第16話 余裕ぶってかっこつける。
私がこうなる時が来ることは、可能性があると何となく程度だが思っていた。
資本主義社会において、お金があるというのは、それだけで悪感情を向ける理由としては十分なのだ。お金は命だから。お金は選択肢を増やせるから。
それに、お父さんは作ってしまった。多分、世界中の大半の人が欲しがるものを。
なるべく、普通でありたかったけど。どうにも上手くいかなかった。
いや、普通になろうとしている時点で、普通じゃないって認めているようなものだけど。
「ははっ」
笑い声は虚しく響いた。らしくないことを考えているのが面白い。
コンクリートに囲まれた部屋の隅で、膝を抱えて座る。
「はぁ。青春っぽいことしたいとか、ちらりと考えてしまったのがマズかったのかなぁ」
はぁ、死ぬのかな。それとも身代金で解放かな。
でも、多分私を攫った人の目的は、あれだよね。
父さん、渡すのかな。渡したら大変なことになるよね。多分死ぬんだろうなぁ。せめて綺麗なまま死にたいなぁ。
いっそ自分で死ぬかぁ。舌噛み切れば窒息するんだっけ。あーあ。痛いだろうなぁ。
萩野ちゃん、大丈夫だったかな。目の前で拉致されたからね。
パーティーが終わって退屈で、何となく外に出て、ホテルの外にいた萩野ちゃんと鉢合わせて、でも目の前でワゴン車が開いて。担ぎ込まれて。
「まぁ、でも、準備はしてきた」
一人になる努力をした。
史郎を、遠ざける努力をした。史郎に酷い態度を取り続ければ、久遠ちゃんも遠ざかる。
萩野ちゃんは、気にするだろうけど、長い関係じゃない。すぐに忘れてくれる。
後悔は、私だけの中。したくなかったな、後悔。
「あーあ。やっぱ、中学時代だよなぁ。ミスったなぁ。変な希望、持っちゃったなぁ」
でも、楽しかったなぁ。
「楽しかったなぁ」
私は間違えた。
でも、どうしたら良かったのかなぁ。
だって私、告白された時、嬉しかったもん。
だって私、彼と、仲良くなりたいと思ったもん。
「あーあ。馬鹿だなぁ、私」
わからないな、本当。
中一の頃、友達を家に招いた時、私に本当の友達はいなくなった。
お金をせびられるようになり、一緒に遊んだ時も当たり前のように奢らされた。仲が良い友達の振りをして搾取された。
この経験が、今回、史郎を遠ざけるための立ち回りの参考になったけど。
都合よく利用されているだけと気づいて、離れることを選んだ。史郎にもそう考えて欲しかった。
中学二年、クラス替え。私は完全に一人になった。それから出会ったのが、史郎だった。
「でも、史郎に、家のこと、打ち明けられなかったな」
中一の事件をきっかけに、私は、一般的な一軒家をもらった。そこで一人暮らしをすることにした。
お手伝いさんが一日一回来て、三食作って掃除をして帰っていくから、特に困っていない。
何回か、史郎もその家に招いた。
「振り返ると、やり残したこと、結構あるなぁ」
都合の良いことは意外と起きない。
不幸な奴は、どこまで行っても不幸だし。
悪いことが起きると、とことん悪い方向に進むし。
本当に欲しいものが手に入らない人は、いつまで経っても手に入らないし。手に入っても、結果的にすぐに失うし。
不幸が積み重なったからって、その分を帳消しにするような、最高の出来事が起きるわけでもない。小さな幸せでちょろまかされる。
「本当、酷いなぁ」
持たざる人は、そのままの方が幸せかもしれない。
幸せを知らない人に、幸せを与えてはいけない。
ちょっと幸せを垣間見ただけで、それが忘れられなくなる。
また同じところに戻った時、落差を感じて苦しくなる。息苦しくなる。重苦しくなる。
楽しかったこと、嬉しかったことを思い出して、ちらついて。当たり前だったことが、酷く理不尽に感じて。
あんな幸せ、掴むんじゃなかった。
結局のところ。
私、後悔ばかりだ。
やりたいこと、欲しいもの、いっぱいになってしまった。
「あーあ。どうしたら良かったんだろう」
馬鹿だ、馬鹿過ぎる。涙が出そう。
「彼氏とは、上手く行っているのか?」
父親に、そう言われた時、私は頷いた。
「……そうか」
どこか、渋い顔で頷いた父親の顔は、今も覚えている。
そうだ。娘の恋人だって、脅しに使えなくは無いんだ。
父親が脅されているのは、知っていた。何回か、なるべく誰かと一緒にいるようにしなさいとは言われていた。
私はまた、一人を選んだ。
史郎を守ろうとか、相談して、協力して乗り越えようとかじゃなくて、遠ざけようとした。史郎君は、私が危ない時は、絶対に助けてくれたのに。
だけど、できるわけがない。相談したら、どうにかしようとする。
ただの高校生に、何かできるわけ無いのに。史郎は、多分、どうにかしようとする。そんな、危うさのようなものが、彼にはある。
それに、私は、史郎みたいに、誰かのために全力になれない。
でも、駄目だった。史郎や、久遠ちゃん、萩野ちゃんに会うと、心が嬉しくなるんだ。会いたく、なるんだ。一人で、矛盾していた。
そうだ、嫌われようとするなら、もっと徹底したやり方があるじゃないか。無視したり、悪口言ったり、殴ったり、蹴ったり。
中途半端だ。結局、中途半端だ。
「だって、楽しかったんだもん……」
独りよがりな自分へ返って来たものと考えると、しっくりくるな、この結末。
足音が聞こえた。
あー、せめて毅然としてよ。何言われるかわからないけど。どうせ碌なことではない。それだけだ、わかることなんて。
「見つけた。突入部隊頼んだ」
聞き覚えのある声。
見上げる。
黒服の男が、仮面舞踏会を思わせる半顔マスクをつけて立っていた。見るからに怪しい。
んん? 待てよ。
「史郎?」
「……えっ?」
史郎、何で。何で? 私、酷い人なのに。酷いこと、したのに。
その人は、一瞬の呆気を消して、淡々と私の傍にしゃがみ込んだ。
「結束バンドか。動くなよ……よし、切れた。さて、さっさと逃げようか」
黒服の彼は、そう言った。
さて、志保を見つけたのは良いが。ここからどうしたものか。
パーティーで着てそのままであろう、白い薄手のドレスのまま、こちらを見上げる彼女を眺めながら考える。
志保を連れて来た道を戻るかと一瞬考えたが、志保に天井裏は厳しいだろう。登れるかと言われたら、頑張れば引き上げられるけど。そこからが問題だ。
『先輩、人が来ます』
「おっ、それは丁度良いな」
扉を破る手間が省ける。
志保に後ろを向かせ、さらに手で目を塞ぐようにジェスチャー。
『三人です。接敵まで、5秒。3、2、1』
扉が開いて入って来た3人を閃光が襲う。
十分すぎる隙だ。だから、バトンタイプのスタンガンを抜くか迷った。
「くっ」
そんな一瞬の隙、許される筈がない。闇雲に振り回してきた拳を辛うじて躱す。
「チッ」
一人目、顎を右拳で打ち抜く。二人目、側頭部に蹴りを入れる。三人目、鳩尾を左拳で打ち抜く。
一人一発。呻いている間に拘束する。
ハンカチを口に詰めて、ベルトで手を拘束して。鍵は頂戴する。
「それじゃ、行こうか」
必要な作業を終え、振り返る。志保は、俯いていた。
「あのさ、史郎」
「史郎って誰? 友達?」
やっぱ声でわかるのかな……誤魔化しているが、また呼ばれた時、普通に返事してしまいそうで怖い。
顔を上げた志保は、涙目で睨んでいた。
「……史郎、私、あなたに酷い態度を取ったよ。なのに、なんで……嫌ってよ、離れてよ。わかったでしょ、私、こんな目に合うかもしれない人なんだよ!」
状況が状況だ。叫ぶのは勘弁してほしい。でも、志保の声は、本気だった。
だから、俺は笑顔で答える。
「史郎って人は知らないけど、君は、本気で誰かに酷い事、できる人には見えないよ。……ルート案内頼む」
馬鹿言うな。無理してることくらい、わかるっての。そりゃ、もやっとしたけど。好きな人だから恋は盲目って奴になっているのではと、自分を疑ったけど。
それでも、志保が辛そうなのは、わかったんだ。
「……ごめんなさい。知人と、間違えました」
そう言った志保は、嬉しそうに、とても嬉しそうに、笑っていた。
そんな志保の顔を見たのは初めてで、少しの間、仕事中なのに、見惚れた。
『非常口の方が近いのでそちらに誘導します』
結愛の声で我に返る。さて、こんなところにいつまでもいられない。
「コホン。はいよ。それじゃあ、お嬢さん、信用できないかもしれないけど、ここで待つのと、俺を信じるの、どっちが良い?」
差し出した手を、志保は躊躇わずに握った。
「それじゃあ、エスコトートは任せてくれ」
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