05. 城塞都市ライブラ

「お嬢様! お気を確かに!!」

「う、う~ん……」


 幸いなことに、ルーラは馬車から落ちることはなかった。

 今は従者殿が馬車を停め、彼女の介抱をしているところだけれど――


「……こ、こっちか。いや、こっち!?」


 ――一方で私は、地面に落ちた頭を拾おうと馬車の後方をウロウロしていた。


「あれ? 違う違う、そっちじゃないっ」


 私の頭は地面に横になっていて、すこぶる気分が悪い。

 視界に映る自分の体を操って頭を拾い上げようとしているのだけれど、見えている光景と首から下の向きが一致しないので、なかなか難しい。

 一応、首から下は私の意思で普段通りに動かせるようで安心した。

 首のない自分の体が迫ってくるのは少々怖いけれど……。


「……じいや?」

「おおっ! お目覚めになられましたかお嬢様!」

「あ、あら? わたくし、どうして?」

「突然、気を失われてしまって――」


 ……まずい。

 ルーラが目を覚ましたみたいだ。

 今のうちに頭を拾っておかないと、妖怪扱いされてしまう。


「取った!」


 なんとか頭を掴むことができた。

 あとは首の根っこに引っ付けて元に戻すだけだけれど――


「サキ様!」


 ――ルーラから声を掛けられてしまった。

 間一髪、私は首に頭を押し付けていたところだった。

 頭の向きも角度も問題なし。

 これなら大丈夫だろう。


「ルーラ。どうかした?」


 私はできる限り平静を装って振り返った。

 荷台から起き上がった彼女は、やや青ざめた顔で私をじっと見入っている。


「あ。い、いえ……なんでもありません」

「顔が青いよ」

「そ、そうですか? 疲れているのか、ちょっと悪い夢を見たようで……」

「そういう夢を見ることもあるよ」

「そうですよね。はは……さ、さぁ! ライブラへ向かいましょうっ」


 ルーラは夢だと思ってくれたみたいだ。

 なんとか誤魔化すことができてよかった……。


 それにしてもこの首、どうなっているのか。

 くっついたかと思えば、頭を過剰に傾けると取れてしまう。

 こんなことが続くようでは、私の頭部にたんこぶが増えてしまうし、何よりまともな日常生活を送れない。

 針ででも縫えば落ちないようになるかな……?





 ◇





 その後、馬車は無事にライブラへとたどり着いた。

 ルーラは門兵達から歓迎されたようで、荷台の積み荷を調べられることなく、あっさりと町へ入ることが許された。

 おかげで、私は麻布の下に身を隠すだけで門兵をやり過ごせた。


 しかし、城門が開く光景には驚かされた。

 得体の知れない音と共に、何貫(何kg)あるかも想像がつかない鉄格子がひとりでに上がっていったのだ。

 あんな重量の物体を引き上げるなんて、裏でよほどの力自慢が働いているのか、それとも未知のカラクリ技術か。

 どちらにしても興味深い。


「サキ様? あら、どちらへ……?」

「乗っているよ。ちょっと落とし物を探していたんだ」

「そうですか。屋敷まですぐですので、しばらくご辛抱くださいね」


 私は身を屈めたまま、荷台から異世界の街並みを見渡した。

 家屋のほとんどは石造りの建物で、要所要所に松明たいまつを立てて街中の灯りを保っている。

 夜とはいえ、出歩く人の数は思いのほか多い。

 忙しなく走り回る者に、街角で談笑している者など、その光景は心なしか江戸の往来を思わせる。

 文化の違いに違和感や戸惑いも多かったが、中でも私が目を見張ったのは、兵士と共に松明たいまつをつけて回っている黒衣をまとった者達だった。

 彼らは経文のような言葉を唱えた後、指先や手のひらから火を発生させて棒切れに灯していたのだ。

 妖術? それとも何か仕掛けが?

 ……実に興味深い技だ。


「一ヵ月前に比べて、魔法使いの数が増えましたね」

「そのようで。魔女を警戒してのことでしょう」


 まほうつかい?

 まじょ?


「間に合ってよかった。ウェヌスの聖錬油さえあれば、もし壁を破られても魔女に対抗する手段がありますから」

「北方のジェミニとキャンサーはすでに陥落したという噂ですからな。ほど近いライブラもいつ襲撃を受けるや……」


 うぇぬす……じぇみに……きぁんさぁ……。

 事情はまったく見えないが、ずいぶん物騒な話をしている。

 陥落したというのはよその町のことか?

 ここは町を攻め落とすような悪が存在する、そんな世界なのか?


「……新たな世界は興味が尽きないな」


 それからしばらくして、大きな屋敷の前で馬車が停まった。

 道すがら目にしてきた民家とは異なり、屋敷の周りには広い庭とそれを囲む柵が見られる。

 ここがルーラの屋敷なのだろう。

 私のような根無し草の漂浪者には入るのが躊躇ためらわれるくらい立派な家だ。


「着きましたわ。ブラキウム男爵家へようこそ、サキ様!」


 荷台に乗る私の手をルーラが引っ張る。

 よっぽど私を歓迎したいらしい。


「家長に会うに当たって、こんな格好で無礼ではないだろうか?」

「そんなことありません。この国では珍しい装いですが、サキ様の端麗なお顔や艶やかな黒髪も相まって、見惚れるほどの美しさですわ!」

「あ、ありがとう」


 同性にここまで容姿を褒められたのは初めてだ。


「でも、汗臭くはないかな?」

「まさか! ……気になるのでしたら、先にお風呂に入りますか?」


 風呂!? 風呂があるのか!

 ぜひ入りたい。

 異世界のお風呂、ぜひとも満喫したい!


「ルーラのお父上に会う前に、旅の疲れを取っておいた方がいい。さっそく案内してくれないか、お風呂に!」

「承知しましたわ。じいや、お父様には夕餉ゆうげの席で改めて顔を出すとお伝えして。聖錬油も先にお渡ししておいてくれない?」


 従者殿はこくりと頷くと、鉄の格子戸を開いて私達を屋敷へと促した。


「ふふっ。サキ様、お背中お流ししますね♪」

「え」

「え?」

「ルーラも一緒に入るのか?」

「え……」


 ルーラが急に泣きそうな顔になった。

 公衆浴場でもあるまいし、この家には木桶がいくつもあるのか?


「ご一緒してはダメですか?」

「いや、別に、かまわない、けれど……」

「やったぁ! 嬉しいっ」

「???」


 なぜこんなに喜ぶのだろう。

 私とお風呂に入るのがそんなに嬉しいのか?

 異世界の人間の情緒は、まだよくわからないな……。

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