第15話 いってらっしゃいといってきます。

 奏が家に戻り、一人の家。

 そんな時に通知を知らせたスマホに飛びついて。メッセージアプリの通知で、霧島からの連絡だと知って、スマホをベッドに投げた。


「なんだよ、こんな時に」


 何が、『起きているか?』だよ。

 枕の上に落ちたスマホを持ち上げ、「もう寝るつもりだ」と返事してベッドに投げ直す。

 どうすれば良い。手が打てない。

 奪還作戦を確実に効果的に行うなら今日だ。

 それが一番、組織が受けるだろうダメージが少ない。

 そして、誘拐した側も一番警戒していない。


「くそっ」


 ちらりと浮かんだ策。今から、街中を探し回る。

 愚策だが、いや、策とも呼べないものだが、確実だ。

奪還作戦を決行するなら夜中。今から家を出れば、運が良ければ見つけられる可能性がある。

 手早く家を出る準備を整える。

 見つからなかったから仕方ない。何て言い訳を、明日する気は無い。

 絶対に見つけ出す。絶対にだ。

 スマホが震える。無視しようと思ったが、結愛の可能性もあるからと素早く取りだす。

 件名なし。送り主のアドレスにも心当たり無し。

 ただ、そこには、位置情報が貼り付けてあった。

 雑居ビルの住所。駅からも中心街からも離れたところに建っている。


「行くしか、無いよな」


 特に考えることなく、その結論に至った。

 どうせ、当てなんてなんて無いんだ。罠でも突っ込むしかない。




 「史郎君、行くの?」


 家を出ると、上から声が降ってきた。 

 見上げると、奏が窓から顔を覗かせている。月明かりに照らされて、急いでいる筈なのに、足は自然と止まった。


「ちょっと待っててね」


 その声から十秒と経たず、奏が出てくる。


「……連れて行かないぞ、今度は」

「うん。止めに来た」

「奏に俺を止められるのか?」

「逆に、史郎君に私をどかせるの? ここを通りたくば、私を倒していけと言われて」


 それは、俺に仕事から離れよう、そう思わせた時と同じ目をしていた。

 優しくて、澄んだ目だ。

 奏に、普通の日常を、普通の生き方を、教わったようなもので。

 でも、それでも。


「奏。俺に志保を見捨てろというのか?」

「史郎君が行かなくても解決する。私はそう思っている」

「なんだと」

「むしろ、ブランクがある史郎君に、何ができるの?」


 奏の言うことは、正しい。正論だ。

 突き崩すことが不可能な論陣だ。

 正しいだけではない。俺を想い、状況をちゃんと見ていて。分析していて。みんながちゃんと助かることも、考えている。

 でも。


「それでも、俺は行くよ」

「どうして?」


「後輩が泣いているんだ。好きな女の子がピンチなんだ。

賢い振りして動かないことが正しいなら、そんな正しさはいらない。目を逸らして見捨てられるような俺なら、死んだ方がマシだ。

奏は、そんな男とずっと一緒にいたいと、思えるか?」


「ふぅん」


 鼻を鳴らして、奏は手を振りかぶる。

 目を逸らさない。ここで目を逸らすわけにはいかない。今回は、動かされるわけには、いかない。

 迫ってくる手を避けない。俺は動かない。

 甲高い音が響いて。鋭い痛みが走る。……手加減無しかよ。


「これで許してあげる。史郎君、終わったら、寄ってね。心配かけて。もう」

「起きてる気かよ」

「勿論。明日土曜だし。たまには夜更かししようかなって……いってらっしゃい」


 奏は、嬉しそうに笑う。

 ……帰って来ないわけにはいかないな。早々に済ませなきゃ。


「いってきます」

 



 複雑な気分だ。

 走っていく史郎君を見送る。きっと、史郎君ならどうにかしてくれる。

 昔から、史郎君は、いざという時に頼りになる人だった。

 人生で一番、危なかった時も、史郎君は、文字通り命を賭けて助けに来てくれた。

 史郎君に「放っておけよ。見捨てろよ」なんて言われてもそうしなかったのは、私が困っている時、史郎君は絶対助けることを選んでくれたから。

 史郎君が、朝倉さんを、萩野さんを助けに行く。それはとても嬉しい。

 今ならわかる。朝倉さんは、史郎君を思っている。史郎君もそれを何となく、わかっている。

 史郎君に危ない目に合ってほしくない。私の願いや希望より、あの二人を優先することに対して、ちょっと複雑な気持ちを抱いている自分がいる。

 そんな自分が卑しくて、間違ってるのはわかっていて。

 でも、もし、史郎君が、少しでも迷ったら、行かないことを選んだら、私は喜べただろうか。史郎君を許せただろうか。

 史郎君の言ったことは正しい。私は史郎君が行ってくれて嬉しかった。ここで思いとどまる史郎君は史郎君ではない。そう、史郎君は、正しく私を理解していた。

 あぁ、面倒。久遠奏は、面倒な女の子だ。




 先輩が休職ことを選んだ時、私は引き止め方がわからなかった。

 先輩は、正しいことをした。どうして気に病むのかわからなかった。

 わかったことは、先輩が苦しんでいることだけ。でも、言葉の掛け方がわからなくて。だから、少しだけ、ホッとした。


「普通の日常が。普通の生活が。まともな生き方がしたいって思わせてくれた人がいてさ」

「はい」

「悪い。結愛。散々迷惑をかけた挙句、こんなことになって」

「……はい。その……休むのも、大切ですから」

「あぁ」


 最後の会話はそれだけ。そのあっさりとした会話を先輩は、私が怒っているとか、愛想を尽かしたとか思っていたみたいだけど。

確かに、難しい要求は結構された。でも、必要だと考えたからちゃんとこなした。怒る理由なんて無い。

 ただ、ホッとした。背負い方がわからないものを、背負わなくて良い。それは別に責任転嫁とか、厄介なものを誰かに押し付けることができたとか、そういうのではなくて。

 助け方がわかる人。救い方がわかる人に頑張ってもらうのが正しい、そう思ったのだ。

 だから、あそこで何もしなかったことを、後悔していない。 


「身の程をわきまえて、お行儀よく何もしないのが正しいのなら、俺は悪にだって堕ちてやる」


 これは、先輩に言われた言葉。先輩が仕事から離れたきっかけになった事件で、これから救出作戦という時に、先輩はこの言葉を私にくれた。

 まだ、私の中で、棘になって、突き刺さって、抜けない。

結果的に先輩の活躍で解決となったけど。でも、命令違反の連続。独断専行の乱発。

 本部での待機命令を無視して現場に急行。作戦は成功。結果との相殺で、その月の給料が少し減らされただけだった。

 あの時止めていたら、今も先輩は隣にいるのだろうか。

 いや、あそこで止まるような先輩は、史郎先輩ではないとも思ってしまう。

 だから今も、少しだけ期待している自分がいる。

 馬鹿だ、私は。何もしていない。何も伝えていないのに、来るわけがない。むしろ、来るなと言ってしまった。

 さて、もうすぐ、仕事の時間だ。物思いにふける時間は、終わりだ。

 一人、待機地点に身を隠す。素早くタブレットを操作し、警備システムをいつでもダウンできるようにしておく。

 ちらりと、これから侵入する建物を見る。

 四階建てのオフィスビル。セキュリティ自体はそこまで厳しくない。

 監視カメラを掌握して、既に志保さんが捕らえられている部屋の場所は特定してある。

 私が志保さんの身柄を保護したら、実戦急襲室選りすぐりの突入部隊が制圧、拘束する手筈。

 やるなら今日。今日ならまだ油断している筈。

 あの日から、史郎先輩がいなくなった日から。私は一人だ。

 ツーマンセルが基本の特務分室で、私は異例で特例のソロを選んだ。

先輩と以外、組む気は無い。先輩が再び、私と組むその日まで、誰とも組まない。それを許されるために、今回も、成功させて見せる。

 私の人生で数少ない非合理的で、間違っている決断。

 先輩が関わると、どうにも非合理的で、遠回りになってしまう。志保さんの件で吐いた嘘もそうだ。たまに自分がわからなくなる。

 ちらりと、傍らに置いてある、私が使う予定の無い、余計な荷物を見る。お守り代わりに任務の時はいつも持ってきている荷物。これもまた、私の正しくない部分。


「準備は良いか?」


 聞こえてきた声に、いつものように、でも久しぶりに、私は答える。


「はい。いつでも。仕込みはばっちりです」

「それは上々。これ、俺の奴だよな、なんだよ、期待してたんじゃねぇか」

「えっ?」


 私のお守りが、本来の持ち主の手に渡る。

 振り返る。聞こえる筈の無い声、いる筈の無い人。


「なんだよ。……うわ、これ新しい上にサイズまでぴったりって」

「その……私が手入れして、この間、サイズ確認して、新しくしておきました」

「マジかよ。少し引いたぞ。まぁ、今回ばかりはありがたいけど」


 見えた光景は、幻なのかと一瞬思った。先輩が、任務用の制服に袖を通し、装備の感触を確かめている。

 内ポケットや裏地に、色々仕込んで、それを取り出しやすいように、前を開けて着ている、黒の長いコート。先輩のリクエストによる特注の制服。功績が認められて室長がOKを出し。それから私のわがままで今回、サイズを更新した。


「不思議だな。どこに何があるか、まだ覚えてるよ」

「なら安心ですね」

「あぁ」


 キザったらしく黒い手袋をつけて、コートの襟を整えて。

 それは、願って、夢見て、でも、半分諦めていた光景で。


「それじゃ、今回も頼むよ、相棒」


 ポンと、私の頭に手を乗せて、任務の時だけ見せる、気障で、自信満々な笑み。

 この時、この瞬間の先輩を知っているのは、私だけ。奏さんや、志保さんも知らない。


「……グスッ」

「なんだよ。頼むぜ。まぁ、お前がヘマしたところで死ぬ俺じゃないけど」


 身体を軽くほぐして、ちらりとビルを見上げ、私のタブレットを覗き込んで構造を確認して一つ頷いて。


「それじゃ、背中は任せたぜ、相棒」

「はい! お任せください!」


 このヘッドセットを最後に着けたのは、あの夏休みの事件で。

 今先輩の耳には、私のマイク越しの声が聞こえている筈。


「さっさと終わらせるぜ。奏にあまり夜更かしはさせられないしな」


 聞き捨てならないことが聞こえた気がしたけど、いつも通りなら、先輩はきっと、あれを言ってくれる。

 ニヤリと口元が吊り上がって、本気を出すためのスイッチを入れる。

その合図が聞こえる。


「さぁ、始めようか」


 夜の闇を駆け出していく。

 弾丸のような速さで。敵の懐に、恐れることなく突っ込んでいく。

私は素早く画面に指を滑らせる。


『監視カメラにダミー映像を流します。警備システム無力化まで、3、2、1』

「はは、完璧っ!」


 と言って褒めてくれる先輩の手際の良さは相変わらず。

 あぁ、頭が冴えていく。身体から絶妙に力が抜けて、ここ数か月で一番調子が良い私になる。


『その角を曲がってください。次の角、人が来ます。数、2』

「了解」


 先輩の腕は、全く錆びていない。視線の切り方、気の引き方。どれを取っても無駄が無い。

 目元を擦る。視界がぼやけては、完璧な相棒を、務められるわけがない。


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