02. 新たなる世界

 ……。


 鼻先にそよ風が触れるのがわかった。


 香ってくるのは草木の匂い。


 耳に届いてくるのは小鳥のさえずり。


 まぶたが重い。


 まだ目は開けられない。


 体も自由が利かない。


 どうやら横たわっているみたいだ。


 私は生まれ変わったのだろうか?


「おい、見ろよ」


 人の声が聞こえる。


「何やってんだ? こんなところで」

「さぁな。でもよぉ」

「ああ。……へへ。上玉じゃねぇの」


 男の声がふたつ。


「見たことのねぇ服装だな。東の国のか?」

「さぁな。そんなことより」

「ああ。……へへへへ。そうだな!」


 ……そうか。

 私はあの老人の言う通り、本当に生まれ変わったんだ。


「命からがら逃げてきた先で思いがけない発見だな」

「ああ。不幸中の幸いってやつかぁ」


 体が動かないということは、もしや私は赤ん坊なのか?

 生まれ変わるという話なのだから、それも不思議じゃないか。


「おい。この女、なかなかいい体してやがるぜ」

「ああ。へっへへへへ! どうする? ここでやるか?」


 ? なんだ?

 胸元をまさぐられている気がする。


「東の国の服は脱がしにくいな。どうなってんだこれ」

「面倒くせぇ! ナイフで紐を切れっ」


 ……これは。

 これはまさか。


「ナイフどこいった?」

「じれってぇな! これを使えよ!」


 男に胸をまさぐられているのか?

 この……私に……男が触れているのか?


「へへへっ。高そうな服だが知ったこっちゃねぇ」

「おい。早くしろよっ」


 はらわたが……煮えくり返る。


 ……目が開く。


「おっ。目を覚ましやがった」

「構うかよ。やっちまえ!」


 不愉快な男の顔が視界に入った。

 しかも、二人も同時にだ。


「がっ!?」

「あ? どうした?」


 不愉快。

 不愉快不愉快。


「あがががっ」

「おいおい。何やってんだお前?」


 不愉快極まるっ!!


「ぎゃああああっ!!」

「ひっ!?」


 こんな不愉快な気分は、彼女の・・・遺体・・を見た時以来だ。





 ◇





 風になびかれ、私の長い黒髪が視界を隠した。


 そこは、美しい草木の咲き乱れる丘の上だった。

 遠目には雄大な山々がそびえ、私の周りには見上げるほど背の高い木々が悠然と立ち並んでいる。

 こんな光景、前世ではお目にかかったことがない。

 圧倒される……これが異世界、か。


「はぁ」


 しかし、私のせいでそんな美しい場所も汚れてしまった。


 転がるふたつの汚物。

 ふたつとも、捻じれた首より上からは赤い液体が垂れ落ちている。

 下腹部からも同様だ。


 不快。不愉快。

 今にも吐きそうだ。


「汚らわしいものを握り潰してしまった……」


 早く手を洗いたい。

 いや、むしろ全身を洗って清めたい。

 着物が汚れなかったことだけが不幸中の幸いと言える。


 ……それにしても、これはどういうことだ?


「覚えてるじゃないか」


 私の名はアマギリ・サキ。


 慶長X年生まれ。


 剣術道場を開いた父の末の娘として生まれた。


 12歳で初めて木刀を握り。


 14歳で勘当され。


 16歳で初めて人を斬り。


 17歳で――


「身も心も元のまま」


 ――高名な剣豪に師事を乞うため小倉藩へ入り、紆余曲折を経て斬首刑に。


「……首は?」


 髪をかき上げたら、頭が落ちた。





 ◇





 丘陵地帯から南に三里(約12km)ほど歩くと、高い壁に囲まれた村落が見えてきた。

 いや、村落なんて規模じゃないな。

 一見して町とわかるほど、壁の内側には家屋が密集している。

 しかし……。


「奇異な街並みだな」


 壁の内側は広く小高い丘になっており、その丘をぐるりと取り囲む形で石壁が積み上げられている。

 丘の頂上には、まるで武家屋敷のようなひと際大きな建物が見える。

 その周りの斜面には、頂上の建物を取り囲むようにして家屋が規則的に並んでいるが、低い位置にある建物ほど貧相な印象を受ける。

 町中を横切る川沿いには水車も見えるし、まばらに畑もあるようだ。


 手の汚れを近場の小川で洗い流した後、私はその町へと向かった。

 小川は壁の向こう――町の中まで続いていたが、問題にはならないだろう。


「……腰が寒い」


 これから見ず知らずの土地の人里へ入ると思うと、どうにも帯刀していないことにそわそわしてしまう。

 小袖に袴、草履に下着。

 着ているものこそ前世(?)のものと変わりないが、刀は奉行所に取り上げられてしまったからか手元には見当たらなかった。


 壁には一ヵ所だけ城門のような場所があった。

 見る限り町への入り口のようだが、鉄格子の扉が塞いでいる。

 ……どうやって中に入るんだ?


「おい! そこの女、止まれっ」


 城門(?)の前まで来ると、上から声を掛けられた。

 見上げてみると、鉄格子の上に大きな窓があり、そこから男が覗いているのが見えた。

 私の寝込みを襲ってきたゲスどもと違い、その男は鎧と兜を身に着けている。

 ここの門兵だろうか。


「何者だ!? その髪色……服……異国の者か?」


 異国……?

 そういうことになるのかな。


「私は……旅の者だ」


「旅の者ぉ? 女一人、丸腰でかぁ?」


 どんな世界でも、女の一人旅は奇異なものに映るらしい。


「どこから来た!?」

「どこからというなら……小倉だが」

「コクラ? ……そんな土地は知らんぞ!」


 まぁ、そうだろうな。

 ここが異世界であるのなら。


「少々記憶があいまいで……。食べ物もないんだ。中に入れてくれないか?」

「はぁ? 記憶があいまいだとぉ~?」


 門兵が訝しそうな顔を向けてきた。

 彼は見たところ見張り番のようだし、たしかに丸腰の女が突然現れては怪しむのもわかる気がする。


 見ていると、窓にもう一人男が現れ、二人して話し始めた。


「……どうする?」

「どう見ても盗賊の類じゃない。さらわれて逃げてきたのかもな」

「それにしてはずいぶん奇麗な身なりだが」

「貴族の娘かな? いや、だったら一人で外にいるわけないか」


 なにやらゴチャゴチャと話し合っているな。

 距離があるから私に聞こえないと思っているのかもしれないが、耳の良い私には丸聞こえだぞ。


「おい、女。金は持っているのか?」

「金?」

「領主様より、旅人からは通行料として700ゼキンいただくように申し付かってるんだ」

「通行料だと?」

「貧乏人どもの暮らす村落じゃないんだ。この城塞都市ライブラに入りたいなら、通行料が必要なんだよ!」


 通行に金がいるのか……。

 ここに来るまでに持ち物を調べたけれど、金らしきものは持っていなかった。

 700ゼキンがどれほどの価値かわからないが、支払いは無理だ。


 私はちらりと石の壁を見上げた。

 ……高い。

 およそ六間(約11m)ほどの高さか。

 道具も無しにこの壁をよじ登るのは無理だな。


「そんな金はない」

「じゃあダメだ。通すことはできないな」

「では、この近くに無一文でも入れる村落がないか教えてほしい」

「……無一文で入れても、女一人じゃ無事にゃ済まないぞ」

「なら護身用の武器をもらえないか」

「はっ! 新手の物乞いか? どこかに行っちまえっ」


 ……取り付く島もない。

 散々歩いてようやく見つけた人里に入れないのは厳しいな。

 前世でも番所があったけれど、夜間に塀をよじ登ったり、山野を越えれば無視して通ることもできた。

 それがこの世界では通用しないとなると面倒だ。


「おい、女」

「?」

「こっちだこっち!」


 声のした方に向くと、鉄格子の奥から門兵が私を見入っている。

 手招きをするので近づいてみると……。


「俺が代わりに通行料を払ってやってもいいぜ」

「……なぜ?」


 鼻の下を伸ばした門兵の顔を見て、虫唾が走った。


「お前がいい女だからさ。異国人でも俺の審美眼はたしかだぜ!」

「つまり何が言いたいんだ?」

「一晩俺に付き合ってくれればごぁっ――」


 言い終える前に、鉄格子の隙間から拳を叩き込んでやった。

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