第12話 元カノと痛みとお勉強。
今の今まで、特に意識してこなかったが、うちは所謂私立の進学校である。入試の難易度も高く、また、奏が言うには、定期試験の難易度も相当らしい。
休職を選んだ俺は奏に誘われてそこを志望し、彼女が出来て浮かれていた俺は付き合い始めた志保も誘い、結果、合格した。俺たちの中学からは、三人しか合格しなかった。
「というわけで史郎、お願い。もう、あなたしかいないの。あっ、ついでに、宿題を写させてくれたらなーなんて」
「えっ、なんで?」
放課後、テストまであと二週間という日の教室。
部活も来週には休止期間に入るらしいが、帰宅部の俺には関係が無い。
さて、俺はちらりと結愛を見る。が、スッと目を逸らされた。
結愛がこの学校の勉強についていけていることはわかっている。志保にも問題なく教えられるはずだ。順調に仲を深めているように見える。観察していると、お互い少しずつ素が漏れているから。
奏を見る。が、奏は志保に鋭い視線を向けていた。
「史郎しかいないんだ」
キリリと頭は痛みと共に、志保の受験勉強をサポートしていたのは誰なのかを思い出す。
「史郎、また勉強を、教えて欲しい」
「断る」
反射的に言った。
言った後に後悔する。もっと言い方があるだろ。
取り繕おうと、口を開くが。
「そう。やは」
という、志保の、少し素が混じった笑い声に遮られる。
「それじゃあ、また」
鞄を持った志保はそのまま教室を出て行く。結愛も慌ててその後を追いかけていく。
「……史郎君」
奏はその一言に、どんな感情を込めたのか、読み切ることはできない。
やってしまった。どうしたら良い。でも。
でも、吐き気と痛みは、容赦なく。
しゃがみ込んで、そのまま地面に融けて消えてしまいたい衝動は凄まじく。
しばらく、背中をさすってくれる奏に甘えることになった。
「史郎君。この間までは普通に話せてたじゃん。一緒に遊びにも出かけてたし」
「そうなんだけどさ。うん。わかっている、おかしいのは俺だって」
自販機で買ったコーヒーに口を付ける。口の中にコクのある苦みが広がる。
そう。おかしいのは俺だ。
今話せない俺がおかしいのか、この間まで話せていた俺がおかしいのか。
いや、この間までは、志保に危機が迫っていると思っていたから、切り替えられていた、私情を切り離して考えられていた。
でも、今俺は、傷を感じている。認識している。痛んでいる。
そして、頭にちらついてしまった。
『朝倉さんも朝倉さんだなぁ、手を繋いだり、腕に抱き着いたり……荷物持ちさせて、全部奢らせて……もうっ』
『いや、ほら。別れたにしても、史郎君が仲良くしようとしてくれるなら、都合よく利用してやろうって』
奏の言葉が、一つの可能性として、頭の中に。
いや、奏のせいにするつもりは、一切無いけど。
「あの、何でそんなに私を見るの?」
「春休み。お前いなかったらもっと拗ねて、拗れてたんだろうなと思うと。今はまだ、ましな状況だろうなぁと」
「そんな、絶対あり得ない状況を想定されても」
「あり得ないか?」
「あり得ないよ。私が史郎君を放っておくなんて。ふふっ」
「マジで?」
「マジで。例え放っておいてくれと言っても、私は傍にいる。厄介な子が隣に、長年住んでいると思ってね」
恥ずかし気に髪を弄って、後ろから来た人に道を譲った。俺もそれに習う。
目の前を、制服姿で手を繋いで歩くカップルが通り過ぎる。あの仲睦まじさは、あとどれくらい続くのだろうと、嫌なことを考えてしまう。
そうだ。おかしいのは俺だ。合理的じゃない。でも。
「志保が、凄いんだよ」
「ん?」
「恋人と友人の間を、反復横跳びできる」
だけど、それがきっと、正しい。
「振ったのは、朝倉さんだよ。ダメージが大きいのは当然史郎君じゃん」
「……奏。戻れると思うか?」
「私に聞かれても、わからないな」
奏は、困ったように笑う。
俺の中で、志保がわからなくなってきている。最近の志保は、わからない。荷物を持たせる、奢らせる。そんなこと、今まで無かった。むしろ、そういうのを嫌うタイプだった。
志保が何を考えているのか、知りたい。知らなきゃいけない気がする。
少しすれ違って、そこからグダグダと、少しずつ崩れてそのまま、関係が終わってしまう。そんなのは、嫌だ。無かったことにはならない。けれど、一つの関係が崩れたからって、終わってしまう。そんな決まりは無いのだから。
「まぁ、とりあえず。朝倉さんの勉強は、私が見るよ」
じっと俺の顔を覗き込んでいた奏が、唐突にそう言った。
「……頼む。苦労すると思うが」
奏なら、どうにか上手い事やってくれる、とは思うけど、どうなるだろうか。
飲み干した缶をゴミ箱に突っ込んで、振り返る。
「それよりも気になるのだが、一体何があった?」
「何が?」
「俺しかいないって、奏、勉強教えるの上手いだろ」
「あー。その話か。簡単なことだよ」
奏は指を一本立てる。
「史郎君は、久遠さんの受験勉強を見てたんだよね」
「あぁ」
「んー。そのね、志保ちゃん、何というか、すぐに集中力、切れちゃうんだ」
「なるほど……でもなぁ」
これに関してはアドバイスできない。
志保の機嫌や、気分を予想して、問題の量とか休憩のタイミングとかを調整する。これができるようになるのに、俺はどれくらいかかっただろうか。
「九重君、スマホ、忘れてるぞ」
「あぁ、悪い」
霧島に指摘されて、俺は自分でもヤバいと思った。
ボーっとしているな。行き場のない変な悔しさが、胸の中でグルグルと渦巻いている。
「久遠さん、朝倉さんの勉強を見ているようだね」
「あぁ」
「……僕としては、万全の彼女に勝ちたいところなのだが。入試の借りを返したい。二位より一位が良いからな」
こいつ、さらっと入試成績順位を自慢してきたな。
「敵の戦力が削がれるのは、喜ぶべきだろう」
「ちゃんと美味しい勝利の美酒を味わいたいのさ」
そう言いながら、テニス部の練習着に着替えた霧島は教室を出て行く。
部活しながら勉強するのも、十分なハンデだと思うのだが。それに、奏なら一年の範囲の勉強はとっくに終えているだろう。志保のことはハンデにもならない筈だ。
「史郎さん」
「どうした? 結愛」
「数学のノート、提出した奴の返却です。教卓に置いてあったのですよ。ちゃんと回収してください」
「あぁ。悪い」
そういえば、テスト前に一旦集められたんだったな。テスト後にしろよという文句が多かったのを覚えている。
「とてもわかりやすいノートですね。字が綺麗ならもっと良いのですが」
「そりゃどうも」
受け取ったノートをパラパラと開いてみる。……チッ。
「きゅ、急に舌打ちして、怖いんですが」
「……志保は、奏と一緒か?」
「はい。そうですよ。今日も奏さんの家で勉強するとのことです」
「わかった。ありがとう」
鞄を担いで教室を走り出る。二人が乗る電車には間に合うはずだ。
ったく、何でだよ。俺、後悔しているのかよ。
……なんで俺のノート、志保が躓きそうなところ、強調して書いているんだよ。
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