第二章 一顧傾城 再顧傾國

2-1

 呉羽が姿を消した後は、南陽楼以外に籍を置く数名の妓女、あるいは妓女見習いの子が、衣装やその身を飾る装飾品を借りたり、売りに来たりと、通常運転で仕事の時間は過ぎた。


 一人、大店の若旦那が結婚するからもう来ないと、一方的に言われてしまったと、泣きながら、その若旦那から贈られていた物を全部持ち込んで来た妓女がいたのには驚いたけど、場所柄、そんな話を聞くのも一度や二度じゃない。


 今度、妓楼の外のお店に甘味でも食べに行きましょうと、珠葵は一生懸命、少女姿の桜泉と宥めた。


「ホント、男ってロクでもないイキモノなのね⁉」

【ホントです、話しかけられませんでしたけど、姫天も許せないです!】


 龍(ただいま少女姿)の桜泉と貂の姫天が、何故かそうやって、手でバンバン、尻尾でべしべし床を叩いている。

 今、この店内で唯一の男性(?)である龍河はと言えば、そんな二人を宥めるでもなく、葛籠つづらの寝床で小さな両手を頭に乗せていた。


 多分コレは、頭を抱えているんだろうな……。

 何せ見た目〝白いもふもふの小龍〟なので、どういう仕種だろうと、カワイイとしか思えなかったけど。


「おせんちゃん、とりあえずコレ、一覧にするの手伝ってくれる? てんちゃんも、選別して並べるの手伝ってくれると嬉しい」


 明日の夜には、持ち込まれた装飾品は、全て他の妓女達の身を飾る物へと有効活用されている予定だ。


 稀に、フラれたり他の妓女に横取りされた恨みつらみがこびりついて、身に付けただけで不幸を呼んでしまいそうな装飾品も交じっているので、その辺りは珠葵も確認を疎かに出来ない。


「はいはーい」

【わかったー!】


 妓女の衣装類は珠葵と桜泉で広げて、髪留めや首飾りと言った小物は姫天が小さな身体で一つずつ丁寧に運んでいる。


【……あ】


 その姫天が、不意にピタリと動くのを止めた。


【珠葵ぃ〜】

「てんちゃん? どうかした?」

【コレ、何か気持ち悪〜い】


 二本足で立ち上がった状態の姫天が、片足で恐る恐る何かを指し示している。

 珠葵も桜泉も、ピタリと衣装を持つ手を止めた。


「……短剣?」

「……珠葵ちゃん、見るからに禍々まがまがしいよ、ソレ」


 見た目には、鞘も柄も、飾り細工の綺麗な短剣だ。


 けれど、桜泉に言われて目を凝らしてみれば、確かに焚き火の残りの様な、黒い煤の様な揺らめきが、短剣を取り囲んでいるのが見えた。


「多分それ、人間ひとの血と魔物の血を両方浴びちゃって、妖刀になる寸前の短剣かも知れない。さっき珠葵ちゃんが浄化修復したのよりも、強烈だよ」


「!」


 桜泉の言葉に、珠葵は思わず息を呑んだ。


「それは……勝手に『浄化』しない方が良いよね……」


 いくら小さかった頃の話とは言え、勝手に浄化や修復の術を乱発した結果、神獣の子どもや魔物の子どもに懐かれている前科持ちの珠葵としては、さすがに学習している。


「うーん……呉羽、すぐ帰って来るとは限らないし……ちょっと目立つかもだけど、ラン君に行ってもらうしかないかぁ……」


「まぁ、夜だし大丈夫なんじゃない? 暗がりで見れば、ちょっと尾の長いタダの鳥に見えるっしょ」


 うーん……とうめく珠葵に、桜泉が「更夜部に報告するコト優先しなよー」と、もっともな事を言う。


「だね。おせんちゃんは一緒にお店番して貰わなきゃだし、てんちゃんは今日はもう働かない方が良いし……」


【……ごめん、オレが行ければ良いんだけどな】


 葛籠つづらの中で申し訳なさそうにしている龍河に、珠葵は慌てて両手を振った。


「ううん、リュウ君はまだまだ体調万全じゃないんだから、気にしちゃダメだって! ラン君、そう、ラン君に行って貰うから!」


 ガタガタと音をさせながら、古い机の引き出しを引っ張ると、中には小指くらいの大きさの笛が転がっていて、珠葵はそれを取り出すと、口に加えた。


「――!」


 此処にいる誰にも、鳴っている音は聞こえない。

 珠葵が吹いた息遣いが聞こえただけだ。


「――ハイハイハイ! 呼ばれて飛び出て、碧鸞へきらんクン見参‼」


 本当に、どこかに音が響いたのかが怪しくなってきたタイミングで、天井からいきなり、紺碧の色と赤色の目立つ色を身に纏う、艶やかな長い尾っぽが特徴的な霊鳥〝らん〟が姿を現した。


 魔物と言うよりは、神獣に近い、霊鳥だ。

 種族としての〝鸞〟と、紺碧の色を主に身にまとうその姿から、珠葵が「碧鸞へきらん」と名付けて、今に至る。


 普段は「此処とは違う世界」で暮らしていると言うので、用がある時だけ「霊鳥笛」で呼び寄せるのだけれど、お互いの暮らしている場所を行き来するだけでもかなりの魔力ちからを使うと聞いているので、あまり簡単な用事で呼ぶのは、珠葵としても気が引ける。


「ラン君……会わない間に、呉羽の影響が色濃くなっているのは何で……」


 霊鳥らしからぬ軽いノリが、どうにもどこかの白い狐の影響を受けている気がして仕方がない。


「えー……だって、呉羽はたまに、僕らの住む郷に遊びに来てくれるからね! 僕らの郷って、侵入者防止の仕組みがビックリするくらい頑丈だから、呉羽みたいなのって貴重なんだよー」


 普通の人間や魔物では行けない土地に、フラフラと現れるキツネ。


 何だかちょっと釈然としないけど、本人(?)達が納得しているなら、珠葵が口を挟める事でもなかった。


 ため息だけ溢しながらも、こう言う時は「聞かなかったコトにする」技術スキル発動である。


「まあ、いいや。あのねラン君、ちょっと急ぎで王宮の御史台更夜部にいらっしゃるてい様の所まで、お手紙届けてくれないかな?」


 朱雪娜は更夜部の長、王宮全体を取り囲む結界を張り巡らせている関係上、おいそれと王宮を空ける事は出来ない。


 呉羽に手渡したのは、報告書の様な物だから雪娜宛で良かったけれど、今回は、目の前のこの短剣を、引き取って調べて貰わないといけない。


 そうなると、雪娜の部下である鄭圭琪けいきに連絡をとって、短剣を引き取りにきて貰うより他はないのだ。


 更夜部に、他に人がいない訳ではないけれど、珠葵の伝手が、二人以外には及んでいない。

 だから、たとえ今日会ったばかりでも、また圭琪に連絡を取らざるを得ない。


 雪娜でも圭琪でもない、別の官吏が取りに来たとしても、それは一向に構わないけれど、それを判断するのは珠葵じゃない。


「お礼は、この短剣を浄化した後の〝珠〟でも良いし、ちょうど梅酒が良い具合に漬かってきたから、それちょっとあげても良いよ?」


 妓楼・南陽楼には敷地内に見事な梅の木がある。

 以前妓楼にいた妓女の一人から教わって、梅酒を仕込むようになったのだ。


 珠葵自身は当然まだ飲める年齢ではないけれど、毎年、売れっ子妓女葉華ようかを筆頭にお酒好きの妓女たちに味を見て貰って、作り上げる。


 今では妓楼を訪れる客にも普通に振る舞われている、言わばちょっとした南陽楼名物なのだ。


 そして、以前たまたま零れた梅酒を口にして以降、この色彩豊かな霊鳥は、恐れ敬われるどころか、威厳ゼロの酒好き鳥と化していた。


「あー……〝珠〟はさ、龍河りゅうがにあげてくれれば良いよ。梅酒の方が断然嬉しいしね!」

「そ、そう」


 くるると綺麗な鳴き声をあげた割には、話す内容なかみはお酒について。


 ある意味通常運転かと、珠葵も諦めたのだった。

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