第18話 日常に帰る朝。

 「おかえりなさい」


 一旦着替えてから行こう。そう思って家に入ると、奏が中にいた。


「妹たち起こしたらあれだから、こっちで待ってた」

「悪いな。こんな時間まで」


 時計を見ると、もう日付なんかとっくに変わっていて。草木もぐっすり眠る時間だった。


「良いよ。待ってるって言ったの、私だし。萩野さんもお疲れ様」

「は、はい」


 テーブルに置かれているのはコーヒー。いつも通りに見えるけど、少しだけ目がトロンとしていた。規則正しい生活を送る奏にとって、この時間まで起きていることは、そこそこ辛いものがあるだろう。


「あー。ありがとな」

「急にどうしたの? さっ、夕飯にしよう。こうなると思って、三人分用意してあるんだから。あとは揚げるだけだから、ちょっと待ってて」


 キッチンに立つ奏。

 所在なさげに、困ったように視線を彷徨わせる結愛の頭に手を置く。


「今日は泊まっていけ」

「い、良いのですか?」

「あぁ。無理矢理連れて来たようなものだし。あー、腹減ったー」

「……はいはい」


 奏の声がワントーン下がった気がするが、多分、眠いのだろう。

 一番風呂は結愛に譲り、キッチンへ。


「手伝うよ」

「ありがとう」


 それから、テーブルに夕食が並んだ。この三人で、食卓を囲む日が来るとは。なんて、任務の直後なのに、変な感動をしてしまった。




 夕飯を食べ終えると、奏は家に戻った。

 本気で眠そうだったから、一応家まで送った。隣なのに大げさだなって笑われた。


「あの、先輩。泊まっていけとは言いますが。どこで」

「あぁ、俺の部屋使いな」

「先輩の、部屋?」

「あぁ、他の部屋は一応、奏が週一で掃除はしてくれているけど、うーん」

「先輩の、部屋……」

「あぁ、俺はリビングで寝るから」

「……あぁ、そうですか。先輩、ですもんね」

「うん?」

「いえ。先輩が純粋に私を心配して泊っていけと言ったのはわかりました。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」


 と言っても、疲れと興奮が入り混じって、中途半端に眠い状態。熟睡できるか怪しい。

 しばらく、リビングでぼんやりと天井を眺めていた。

 これからどうしようかとか、あのメールは、結局誰だったのかとか考えていた。

 俺が現れた時の反応を見るに、まず結愛は違う。室長も俺が来ることを期待していなかったようだから違う。

 あともう一つの懸念事項。

 あの時、志保は間違いなく、任務中の俺を俺だと思った。

 否定して、状況の特殊さから、勘違いだと判断してくれたとは思うが。 

 完全に見抜いたとは、考えにくい。あの状況で、助けに来てくれた人を知り合いに当てはめてしまうのは、ありえない心理状況では無い、と思う。

 リビングの扉を開く音、身体を起こす。


「あの、先輩、起きてます、よね」

「ん? トイレなら廊下だぞ」

「それはわかっています」

「飲み物なら好きに飲んで良いぞ」

「ありがとうございます。あの、その」

「ん?」

「もう少し、お話しても、良いですか? 眠れなくて」

「あぁ、良いよ。俺もそんな感じだ」


 結愛がソファーの端にちょこんと座る。初任務の後を思い出す。あの時は、報告を終えて、しばらく震えて動けなかった結愛の傍にいた。

 いや、あの時とは違うけど。結愛は成長した。

 普段通りの会話になるよう、ぼんやりと、さりげなく、天井を眺める。


「こういうのも、久しぶりだな」

「そうですね……その、ありがとうございます。改めて」

「俺が勝手に来て、勝手に侵入して、勝手に助け出しただけだぞ」

「そんな捻くれたこと言わないでくださいよ」


 そこで俺は、一つだけ、怒りたいことがあったことを思い出した。


「結愛」


 ビクッと、結愛の肩が跳ねる。

 伊達に一緒にいたわけじゃない。俺が怒っているのが、わかったのだろう。


「……はい」

「頼れよ」

「……すいません」


 ポンと頭に手を乗せて。手入れの行き届いた髪の感触を楽しむ。


「先輩っていうのは後輩を助けるんだよ。俺を先輩って呼ぶんだったら、頼れよ」

「その……言い訳がましいのですが、奏さんの巻き込まないでくださいというのが、頭に残ってまして。奏さんの目の前では、頼み辛くて」

「うん」

「それが、正直な裏の理由です」

「ったく」


 最後にしっかりとデコピンだけかまして。


「そんな妙な遠慮をするような奴だったか?」

「わ、私を何だと思っているのですか? 遠慮くらいしますよ」

「それくらい騒がしい方が丁度良いよ。お前は。騒がしくて、ちょくちょく図々しいくらいが」

「私のこと、騒がしくて、図々しいとか思っていたのですか」

「でも、頼りにしてる。信頼してる」


 それから、眠くなるまで話した。気がつけば、外が少しだけ明るかった。

 組織にいた頃も、こんな風にじっくり話したことは、無かったと思う。

 俺が仕事を休んでから、どんな任務をこなしたかとか。最近の志保の様子とか。

俺は俺で、組織から離れることを選んだ時のこととか、普通の中学生として、どういう風に過ごしたとか、そういう話をした。

 もっと早く、こういう時間を作れれば良かったと思う。そうすれば、もしかしたら結愛は、最初から志保を助ける時に、連れて行ってくれたかもしれない。

 




 人の気配がして目を開くと、奏が目の前に立っていた。


「おー。おはよう」


 起き上がろうとして、何かが身体に絡みついていることに気づく。


「なんだ……?」


 首を動かして確認して。


「あぁ、結愛か。おい、朝だぞ」

「んにゅ?」


 目を少しだけ開けて、目元を擦り、そのまままた目を閉じてしまう。意外と寝起きが悪いな。


「仲良いね、史郎君。何も無かったのは見ればわかるけど」

「流石だな。奏なら妙な勘違いをしない安心感がある」

「そりゃどうも。もう。ほら、萩野さん、起きて」

「……むぅ」


 そんな呻き声と共に、ぐりぐりと頭を俺の胸板に押し付けて、奏の声を拒否する。

 ほっぺをぷにぷにと突いてみるが、すべすべの肌をこちらが堪能するだけで、意識を少し覚醒させる程度の効果しかない。


「ほら、起きろ」


 肩を揺すって、ようやく、身体が起き上がる。


「あぁ、先輩、おはようございます」

「あぁ、おはよう」

「先輩後輩、揃って朝が弱いね。ほら、顔洗って、朝ごはん食べよ」

「というか、奏、今日休日だろ」

「そうだけど。ほら、一応、萩野さんが泊まっていくのわかっていたし。史郎君、客人の朝ご飯までどうにかできる?」

「微妙なところだな」

「というわけで。はい、私が来ましたとさ」

「ありがとうございます」

「よろしい」

「花音ちゃんと音葉ちゃんは?」

「部活」

「大変だな」


 結愛が立ち上がり、ふらふらと風呂場の方に歩いていく。なんか危なっかしい。

 順番に顔を洗って、目を覚まして。


「おはよう、ございます」


 やけに顔の赤い結愛がペコリと頭を下げる。


「おう、改めて、おはよう」

「その、失礼します」

「あ、あぁ」


 慌ただしく出て行く結愛を見送って、少しだけ遅れて戻ることにする。

 まぁ、あの状況なら、そんな反応になるのも理解はできるし。

 朝食を食べたら結愛が帰って、奏と宿題を片付けて。帰って来た花音ちゃんと音葉ちゃんと夕飯を食べて。のんびり過ごした。

 任務明けの、緊張からの開放感に浸りながら過ごした。



 「史郎、その、ごめんなさい。酷い態度、とりました」

 週明けの朝、志保は出会い頭、そう言って頭を下げた。

 奏が一歩、俺の後ろに下がる。結愛も、志保の一歩後ろに下がった。そんな二人の気づかいに感謝しつつ、悩む。

 なんて言おう。俺は別に、怒っていない。色々考えて、俺は一言。

「大丈夫だよ」

 精一杯、安心させられるように、笑顔でそう言った。




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