第一章 真夜中の小道具店

1-1

 ほう皇都こうと赫連かくれん


 三大歓楽街の一つ、南花街なんかがいの中にその店はあった。


珠葵しゅき! 珠葵、今日もお願い!」


 慌てた様に駆け込んで来る、の若い妓女に、りゅう珠葵はこれみよがしにため息をついて見せた。


「名うての美女が台無しですよ、茗霞めいかねえさん」


 茗霞、と呼ばれた美少女は、それどころじゃないとでも言わんばかりに、珠葵の前で両手を合わせている。


「今日はさい様がいらして下さる日なの! だけど、そう何度も同じかんざしなんて見せられないでしょう⁉だから、お願い!」


 他の先輩ねえさんたちに見られでもしたら、礼儀作法に関して懇々とお説教されるだろうに――と思いながらも、一緒に叱られるのも真っ平ご免なので、珠葵としては、請われるがまま、簪が入った箱をいくつも机の下から出すだけである。


「あ、そう言えば今朝ちょうど、笙夏しょうかちゃんが葉華ようか姐さんからの『差し入れ』だって、新しい簪を置いていってくれました。見ますか?」


「え、葉華姐さんが⁉ 見たいわ、見せて!」


 今にもとって食べそうな勢いでこちらを覗き込んでくる茗霞に、珠葵は今朝手にしたばかりの真新しい箱を追加で取り出した。


「うわぁ、萩! 萩の花の細工ね?素敵!」


「皆さん、少しだけ季節の先取りをされた衣装や飾りをお付けになるのが常ですし、今からちょうど良いだろうと言う事みたいです」


「ねえ、珠葵! 私、これが良いわ! お代はいつもの通りで良いの⁉」


「はい、大丈夫ですよ。葉華姐さんも、まだまだ御贔屓様から簪を贈られる事の少ない、若手の妓女たちの為に――と、いつも置いていって下さっていますし。いつもの通り、明日の朝に返して頂ければ、それで」


「ありがとう! 柴様に目をかけていただけるよう、これをお守りにして頑張るわ!」


「はい、茗霞姐さん。行ってらっしゃいませ」


 簪入りの箱を握りしめて、顔を赤らめながらパタパタと走り去る茗霞を、珠葵はひらひらと片手を振りながら見送った。




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 妓楼・南陽なんよう楼。


 皇都三大歓楽街の一つ、南花街の中でも飛び抜けて格が高いと言われている妓楼で、生半可な財や身分の客では、足を踏み入れる事すら叶わないとも言われている。


 珠葵はそこの妓女――ではない。


 奉公人の一人として、妓楼の一階の隅で、妓女たちの簪や首飾り、腕輪など装飾品の数々を取り扱う店を開いているのだ。


 営業時間は妓楼と同じ、夜の間。

 売る事ももちろん、お金のない若手の妓女の為の貸し出しや買い取り、壊れた装飾品の手直しなど、幅広い事を妓楼の中で行っている。


 これが存外需要があるもので、華やかな世界が売りであり、同じ装飾品を何度も付けていられない妓女たちの間で、しっかり商売として成り立っているのだ。


 最近では近隣の妓楼からも、妓女やその補佐をする奉公人たちが顧客として店を訪れる程だ。


 今もちょうど、駆け出しから一歩前進したくらい…と言ったところにある妓女・茗霞が、新しい簪を買う代わりに、店にある在庫の中から借り受けていったところだった。


 店の端に置かれた机と筆記具の所まで行き、日付や名前と言った貸し出しの記録を付けておく事も忘れない。


「葉華姐さんからの提供と分かれば、引っ張りだこになりそうだし……取り扱いも気を付けないとね」


 南陽楼の葉華と言えば、この妓楼一、あるいは花街全体を見ても頂点に君臨するのではと、誰もが口をそろえる程の美妓であり、身請けを望もうものなら、国が傾くのではないかとさえ噂されている。


 やんごとなき身分の方々との会話にも困らない程の知識があり、後輩妓女たちにも優しく、奉公人である珠葵にさえ、体調や待遇など何かと気を配ってくれる。


 所詮花街の妓女と下に見る小役人などがいれば、あっと言う間に出入り禁止になってしまう程の「伝説の妓女」だ。


 恐らくはあの簪は、葉華を指名した客からの贈り物だろうけど、妓楼において一度身に付けたものを二度使わないと言うのは、高位であればある程の暗黙の了解とされているし、下位の妓女たちの懐事情が決して良くない事も、同じく暗黙の了解だ。


 南陽楼に来る程の客となれば、皆その事は承知しており、いずれ別の妓女が自分の贈った装飾品を身につけていたとしても、後輩思いと称えこそすれ、詰ったりはしないのだ。


「さて、今日は……ああ、そうだ。橘禾きっか姐さんから預かっている腕輪の修理がまだ途中――」


 そう思い立った珠葵が、道具を出そうと立ち上がったそこへ、店の中に誰かが入って来たのが横目に見えた。


「いらっしゃいませ――って、てい様じゃないですか」


 妓楼に来る男性客の目的が、妓女ばかりと言う訳ではない。


「こんばんは、珠葵。店は上手く回っているかい」


「はい、さっきも早速簪を借りていく妓女ひとがいて、順調に回っていると思います」


 珠葵の言葉に「それは重畳ちょうじょう」と微笑んだのは、鄭圭琪けいき

 この店の出資者、王宮内御史台勤めのしゅ雪娜せつな直属の部下だ。


 いつもの事ではあるけれど、前置き不要とばかりに圭琪は胸元から、袱紗に包まれた物を取り出して、店の机の上にそっと置いた。


「――を、また頼めるかな」


 慣れたものとばかりに、珠葵が袱紗をさっと開けると、中からは子供が食べる飴の様な小さな丸い玉と、刃の部分がこぼれて錆びた短剣が出て来た。


「珍しいですね。今回、手こずったんですか?」


 再び袱紗で中身を包みながら、不思議そうに尋ねた珠葵に「少しね」と、圭琪も頷いた。


「しかも一部を逃がしてしまった」

「え……」


「ああ、うん。雪娜様のお張りになる結界に綻びはない。ただ、夜の闇に紛れただけ。大局的な見地からすれば、小競り合いの一端で片付けられる事ではあるんだ」


「そ、そうなんですか……?」


「ああ。ちょっと数が多かったんだ。だから対処に追われた呪具の一部に、こうやって不具合が出てしまった。すまない」


「いえ、そこは仕事ですから。じゃあ……ちょっとお時間頂けますか? それとも、いったん御史台にお戻りに?」


「今日は、待たせて貰うよ。もしかしたら、またすぐに出番があるかも知れないからね」


 軽口を挟めない雰囲気でそう告げる圭琪に、珠葵も「分かりました」と告げるより他はない。


「おせんちゃんー? おせんちゃん、起きてー?」


 そして圭琪の方ではなく、天井を見上げながら声をかけると、ポンッと表現するのが正確であろう音が聞こえて、突然そこに、白い毛のかたまりが出現した。


 その後さらに、両の掌を上向けた珠葵の目の前に、その塊が、落ちて転がる。


『どうしたの、珠葵ちゃん――? 今日は早くない?』


 珠葵の手から、今度は床へと転がり落ちたその塊は、最初に赤いツノ、次に小さな羽根とが飛び出てきて、やがて全身を白い毛で覆われた、小さな龍の姿へと変貌を遂げた。


 声は、ぱくぱくと開いた小龍こりゅうの口からではなく、頭の中に直接響いてきている感じだ。


「うん。ちょっと早いんだけど、今日は鄭様が来ていてね? やるから、店番お願いしたいなと思って」


『アレ⁉ やったぁ、分かった! ちょっと待ってて‼』


 嬉しそうに叫んだ小龍は、今度はその場で拳一つ分ほど宙に浮いたまま、何度かくるくると前に回り始めて、そうしているうちにその姿が、珠葵と同じ年頃の少女の姿へと変貌を遂げた。


「じゃあ、アタシは今から『はく桜泉おうせん』ね⁉ アタシとお兄ちゃんの待ってるから、早くね!」


 さっきまでとは違い、その少女からは頭の中ではなく耳に、声が聞こえている。

 が、珠葵も圭琪も、見慣れた光景とばかりに全く動揺はしていなかった。


「ん、分かった。頑張るね」


「珠葵……そういうのは、奥に入ってからやらないと……」


 ただ、小言の様相を呈しながら眉根を寄せている圭琪に、しまった、と珠葵はペロリと舌を出した。


「ご、ごめんなさい。じゃあ、奥へどうぞ?」

「…………」


 返事の代わりに圭琪は嘆息して、そのまま珠葵の後に続いて店の奥へと足を踏み入れた。

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