1-2 

 珠葵は、圭琪から預かった短剣を、奥の部屋の机の上で再び袱紗から取り出して広げた。


「じゃあ、お急ぎとの事なので……」

「ああ、すまない。特急料金として、少し色を付けるよ」

「言いましたね、鄭様?」


 敢えて軽い言い方で場をほぐした珠葵は、そこで静かに目を閉じると、机上の短剣に無言で手をかざした。


「!」


 その途端、珠葵の手が仄かな光を放ち始め、やがてその光がゆっくりと、短剣の刃の部分を覆い尽くしてゆく。


 圭琪も、慣れているのか特段の驚きは見せずに、その光がやがて刃から離れて、小さな赤い珠となって机に転がった一部始終を、黙って見つめていた。


「……お疲れ様、珠葵」

「ホントですよ。正直今回、ちょっといつもより力が必要で、骨が折れました」


 そう言って、ふう……と大きな息をついた珠葵は、やがてゆっくりと、閉じていた目を開いた。


 目の前、あれだけ錆びていた筈の短剣は――元の鋼の輝きを取り戻していた。

 うん。まあ、成功したと言って大丈夫だろう。


「いつもながら、仕組みの不思議な見事な『修復術』だね。前に、途中でそう言ったら怒られてしまったから、終わってからの感嘆で申し訳ないが」


 パンパン……なんて音は鳴らない。

 圭琪の手は、叩くフリを見せているだけだ。


 表面上は確かに笑顔なのだが、この鄭圭琪と言う青年が、実際のところは何を考えているのかは、珠葵如きではまるで読み取れない。


 どだい、王宮の役人と、妓楼の中で商売をする人間との間で、埋められない程の考え方の溝があったっておかしくはないのだ。


「あ……れは、いきなり途中で話しかけられて、ビックリして集中力が途切れちゃったんです。って言うか、もういつまでも昔の話を持ち出さないで下さいよ!」


 こう言う時は、仕事の顔で話をしておくに限る。

 珠葵なりの、トラブル回避術だった。


「じゃあ、いつも通りにこちらの〝珠〟は頂きますね?」


 珠葵は小さな赤い珠の方は手元で掬い上げて、錆びの取れた剣に関しては、袱紗で丁寧に包みなおして、そのままスッと圭琪の方へと押し出した。


「ああ、有難う。助かったよ。それじゃあ、これを――」


 の済んだ短剣を受け取った圭琪は、代わりに懐から「音のする綴じられた袋おかね」を取り出して、珠葵の前に置いた。


「今日の『依頼料』だ。特急料金は、今度この南陽楼に顧客を紹介する事で勘弁してくれるかな。君の職場が潰れない様、気を配っておく事も大事だろうからね」


「……縁起が悪いって、葉華姐さんに怒られても知りませんよ」


「それは怖いな。聞かなかったコトにしておいてくれ」


 そう言って肩を竦めた圭琪が、本当に怖がっていたかどうかは謎だ。


 立ち去る圭琪に一礼して、店の外まで出たであろうタイミングを見計らってから、珠葵も元のお店の方へと戻った。


「おせんちゃん、終わったよー?」


 店の中に客がいなかった事もあってか、珠葵に声をかけられた美少女は、ぱあっと表情を明るくして、受付机の方から勢いよく振り向いた。


「終わった? ねぇ、採れた採れた⁉」

「もちろん! しかも今日のは結構イイヤツだよ?」

「やたっ!」


 見た目美少女でも、実はこの「おせんちゃん」の正体は、人外の神獣・白龍の幼体だ。


 珠葵が五歳の時に拾った「白いふわふわのナニカ」は、成長すると、国を守護すると言われる神獣、龍の子どもだった事が分かり、当時の王宮中が大騒ぎになった。


 神獣の生きる時間は当然一般的な人間のソレとは異なっていて、見た目は珠葵と同じくらいの美少女であっても、実際の年齢が幾つなのかは、本人(?)達でさえも分かっていない。


 その見た目すら、「友達」認定している珠葵の隣にいて違和感のないようにと、意図的に、珠葵の成長に合わせて調節をしてくれている姿なのだ。


 本来、神獣の幼体に名前はない。

 成長して、国を守護する契約を時の皇帝と交わした時に、皇帝が名付けるものとされている。


 それがあの日の予期せぬ出会いで知り合った小さな龍の双子に「友達」だと言う意味もこめて、雄の幼体に「龍河りゅうが」、雌の幼体に「桜泉おうせん」と、珠葵が名前を付けてしまった。


 あの時はただ、自分達の事を「当代守護龍・龍泉りゅうせんの子」としか名乗らないから「それは名前じゃない!」と癇癪を起こして「じゃあ、わたしが付ける!」と、勢い余って名付けてしまったのである。


 ――名を付けるはずの、王家を差し置いて。


 小さな龍たちのオマケの如く保護された後から、本来は皇帝が名付けるものだと聞かされたところで、小龍たち自身が、珠葵が付けた名前を受け入れてしまっていたので訂正も出来ず……八年が経過している。


 一般には龍と呼ばれる神獣を含め、王都で「人外のモノ」に関係する仕事を請け負っていると言う、御史台・更夜こうや部のとりなしがなければ、珠葵の首と胴は今頃離れてしまっていた可能性さえあったのだが。


 ひとえに首の皮がまだ繋がっているのは、小龍たち自身が珠葵の傍からべったり離れない事と、小龍たちさえも驚かせた、珠葵自身の特殊能力のおかげでもあった。


「今日は二個手に入ったから、おせんちゃんと、リュウくんとそれぞれにあげられるよ!」


 そう言ってニコニコと笑った珠葵は、手のひらに二つのたまを乗せて、おせんちゃん――こと、小龍の片割れ「桜泉おうせん」へと差し出して見せた。


「えへへ、ありがと」


 珠葵のニコニコにつられる様に笑った桜泉も、珠葵の手のひらから二つの珠をひょいっと摘まみあげると、そのうちの一つ、色が薄めの珠を、飴を口に放り込むが如く、ひょいっと自らの口に放り入れていた。


「!」


 その途端に、桜泉の周囲にそよ風の様な風が吹いて、淡い光を放ちながら、桜泉の周りを取り囲んだ。


「――うん、今日のは美味しいね、珠葵ちゃん。お兄ちゃん喜ぶかも」

「ホント⁉ だったら嬉しいなぁ……!」


 お世辞か本音かは、たとえ小龍と言えど分かるものらしい。


「珠葵の笑顔ソレは本音だからな……」


 そう言った桜泉は苦笑いしつつも、くるりと踵を返すと、お店の隅に置かれている葛籠つづらの蓋を、何でもない事のように外して横に置いた。


「――お兄ちゃん」


 葛籠つづらの中には、小さな座布団が敷かれていて、中には鱗の代わりに白い毛で覆われた――五歳のあの日に見たままの「白いふわふわのナニカ」、八年経った今では白龍と知った、小さな龍が眠っていた。


「お兄ちゃん、起きて。珠葵ちゃんがいつもの〝珠〟を持って来てくれたよ」


 桜泉の呼びかけに、お兄ちゃんと呼ばれた小さな白い龍はパチリと目を開いた。

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