ。


 姓と名の両方、おまけに顔まで一致しているとなると、珠葵はせいぜい朱雪娜と鄭圭琪くらいしかいない。


 逆に妓女や街の人たちからしても、珠葵の姓である「柳」を知るのは、南陽楼の経営者と、働く妓女たちのトップに君臨している葉華、二人くらいしかいない筈だ。


 自己紹介で、いちいち苗字を名乗る事をしないのが、この辺りで働く者たちの暗黙の了解事項。


 刑部官吏を名乗る割に、この青年はそんな事も知らないのだろうか。


「……アナタ、本物の官吏?」


 うっかり聞いてしまった珠葵は、悪くない筈だ。


「何だと⁉」


「だってホンモノなら、妓楼やその周辺で働く人間が、本名や姓と名の両方を名乗るコトなんてほとんどないって知らない筈ないでしょ?」


「なっ……」


 え、知らないのか。


「……ひょっとして、アナタってド新人とか?」


「なんで、おまえのような子供ガキにド新人とか言われないとならない⁉」


「話を聞きに来る前に、下調べくらいするでしょ普通⁉ 御史台更夜部の人たち、時々ここに来るけど、もうちょっとしっかりしてるけど⁉」


 なんか、話が堂々巡りで進まない。

 桜泉や龍河じゃないけど、ちょっと苛々してきたかも知れない。


 用があるならさっさと本題に入って欲しいのに。

 いくら今日はもう終わりにしようとしていたとは言え、立派な営業妨害だ。


「くそっ、もう、いいから来い! 話が進まん‼」


「そこは激しく同意しますけど、行く理由がありません! 私の話、聞いてました⁉」


 間髪入れずに言い返した珠葵に、苛々が頂点に達したらしい青年が、こうなったら無理にでも連れ出そうと思ったのか、珠葵の方へと大股に歩み寄って来た。


 距離が縮まったところで青年の手が伸び、珠葵の腕を掴みかける。


「ちょっ……!」


 隣にいた桜泉と、後ろにいた龍河が、それぞれ珠葵を庇おうと身体を動かしたところで――別の声が、そこに割って入った。


「ったく、何だい。騒がしいねぇ」

「「⁉」」



 店の入り口ではなく、中の妓楼側の出入口から、一人の妖艶な美女が姿を見せた。

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