第21話 文化祭の日の朝。

 文化祭前日にもなると、学校の風景は様変わりする。

 どこもかしこも、準備の声で賑わっている。

 昇降口前には、三年生の屋台が並び。体育館はステージ前にずらっとパイプ椅子が並び、生徒会の出し物、二年生の屋台と並んでいく。

 三階の教室は文化部の出し物が並んでいる。二階の教室の前には看板が並び、我ら一年生の出し物が教室の中に展開される。

奥の広い多目的教室では、お化け屋敷の準備が今も忙しく続いているらしい。うちのクラスから何人かその手伝いに行った。

準備と片付けの手間と引き換えに、確実に盛況を得られ、採算が取れることに定評があるお化け屋敷。物々しいものを次々と運び込んでいた。

 奏がいなかったら、俺達もお化け屋敷や、隣の教室みたいに縁日の準備をやっていたのかと考えると、少しだけ胃が痛くなる。

 さっきビニールプールを運び込んで、せっせと水を入れているの、見たぞ。

 テスト結果は前回と同じラインをキープできた。

 奏は二連覇。霧島が凹んでいた。


「彼女は天才だったりするのか?」

「知らん。お前は努力型だと、この二回で判断しているが」

「僕は天才なんて存在を信じたこと無かったが、こうなってくるとな」

「いや、奏も単に勉強しているだけだと思うぞ」

「努力が苦にならない。呼吸するように一般人にとっての努力をするというのも一種の才能なのかもしれない」

「そりゃそうだ……まぁ、あれだ、気を落とすなよ。お前は高校の範囲、どこまで予習しているんだ?」

「一年生の分は終わっているぞ。授業は自分の理解に間違いが無いかの確認に使っている」

「そっか」


 一回くらいは勝てたりすることが、あるかもな。それなら。


「そういえば、九重君。注文の品だ」

 霧島が差し出したのは、文化祭で出題する問題の書かれた紙と、解答用紙の試作品。

「サンキュー。……うん。良い感じだ」

 



 『たすけて、』


 そんな、中途半端なメッセージが奏から送られてきたのは、中学二年の、夏休み。

 俺はすぐに隣の久遠家に向かった。 

 音葉ちゃんも、花音ちゃんも、奏はさっき買い物に行ったと言う。

 すぐに組織に連絡した。

 それからは、思い出すだけでも申し訳なくなる。

 結愛にも、無茶なことを結構要求した。

 でも結果的にすぐに奏のことを、助けることはできた。


「史郎君、助けてくれて、ありがとう」


 やめてくれ。

 俺に、そんな言葉をかけないでくれ。



 目を開けて最初に見たのは奏の顔のドアップだった。

 普通なら驚く場面だろうに、俺は安心してしまった。ちゃんと奏がいることに。


「大丈夫?」

「何が?」

「うなされたけど。それに、凄い汗」

「あぁ。大丈夫だよ。夢見が悪かったんだろうよ」


 額に奏の手が伸びた。


「……うん。熱は無いみたい。何で泣いてるの?」

「えっ?」


 慌てて目元を拭った。濡れていた。


「欠伸のせいだろ。シャワー、浴びてくる」

「う、うん」


 水を浴びてスッキリした意識を、さっきまで見ていた夢が飲み込んでいく。

 夢は、起きたらすぐに忘れる。そういうものの筈なのに。

 なんで今更。

 なんで今更、あの時の。

 俺が、人を殺した時のことを。


「史郎君、朝ご飯、食べる、よね?」

「あぁ。食べるよ。ありがとう」




 「本当に大丈夫?」

「何が?」

「顔色、悪いよ?」

「問題無いよ」

「史郎君、これ、持って行かないの?」

「……いらない」


 ゴム弾が装填された銃を持ち上げる奏。迂闊にもリビングに放置してしまった。現役時代なら絶対にやらなかったミスだ。

 奏に持たせてはいけないもの。すぐに取り上げるべきもの。

 でも俺にはできなかった。昨日までは、持てたのに。

 武器が使えなくても、持っていくつもりだった。いざという時、腹を決められた時、手元に無かったら、困るから。

 スマホが震える。

 普段使う方では無い。仕事用の方。今回、正式に任務に加えられたから支給された。

 端末自体は新しくなっていたが、中に入っているデータは覚えている限りそのまま。色々機能が追加されているみたいだが。


「急にどうしたんだよ。室長」

『面倒なことになった』

「面倒?」

『制服盗難の件、覚えているな。あれの確保の様子。そして、朝倉家のお嬢様救出作戦の時の、実戦強襲室が突入する時の様子が動画に撮られ、拡散されている』

「えっ?」


 そんな馬鹿な。

 どういうことだ、




 件の動画は内容が内容なだけあって、かなりの勢いで拡散されている。

 世界最大の動画投稿サイト、ショーチューブ。それと、トリッターを中心としたSNSなどでだ。大手掲示板にも拡散されている。

 校門前の動画とか、周りの風景や制服はぼかされているが、特定できる人はできるだろう。 

 アカウントは新しい。今回の件の拡散のために作られたと推察できる。


『我々の存在は、マスコミにバレてはならい。わかっているな? 法律的にアウトなこともやるからだ』


 室長はテレビ電話の画面越しに、やれやれと肩を竦めた。


『しかしまぁ、面倒なことになった。野良のマスコミって奴かね。珍しいものを見たらすぐにカメラに収め、拡散したがる』


 今は現代のネット事情について論じている暇ではないが、ため息吐きたくなる気持ちだ。

 それでも、少なくとも校門の前の件は、俺達が甘かった。俺も結愛も、顔はしっかりと隠していたから良いものの、これは厄介だ。 

 いや、正直、この映像だけでは騒ぎは起こせない。

 確保部隊の運転手の制服……リバーシクリーニング。弁護士事務所とは別に、実際に動くときにカモフラージュの会社として使っている清掃会社、その制服のマークと実戦強襲部隊を送り込むための車の運転手の制服のマークが一致しているという指摘。

 どちらも結構拡大しているから、画質はかなり荒いが似ていると言えなくもない微妙な範囲。

 この映像だけでは、騒ぎは起こせない。が、騒ぎ方というものがある。

 警察は密かに民間に紛れ込み、様々なところに特殊工作員を送り込み、政府に不都合な人間を消しているのでは? と、一見荒唐無稽な陰謀論。けれど映像と合わされば。ってわけだ。


『まぁ、この程度の動画でマスコミは動かないだろうな。だが、人間の好奇心は厄介だぞ』

『そうですね』


 テレビ電話に参加した結愛が、画面越しにタブレットの画面を見せてくる。

 ハッキングした学校の監視カメラ。そこにはなにやらカメラやらメモ帳を構えた人たちが、先生と口論している。


「恐らくネットニュースの記者でしょう。これで何か掴まれたら大手マスコミも動くはずです」


 実際のところ、何も掴めないだろうが、騒がれる。それ自体が面倒な事態だ。

 文化祭は中止にならないだろう。現時点で何の連絡も来ていない。だが、今日は生徒だけの日。つまり、学校周辺に妙な車が停まっていたら、それだけで取材の対象だ。


「今日は俺達だけでやります」

『あぁ、頼む』


 室長が退出する。二人だけになる。


「……悪いな、結愛。……来年は、きっと」

『気にしないでください。埋め合わせも結構です。先輩は何も悪くありません。仕方のないことです』


 結愛は淡々とそう答える。その表情には何も浮かばない。

 どこか冷めた様子だが、それもまた、結愛の一面だ。そういうドライで俯瞰して物を見る姿勢に、何回も助けられた。


「頑張ろうな」

「はい」


 だから、すぐに意識を切り替えられる。何をするべきか。どう対処するべきか。冷静に考えられる。

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