第23話 選択肢は二つ。

 結愛が捕まった。

 その事実を、俺は冷静に受け止める。

 結愛が何を狙っているのか、何となくわかったし。まず一つ目は達成されたから。


「そうか、屋上か」


 立ちあがる。黒幕がそこにいるというのなら、やるべきことをやるだけだ。


「どこに行くの?」

「ちょっとな」


 ……敵は複数。特務分室の応援が頼れない今、この二人を俺から離すのはリスキー。


「仕方ない。一緒に行こう」


 志保に俺の身分を隠すのも諦めよう。必要な犠牲だ。

 体育館の賑わいから離れ、階段を上がっていく。気を引き締める。あんなものを用意する奴らだ、階段に罠の一つや二つ、仕掛けていてもおかしくはない。


「ん?」


 ノートパソコンと結愛に渡した腕輪が屋上の入り口の前に置かれた机の上に置かれている。


『来たね、九重君。いやはや。やっぱり囮だったか。豪快な作戦を実行するね、君の相棒さんは。別に良いけど、狙っていた展開を作ることができたし』


 ノートパソコンから聞こえる声は、聞いたことのある、無駄に爽やかな男の声だった。


「……霧島か?」

『ご名答。とりあえず、後ろの二人にはそこの腕輪を付けてもらおうか。じゃないと』


 パソコンの画面が切り替わる。椅子に縛られた結愛と、そのこめかみに銃を向ける霧島だ。


『引き金、引くよ』

「おい、霧島」

「史郎、ストップ」


 志保が腕輪を一つ手に取る。それを躊躇うことなく手首に付けた。


「志保、お前!」

「これで良いでしょ。霧島君。萩野ちゃん、解放して」

『君だけじゃなくて、隣の久遠さんも。お金持ちのお嬢さん、自分一人だけで僕の要求が賄えると思っているのかい? 君たち二人じゃなきゃ意味が無い』

「……わかった。私も付ける」

「待て、奏。霧島は解放するとは……」

「どちらにしても、ここは従うしかないでしょ……はい、これで良いでしょ」

 カチッという音ともに、腕輪がロックされた音がした。

『さて、それじゃあ、僕の要求だ。九重君と久遠さんは察しているだろうけど、それはちゃんと爆発する』

「……えっ?」 


 志保がぱちりと瞬きして目を見開いた。


「だから付けるなって……」

『ちなみに、無理矢理外そうとすると……』

「爆発するとか? まぁ良いや」


 志保はそう言って階段に腰を下ろした。


「それで何? お金? 逃走手段?」

『ふっ。そんなもの求めてないさ。僕が要求する相手は君じゃないよ。朝倉さん。君だけなら久遠さんにまで付けさせない。九重君、目の前のノートパソコン。そう、君が今、見ている奴だ。そのパソコンはすぐに、ショーチューブで生放送が始められる状態にある』


 パソコンの画面が切り替わる。

 画面が何を意味するかわからないが、必要な設定はやっておいたということだろう。

 右後ろ。奏だ。奏が息を呑む音が聞こえた。


『そこで君には選んでもらいたい。どちらを助けるか。

 朝倉さんを助けるなら、朝倉さんの家がどういう家で、かつてどういう関係で、そして、あの薬。そう、君が先日の事件で、朝倉さんが誘拐された理由だと思い込んでいるあの薬について話してもらおう。そうだね、朝倉さんからも知っていること喋ってもらおうか。

 久遠さんを助けたいのなら。君があの事件で犯した罪について語ってもらおう。久遠さんが誘拐されたあの事件のことだよ』


「ふざけないで!」


 ノートパソコンが置かれた机を叩いた奏が鋭く叫んだ。


「奏、少し静かにしてくれ」

「無理。霧島君、どういうつもりなの。何が目的なの。そんなことに、何の意味があるの?」

『簡単なことじゃないか。僕はあの事件の後、苦労を強いられた。母親は入院するし、親戚からは見捨てられるし。学校ではいないもの扱いだ。だというのに、九重君、君は何だい? 随分と幸せそうじゃないか』


 どういうことだ。

 霧島が、なぜ知っている。あのことを。


『別に恨んではいない。君も、父親も。でも、僕は別に悪いことはしていない。悪いことをしていない僕が苦労して、直接手を下した君が何も報いを受けていないのはおかしいではないか。それを僕の手で正しているだけだ』


 父親……?


「お前……」

『さぁ、決めたまえ。君が決断したら僕は生放送の告知を行おう。あの動画の件もあってあのアカウントは結構な人がチェックしている』

「選ばなかった方は、どうするつもりだ」

『その手首の腕輪が爆発する。運が良ければ生き残るだろう』


 画面が戻る。霧島の瞳は冷たい。やるべきことを淡々とこなしている。そんな顔。


『萩野さんはまぁ、君を呼ぶ手間を省いてくれたから良いや。僕だって、余計な死体を増やすつもりはない。ここまでやったんだ、君の組織からは逃げられまい。せめて今日、ここから遠ざけるために動いてみたけど。頑張った甲斐があったというものだ』


 父親、か。

 俺が殺したのは、こいつの親か。

 そして、今、彼も道を踏み外した。

 俺に、その責任はどこまで求められるのだろう。


「俺を殺さないのか?」

『意味が無い。君も、一人失ってもらうということだ』


 噛みしめた奥歯が、嫌な音ともに擦れた。


『文化祭終了までに決めなかったら、二人の腕輪、そして、教室に仕掛けた奴も爆破する』

「……そうか……」

『あと、十分ごとに』


 爆音が聞こえた。……落ち着け、冷静に状況を分析しろ。匂いはしない。となると、一階か。


『化学実験室を爆破。生徒が使う予定はないね。次は調理室。三年生が今使っているね。悩む時間は、そこまでないんじゃないか?』

「史郎君。朝倉さんを助けて」


 奏が叫ぶ。奏を見捨てたら、俺は、恩人を裏切ることになる。


「駄目だよ。史郎、私はいつだって、こうなる覚悟はしていた。久遠ちゃんを助けてあげて、それから、萩野ちゃんも助けなきゃだめだよ」


 志保を見捨てたら、任務は失敗だ。

 リスクリターンで考えるなら、俺の過去を暴露してしまった方が、幾分気が楽だ。

 ちらりと、画面を見た。勝ちを確信した霧島。だが、奴の目に油断は無い。

 リスクが大きい賭けだ。だが、迷っている時間が無いのも事実。

 ミスれば、三人を失う。

 画面越し、カメラ越しなのに、結愛と目が合った気がした。結愛は、小さく頷く。

 ポンと、右肩に手を置かれる。


「……志保」


 左肩に、手が置かれる。


「奏」


 選べない。いや、選ばない。

 特務分室の手が借りられない今、残された手でどうにかするしかない。わかり切っていることだ。ただ、勇気が無かっただけ。

 結愛を見る。言葉にしなくてもわかる。いつでも準備はできていると。

 消防車と救急車の音が聞こえる。


「なぁ、随分派手にやるじゃないか。余計な死体を転がすつもりは無いとか言っていたが」

『君は、自分のせいで誰かが傷つくの、耐えられないだろ』

「……そうか」


 ドン。また、爆発音。


「えっ……」


 奏が、声を漏らす。まだ、十分どころか、五分も経っていない。


「……お前」

『あぁ、うっかりスイッチを押してしまった』

「てめぇっ!」


 霧島がなにやらパソコンを操作すると、ウインドウが表示される。学校の廊下、一階は火の海だ。最初の爆発の時点で、生徒の避難は済んでいたのか、人の気配は無い。

 カメラの向こう、結愛が動き出す。

 やるしかない。成功失敗、言っていられる時間は終わりだ。俺達の逃げ道も無くなる。

 結愛の手が、眼鏡のレンズの横に伸びる。素人の縛った縄なんて、時間があれば解ける。

 結愛の伊達眼鏡。組織の作った装備品でもあるそれは、レンズの横のボタンを押すことで、リンクした端末で、予め設定しておいたコマンドを実行することができる。

 結愛のスマホでは駄目だ。今どういう状態にあるかわからない。結愛も当然それを見越している。

 リンクしているのは俺の仕事用のスマホ。今まさに、俺のポケットからは妨害電波が放たれる。さっき結愛から送られてきた指示通りに設定しておいた。

 後は、タイミング。そして、俺の手で起動するか、結愛の手で起動するかだった。

 俺がカメラ越しにおかしな行動。スマホを弄るなんてすればアウト。残された手は結愛が起動することだけだった。

 テレビ電話の接続が切れる。


「な、なんだ、これは。どういうことだ!」


 そんな声が、屋上に続く扉の向こう側から聞こえた。

 問題はここからだ。俺が勝てるかどうか。


「よう、霧島。お前が好き勝手する時間は終わりだ」


 結愛は頑張ってくれた。取り押さえた結愛が、さらにどうにかしてくるとは思っていなかっただろう。そこを突けた。

 俺の姿を見て、各々武器を構えたテニス部員、結愛はまだ縛られた振りをしている。


「二人はここに居ろ」


 妨害電波の範囲に二人はいてもらう必要がある。せめて、扉一枚、そして、俺はそこを通さなければ良い。


「武器無いんで、先輩、お願いします」


 そう言いながら結愛は屋上のフェンスを乗り越え姿を消す。四階の窓から校舎に入ったのだろう。扉の向こうの志保と奏は任せよう。

 拳を前に構える。迷う。

 制服のベルトに、お守り替わりに差してあるそれに手を伸ばすか。

 武器は使いたくない。人を傷つけるためだけのものに、頼りたくない。


「くっ」


 だけど。この状況。速攻で決めなければならない状況。


「ん、ぐっ」


 多対一。まだブランクは埋め切れていない。手加減なんて言っていられない。


「やれ。奴を捕らえろ! 殺すなよ。それでは意味が無い」


 向かってくる。ナイフやら木刀。俺の目は、それをちゃんと捉えている。見えている。


「うおおぉおおああああ!」


 勢いで警棒を引き抜く。

 久しぶりなのに、手に馴染む感触。

 待っていたと言わんばかりに、伸縮タイプのそれは、勢いよく伸びる。

 振り上げる。俺の肩口を狙って振り下ろされる木刀を、真ん中からへし折る。

 続けざまに左足を蹴り上げ、鳩尾に叩きこむ。

 一人目。苦し気に呻きながら、屋上の床に崩れ落ちた。


「……さぁ、始めようか」 


 ちゃんとスイッチを入れる。笑みを浮かべる。頭の中が切り替わる。今の俺は、強い。

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