1-5

「ゴメン、呉羽! 分かったから、尻尾しまうか人型になるか、して⁉ そのままだと、お客さん来たらビックリされちゃうから!」


 珠葵は、背中を向けて拗ねている、尾っぽが九本ある白い狐を、慌てて宥めた。


 タダの白い狐――と言うならともかく、九尾の狐は明らかに人間ひと様には忌避されてしまう。


 ちょっと不思議な名前のこの狐は、他の子と違って珠葵が拾って名前を付けた訳ではない。

 真夜中に店の外でたまたま出くわした後、ここを根城と公言して、出入りするようになってしまったのだ。


 名前も本人(本狐?)が最初から名乗っているし、龍河や桜泉、姫天の様な、補給源としての〝珠〟を必要としていない。


 時折、武器によく付いている様な「穢れ」を身に纏って現れるので、それを珠葵が浄化したりしている。

 そしてその時に転がり落ちた〝珠〟は、龍河に与えられる事がほとんどだ。


 とにもかくにもこの九尾の狐、ほう国出身じゃないようで、ちょっと存在が他とは一線を画しているのだけれど、他の神獣、魔物たちに比べて段違いに強い事もあって、珠葵も時々こうやって頼み事をしていた。


「……チッ」


 ちょっと口が悪いのが玉に瑕だけど、基本的に珠葵のお願い事は聞いてくれる。


 この時も、舌打ちの音は聞こえたけれど、すぐにふわりと周囲の空気が動いて、もう次の瞬間には、20代前半くらいの、見目麗しい青年の姿に変貌を遂げていた。


「いつ見ても、尻尾ふさふさのイケてるキツネさんが、美青年に化けるのがビックリだよ……」


「おう、俺は白狐だろうと、人型になろうと、イケてんだよ! 力のあるヤツほど見た目に磨きがかかるのが、オレらのだからな!」


 どうやら狐の世界は、尻尾の数に応じてイケメン度、あるいは美女度も増していくらしい。


 そもそも珠葵より遥か上をいく美貌を持っているのが、ちょっと悔しかったりするんだけど、面と向かっては口にしない。


 多分、分かっていて呉羽はニヤニヤと笑っている。


「で、オレに何をさせたいって? この前浄化して貰ったから、今日は俺が動いてやるよ。ま、くだらねぇ用だったら却下するけどな」


 こちらもそうそう、呉羽の軽口に付き合ってはいられない。


 珠葵は、桜泉が書いた「一筆分足りない」呪符の写しと、呪いの文言が書かれていたものの、今は浄化されて白紙になった紙そのものを、呉羽に手渡そうと、白い真新しい布を取り出して、慎重に包む準備を始めた。


「あのね、コレを雪娜さんの所に届けて欲しいの。多分、まだ王宮内の御史台更夜部で仕事してると思うから」


 王宮における通常の政務は当然昼間の仕事だけれど、更夜部は主に夜間に跋扈する魑魅魍魎が相手となる特殊な部署だ。


 その部署の長、御史大夫である朱雪娜も、当然王宮内にいると思われた。


 それ以前に雪娜は、余程の事がない限りは、御史台からは出ない。

 本人の持つ〝力〟が規格外すぎて、小物を退治しようとしても、王宮が吹き飛ぶくらいの威力が発揮されてしまうからだとさえ噂されている。


 珠葵が拾われたあの夜、雪娜が外に出ていたのは、国を守護すると言われている「龍の子」が行方不明になると言う、国の根幹に関わる事件だったからに他ならない。


 日頃から雪娜の〝力〟の大半は、王宮を囲む結界の維持に使われていた。


 更夜部の長である「御史大夫」就任の条件は、その結界が維持出来るかどうかが全てだとさえ言われているくらいだからだ。


 代々の御史台更夜部の長が王宮内の結界を維持し、国を守護する龍が国全体に目を光らせ、魑魅魍魎たちの暴走を防ぐ。


 長くこの国に受け継がれている仕組みだ。

 どちらかを崩せば、国が傾いたとて不思議じゃない。


 それでも、雪娜の右腕と自他共に認められている鄭圭琪でさえ、王宮の結界は維持出来ない。

 雪娜様の負担を減らして差し上げるのにも限界がある――と、口惜しそうに呟いている事が一再ではない。


 もちろん、そうと聞いていながら、珠葵とて結界の手助けは出来ない。

 圭琪の口惜しい気持ちは嫌と言う程理解が出来るのだ。


 ただ、捨てられて死を迎えるのみかも知れなかった暗闇に、灯りをくれた朱雪娜。


 今の珠葵に出来るのは、こうやって浄化や魔物退治に必要な武器の修復を請け負う事だけだ。


 小指の先ほどでも良いから、雪娜の手助けになっていると信じたい。


「……ふうん?」


 そんな雪娜への届け物をひとまとめにしようとしている、珠葵の手元を呉羽がまじまじと覗き込んで来た。


「怖ぇなぁ……執念を感じるわ、その呪符」


「え」


 思いがけない呉羽の言葉に、珠葵がガバリと顔を上げた。


「呉羽、この『一筆欠けた』文字が、何を狙っていたか分かるの⁉」

「誰に聞いてんだよ、阿呆」

「あいたっ!」


 呉羽が問答無用に珠葵の額を人差し指で弾く。


「ほらほら『呉羽サマ教えて下さい』は?」


 この、オレ様キツネ……! と、ちょっと涙目になったけど、実際、珠葵より呉羽の方が、物理的どころか能力的にも遥か上を行く事は間違いがないわけで。


「うぅ……く、呉羽サマ教えて下さい!」

「くくっ、予想通りかよ! ホント、雪娜の為となれば目の色変わるな!」

「う、うるさいなぁ! 白狐に二言ないよね⁉ ほら、教えて!」

「白狐に二言……そんなことわざあったか?」

「呉羽――!」

「ハイハイ、どうどう」


 いくら今現在、外側が絶世の美男子でも、中身はキツネ。

 頭をポンポン叩かれるのは、何だか釈然としない……。


「コレ、どこにあったんだ?」

「うん? えーっと……てんちゃんが、王宮内の建物の床下から引っぺがしてきたって」


 珠葵が姫天をチラ見しながらそう答えると、呉羽は口元に手をやって、納得したかの様に何度か頷いていた。


「ああ納得、納得。よく分かった。あのな、コレ、個人と言うよりは朱家しゅけを狙って弱体化させようとしていた呪符だ。懲りねぇ誰かが、まだ朱雪娜を狙ってるってことだよ」


「えっ⁉ って言うか『まだ』って――」


 これ以上ないくらいに大きく目を見開いた珠葵に、呉羽は「うん?」と、首を傾げた。


「ああ、そうか……雪娜の母親が生きてた頃、珠葵はまだ南陽楼ここにも来ちゃいなかったか。まあとにかく、ずっと以前から雪娜と言うか、朱家を御史台から引きずり下ろしたい勢力があるみたいだぜ? 大抵、今回みたいに返り討ちに遭うから、最近は割と静かだったけどな」


 先代の御史大夫、御史台更夜部の長は、しゅ司晴しせい――つまりは、雪娜の父親だった。


 更夜部は魑魅魍魎、魔のモノを退けられる〝力〟が全て。

 司晴の子である雪娜が後を継いだのは、全くの偶然。


 司晴が結婚をしたのが、御史大夫ほどではなくとも、多少なりと退魔の才を持つ王家所縁ゆかりの姫だった為に、二人の血を継いだ雪娜の〝力〟が強大になっただけなのだ。


 それでも、それを認めようとせず「親の贔屓目」だと、雪娜をいとう勢力は未だに一定数存在していると聞いている。


 そして、王宮屈指の美女と言われていた、雪娜の母・ふう美娜みなを手中に収めたかった現王が、その血を色濃く継ぐ雪娜に執着をしている、との噂さえあるのだ。


 呉羽が言っているのは、そう言った勢力からの嫌がらせ行為だろうと、そういう話だった。


「むぅ……それは由々しき事態」


「まあ、これ以上は雪娜が判断する事だし、これを届ける事自体は間違っちゃいないけどな」


「呉羽、雪娜さんにあったら『何でも遠慮なく命じて下さい!』って、伝えておいてくれる?」


 珠葵は真剣に言ったつもりだったのだが、呉羽は、珠葵の雪娜至上主義はいつものことと、半ば呆れた様に「はいはい」と、笑って姿を消してしまった。


 ちゃんと届けてはくれるだろうが……。

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