第20話 文化祭の日は。

 「史郎、悩んでるね」

「まあな」


 お前の護衛のためだ、とは言えない。

 イチゴのクレープを眺める。甘いもの食べれば何か思いつくとは思ったんだけどなぁ。

悩みの種の護衛対象は、隣で早く食べたそうに、ジーっと自分の手にある、自分の金で買ったバナナクレープを眺めている。

 ちらりと上げた視線の先。志保が確認しているのは、クレープの前の列。

 奏と結愛はまだ並んでいた。さっさと決めないからだぞ。


「なんか、迷路みたいなことやりたいなぁ」

「迷路って……どこ使うんだよ」

「やはは。そうだね」


 やるとしたら体育館だが、ステージ発表のために半分。二年と生徒会がもう半分使うことになっている。迷路用のスペースなんて確保はできない。


「それよりもさ、史郎。もうすぐテストだよね」

「あぁ、期末か」


 焦る程でもないが、油断はできない。順位はある程度キープしておきたい。一つや二つならまだしも、ガクッと十個くらい落としてでもしたら、奏に心配をかけそうだ。


「お前の勉強もどうにかしなきゃな」

「……はい、その、ありがとね」

「赤点が無いだけで安心するような立場は抜けなきゃな」

「おっしゃる通りです」


 お互い、中学の頃の、付き合う前の距離感や感覚を、取り戻しつつあると実感する。

 懐かしさに、少しだけ頬を緩めた。


「とりあえず。このノート貸しとくから、目を通しとけ」

「えっ? 良いの?」

「あぁ」

「やはは。相変わらず字は微妙だね」

「うっせー」


 まぁ、志保は読めるわけだが。不思議なことに。

 奏は矯正しようとして、諦めて投げた。


「……ねぇ、史郎」

「ん?」

「聞きたいこと、あるんだけど」

「なんだ」


 真剣な目。けれど、その奥は言うか迷っているようで、揺れている。

 一、二、三秒。その沈黙は、夕方の公園の喧騒に埋めてもらう。


「あの、夜。えっと、その」

「史郎さん。志保さん。お待たせしました」


 タイミングが良いのか悪いのか、結愛が帰ってくる。それに続いて奏も。


「あっ……おかえり」

「ごめんね、待たせて」

「気にしなくて良い。食べましょ」


 クールな志保になって、何事も無かったかのように、自分の分を食べ始める。

 気になるが、二人の前では話せないことなら、仕方がない。

 立ち上がって伸びをして一口食べる。

 イチゴの酸味とクリームの甘味が脳に沁みていくようだ。


「? 座らねぇの?」

「良いの?」

「良いから立ったんだけど」

「そ、そう」


 戸惑いながら座った奏。でも仄かな笑みが見えた。

 何か。何か上手い企画。クラス一丸にならなくて良い奴。

 歩いて駅の構内へ。


「へぇ。今年もやるのね」


 志保がそう呟いた視線の先のポスターは、各駅に配置されたスタンプを集めていく。集めた数に応じて景品が貰えるというもの。


「……スタンプラリーか」

「史郎? 何か思いついた?」

「……スタンプでは学校の規模じゃ物足りないな」


 ならどうする。

 考えろ。

 迷路……いや、学校を迷路に見立てて。迷路と言えば、暗号。


「あっ!」


 これなら、最低限の人員。景品を渡す人と、たまに見回りする人くらいで済む。




 謎解き・イン・学校。と言えば良いのだろうか。

 学校中に問題を配置して、正解してゴールすると景品が貰えるというもの。

 途中リタイアの場合も、正当数に応じた景品が貰える。

 縁日やお化け屋敷と被らず、さらに学校中に問題を散りばめるという部分が盛り上がりそうだという意見が貰えた。準備も楽だし。

 奏が頑張ってプレゼンしてくれたのが、一番大きいが。本当に、頭が上がらない。

 奏が話す横で書記するのは、なかなか胃に来るものがあった。

 そもそも、奏と一緒に前に出るのは避けたいものである。

 奏は正直、結構綺麗だ。いや、可愛いと言った方が正しい気がする。社交性もある。その横に、大勢の前で立つのは、俺の心臓では足りない。

 けれど、最近はなんか違う。背中を刺す視線に、とげとげしさが減った気がするのだ。


「絵になるかも」

「ね。怖そうだけど意外と優しいって感じ」

「あー。奏さん、言ってたよね。私だけがわかる彼の魅力的な? 萩野さんも懐くわけだ」


 変な話が聞こえるな。女子の噂話はよく吟味しないと、尾ビレがかなりついて、もはや別の話になっている場合もある。

 まぁ、噂話はどうでも良い。ここまでは思い通りに進んでいるのだ。ここで一気に、誰も手が出せなくなるテスト期間に、事前準備を進めておく。潜在的な反対意見も潰してしまうのだ。

 怖いくらいに順調に進んでいく。奏と結愛がいるならそれも納得だけど。

 仕事ができるかどうかという面で、この二人は優秀だ。



 「先輩、寄っていきませんか?」


 そう聞かれたのは、奏の家でテスト勉強して、志保を家まで送った帰りだ。


「お前、勉強会参加すりゃ良いのに」

「別に、護衛は引っ付いてるだけが護衛ではありませんからね。普段先輩がしている部分を、あの時間は私が担当するのです」

「あぁ、なるほど」

「今のところ特に不審な動きがあるわけではありませんが」

「変な遠慮するなよ。結愛の場合は、志保に護衛を隠しているわけじゃないし、奏だって事情を把握している」

「先輩、もし襲撃された時、奏さんと妹さん方を巻き込むリスク、ありますよ」

「……そうだな」


 結愛に、普通の女子高生らしい日常を、少しでも送ってほしい。でも、それよりも優先すべきことがあることが、頭から抜けていた。 


「さぁ、どうぞ。お入りください」


 簡素な部屋だ。娯楽らしい娯楽は本棚に並んだ小説。あとはパソコンだけか。


「さて。わざわざ部屋に入れたんだ。何かあるんだろ」

「いえ、ありませんよ」

「帰るわ」


 踵を返す。そろそろ眠いのだ。


「冗談です。冗談ですから。さぁ、お茶の一杯でも飲んでいってください」

「へぇ」

「だって仕方ないじゃないですか。学校ではこんな風に堂々と話せるわけじゃないんですから……そんな、めんどくさそうな目で見ないでくださいよ。酷いです」


 むくれ顔の結愛。後輩を虐めて楽しむ趣味は無いから、勧められたソファーに座って、差し出されたマグカップを一口。お茶の味なんて、語れるほど知らない俺には、美味しい紅茶だな。以外の感想は思い浮かばない。


「文化祭、誰と回るのですか?」

「いや、普通に志保の護衛だけど」

「えっ……?」

「何がおかしい」

「はぁ」


 結愛がそれはもう、わざとらしくため息を吐いた。


「史郎先輩。九重史郎先輩」

「なんだよ」

「奏さんと回るとかは?」

「その、謎の奏推しはなんなんだ」

「個人的に、奏さんなら納得がいく。というだけです」

「わけがわからん」


 そのまんま解釈すると、俺が志保に気持ちを向けるのは気に食わないけど、奏なら仕方ない。となる。

 でもそれは、結愛が……いや。やめよう。こういうことを考えるのは。

 ……正直、怖い。変な勘違いをして、本気にしてしまうのは。


「先輩?」

「あぁ、いや」


 結愛の前では、頼れる先輩でありたい、そう考えている自分がいる。


「まぁ。お前も楽しめよ。俺とか志保のことばかり気にしてないで」

「仕事ですから。それに、私には楽しみ方とか、わかりませんし」

「別に、やり方があるような話じゃないからな」

「この年になると、感覚的に理解する機能が落ちていることを感じますよ。論理立ててもらわないと、厳しいです」

「そもそもやり方が存在しないのに、論理も何も無かろうよ」

「なら、私には無理なことです」


 寂しそうでも、悲しそうでもなく。ただそれが当たり前のことだとでも言うように、結愛は言った。

 それが無性に納得がいかなくて。

 意地になりつつある自分がいる。


「んじゃ、俺と回るか?」

「へ?」

「文化祭。一日目なら生徒だけだ。回れるだろ。そこまで厳しく、志保の周りを張らなくても」

「えーっと」

「あぁ、悪い。調子に乗ったな。志保とかと回った方が楽か?」

「いえいえいえ。先輩と、回って良いのですか?」

「よ、良くなかったら誘わねーよ」


 急に前のめりになる結愛に少しだけたじろぐ。


「じゃ、じゃあ、一日目……その、良いですか?」

「あぁ。良いよ」

「その……不束者ですが、よろしくお願いします」

「そこまで畏まれても……」


 普段の結愛とは違う、もじもじとした仕草。


「あー。そろそろ帰るかな」

「あっ。はい。そうですね。引き止めてすいませんでした」

「いや。別に良い」


 家を出る。外は勿論暗い。


「そうだ、先輩。二日目も、誰と回るか考えておいてくださいね」

「いるか? それ」

「いりますよ。勿論」

「そうかい。……頭の隅で覚えておくよ」

「はい!」


 ちらりと志保の家を見る。一階の電気が消え、二階の電気が点いている。

 外、すっかり温かくなったな。今更、そんなことを想った。

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