第17話 仕事の終わり。

 作戦は成功。

 実戦強襲室の人たちが突入し、人はみんなそっちに割かれたおかげで、誰にも見つからずに外に出て、結愛の誘導で逃走用の車に乗り込み、発進。

 結愛を回収し、車を指定のポイントに放置、そこからは徒歩で逃走。あとは上の仕事だ。

 今頃、実戦急襲室の連中が一人残らず取り押さえている筈だ。あちらは俺達と違って、戦闘特化のプロだ。


「あ、あの。ありがとうございます」

「あぁ、うん。でもまだ終わりじゃない。君を安全なところまで届けなければいけない」


 頭を下げる志保にコートを脱いで渡す。夜の闇に白いドレスは目立つ。

 コートに仕込んだ武器より隠密性だ。どうせ、今の俺には使えない。

 いざという場面になっても勇気が湧かない。そんな自分に呆れた。

 志保に歩くよう促す。思ったより動揺が見られないな。

 泣いた様子も無い。毅然としている。それでも、ショックはあるだろう。疲れも溜まっているだろう。

 けれど、なるべく早く行かないと。最悪背負って歩こう。戦闘はできなくなるが、その時はその時だ。

 志保を取り返したとはいえ、今回の失態は大きい。

 結愛以外に、学校内で志保を守れる奴は組織にいない。年齢的に。送り込むなら生徒が理想。教師だと、四六時中に一緒にいられないから。

とはいえ、今回の件で護衛の件を無かったことにされる可能性もある。

 夜の街を三人で歩く。なるべく目立たないように。明かりを避けて。闇に紛れるように。眠りについた街を歩いていく。最後まで気を抜けない。追手がいないとも限らない。

 仕事帰りに見える人も油断はできない。なるべく目撃者や証拠を残すのは良くないのだ。

向かった先は志保の家。家は家でも、本当の家。豪邸の方である。来るのは初めてだ。

 同じ塀がしばらく続くなと思ったら、突然現れた高い門。そこから見える家は、横に広いが、縦も三階ある。


「あっ、そっか。鍵取られたんだった」


 そう呟いた志保がインターホンを鳴らすと、慌てたような声がスピーカーから聞こえ、潜戸の鍵が開いた。

 彼女の荷物は、すぐに組織の人が取り返して持ってくるだろう。

 玄関の前で、組織時代の上司と、志保のお父さんらしき人がいるのが見えた。


「室長」


 結愛がそう声をかけると、背の高い男性が振り返る。見た目は二十代半ばだが、既に四十は越えているらしい。


「戻ったか。予想より早いな。……ほう」


 俺の姿を見て、興味深げに笑みを浮かべる。


「相変わらずの悪人面だな、室長」

「休職は終わりかな?」

「まさか。今回だけだ」

「そうか。君が出張ったのなら納得の仕事の速さだな。ご覧の通り、娘さんを連れ戻しましたので、約束通り、教えてください」

「……わかりました」


 志保の父親らしき人は、どこか疲れた様子で頷いた。


「ただし、このことは、内密に」

「とのことだ。おい待ちなさい。どこに行く気だ」

「帰るところだ」


 仕事は済んだので、さっさと帰ろうとしたところ、呼び止められた。


「君も聞いて行きなさい。よろしいですか? 朝倉社長」

「……はい。そうですね、直接護衛を担当する人にも、知っておいて貰った方が良いでしょう」



 日付もそろそろ変わる頃。

 志保は、社長さんに休むように言われ、この場にはいない。思ったより素直だった。きっと、疲れているのだろう。

 出された紅茶を一口飲んで、喉が渇いていたことに気づいた。そういえば腹も減ったな。

 俺も結構気を張っていたみたいだ。

 茶葉はわからないが、恐らく、高いのだろう。付き合っていた頃に、志保が紅茶は香りを楽しむんだよとか言っていたのを思い出して、鼻を近づける。血管が緩んで、血が通って力が抜けた。


「本名を名乗りなさい、二人とも」

「九重史郎です」

「萩野結愛です」


 室長に促され、俺達は名乗る。

 社長さんは一つ頷いて。そして、話をまとめようとしているのか、目を閉じた。

 それからしばらく、息を吐く音に顔を上げた。


「惚れ薬です」


 社長さんが、ぽつりと、そう切り出した。


「完璧な、惚れ薬です。飲んで、最初に見た相手を好きになる。そういう薬です。それはもう、その人のことしか考えられなくなる。そんな恋愛感情を呼び起こさせるほどの効果。志保を攫った狙いは、恐らくそれです」

「惚れ薬……そんなもの、何に使うと言うのですか? それこそ、法を犯してまで欲しくなるとは思えませんが。いえ、あったらなと思ったことは勿論ありますけど」

「結愛にしては察しが悪いな。別に誰かと良い関係になるために使うわけじゃないだろ。べた惚れさせて、例えばライバル企業のお偉いさんにそれ使って、機密情報を持って来させることができる」

「九重君の言う通りです。私の部下が、効果の実験のついでとして、同業他社の幹部にそれを使い、新製品の情報を聞き出したとして、問題になりました」


 室長が腕を組んで唸る。


「製品化は?」

「するわけないじゃないですか。しかし、部下がそれを使ったことにより、噂が広まったらしく、レシピを買いたいという人がかなり現れまして。過激な手段をちらつかせる人も。なので、娘だけでもと、すいません。事情も伝えず。まさか、本当に」

「いえ、今回は我々の落ち度でもす。今後は、二人体制を取らせていただきます。彼女よりも戦闘面に秀でた彼もいますので、安全性は増すはずです」

「ありがとう、ございます」

「……もしかして、志穂に護衛を付ける件を伝えなかったのって」

「はい。確信は持てなかったので。無闇に怖がらせるものではないと考えたからです」


 少し前、結愛が吐いた嘘は、実質、嘘ではなかったのか。


「しかし、驚いたよ、九重君。志保から話は聞いていたが、元カレの君と、まさかこういう形で会うとは」

「んぐっ」


 思わぬ方向からの会心の一撃。くっ、油断したか。


「お、俺は、あ、あなたが俺のことを知っていることに、お、驚きましたよ」

「先輩、声が震えています。元カノのお父さんに会うのが気まずいのはわかりますが、落ち着いてください」


 結愛からの冷静な追い打ち。心臓にダイレクトアタック。


「志保は、会うたび楽しそうに、君のこと話してくれたからね」

「俺は、何もしてませんよ。何も、できていませんよ」


 むしろ最後には、辛い顔をさせてしまった。悩ませてしまったようだ。何もどころか……ゼロどころか、マイナスかもしれない。本来なら、合わせる顔が無い。

 社長さんの顔は真剣だった。

 向き直る。何言われても文句は言えない。そんな開き直りに近い気持ちで向き合う。


「何もできていないなら、あんな楽しそうに話はしませんよ」

「そう、ですかね」

「そうだとも。だから、今後とも、志保と、仲良くしてやってください。正直、脅迫が届き始めてから、志保の人間関係にも、口出した方が良いのではと迷っていましたが、私の迷いを、志保は見透かしていたのでしょう。情けない。でも君なら……娘を、よろしく頼みます」


 そう言って、社長さんは頭を下げた。

 室長の手が、ポンと肩に置かれ、結愛が背中を軽く叩いた。


「……はい!」

「あ、あと、勉強の方も、お世話になっているようで」

「あ、あはは」

「今回のテスト、はい。赤点が無かったことに、安心していますよ」

「そうですか」


 ……うん。

 そうか、楽しそうに、か。

 そっか、ちゃんと、楽しかったんだ。




 「室長。何さらっと俺を組織の人間として話しちゃってるんだよ」

「まぁ、良いじゃないか。結愛のしたことは立派な命令違反だが、むしろ都合が良い」

「チッ」

「君は相変わらずだな。そんなに私のことが嫌いかね?」

「嫌いじゃない。大嫌いだ。自分の親共々」

「はははっ、君のご両親は健在だよ」


 結構な組織のピンチを経験しておいて、いつもの調子を崩さないのが憎たらしい。


「朝倉家は、組織設立当初から支援していてくれた会社の一つでね。今回、我々への御咎めが少ないのもそういうことだ」

「……父さん、帰って良いの?」

「あぁ。良いとも。結愛、お疲れさん」

「そうかい。じゃあ、結愛。帰るぞ」

「えっ?」

「良いから、付いて来い」


 ちらりと後ろを見ると、親し気に手を振っている室長が見えたが、無視する。 

 結愛の父親。萩野修也、現特務分室室長。俺の元上司。

 秘匿組織。裏警察。創立メンバーの中でも中心になった四人のうちの一人。

 ちなみに残り三人のうち一人は結愛の母親で、残り二人は俺の親だ。

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