第11話 後輩。対決。
「おはよう。九重君」
「あぁ、おはよう」
連休明け最初の登校。霧島が友人たちとの会話を切り上げて、俺の前の席に座る。
「どうだった? ゴールデンウィークは」
「まぁ、それなりに。お前こそ大丈夫だったのか? 部活メンバー、窃盗だろ」
「あぁ。しばらく活動自粛だってさ」
「とばっちりだな」
「あぁ。それより、君、早速噂になっているよ」
「はぁ」
まぁ、見かけた奴はいるだろうなぁ。
「一度に二人の女とデートして、挙句、その直後に別の女とデートする軽薄野郎って」
「噂好きで嫉妬深いとは、このクラスは救いようが無いな。お前には会った時に説明しただろ」
「まぁね、フォローはいれたよ」
「そりゃどうも。まぁ、順調に嫌われていっているわけだな」
「ふっ。別に、嫌われてるだけ、というわけでも無さそうだぞ」
そう言いながら、教室を見回す。
「あ?」
「意外と顔が良いことで、最近話題の九重君」
「チッ」
前髪を少し引っ張る。さっきから感じる鬱陶しい嫉妬とか嫌悪の視線に、好奇が混じってるのはそれか。
「ははっ」
陽気に笑って肩を竦めて。
「ではまた、今度は昼休みにでも」
霧島が立ち上がると同時に、奏が戻ってくる。奏は霧島を一瞥して。
「ふーん。結構仲良いじゃん」
なんて言った。
「うわー。凄く嫌そうな目。って、それよりも史郎君」
「なんだ」
「学級委員長としての仕事。ちゃんとしようね」
「無理矢理押し付けられた役職を全うする気が起きるか?」
そう、クラス内の役職を決める際、先生がぼやくように奏を推薦、ならば、と奏は俺を推薦と、なし崩し的に
「史郎君と以外、上手くやれる気しないし」
「やはは。愛されてるね、史郎」
志保だ。後ろには結愛もいる。志保の席の周りにいる男子の視線がこちらに向いているのを見るに、話しかけられるのを察知して逃げてきたのだろう。
「人見知りとか言っていられないと言ったのはいつ、誰だったか」
「んー。知らないなぁ」
「さいで」
小さく舌を出して、ぱちりと綺麗なウインクを見せてくる。……こういう仕草も様になるというか、素直に可愛いと言うか。
頭を振って余計な思考を払う。今考えるべきことは別にある。
「席につけー」
担任が教室に入ってくる。
結愛の姿をなるべく見過ぎないように目で追う。テーブルの上に置いていたハードカバーを鞄に入れて、教壇に目を向けている。
昼休み、は難しいな。放課後か。仕掛けるとしたら。
そう思っていた。
そう思っていたが。その考えが、機先を制することを許すことになった。
「先輩」
昼休み。トイレの帰り。俺は声を掛けられる。耳元で。すれ違いざまに。
この学校で、俺をその呼び方をする奴なんて一人しかいない。
「結愛、ここでその呼び方をするな」
「そういえば、なんて呼ぶか決めてませんでしたね。では、史郎さんと呼びましょう」
「それで良い。何の用だ」
「ここではあれなので、こちらに」
もしや。やはり気づかれていたのか。
それとも、何か緊急事態か? どちらにせよ、ある程度気持ちの準備をしておこう。
無意識に、左手が、コツコツとベルトの警棒を叩く。
なるほど、奏の言う通りだな。変な癖があるな。
文化部の部室が並ぶこの階は、昼休みはほとんど人が来ない。
廊下の窓と窓の間の壁を背もたれに、外から狙えない位置に立つ。
「先輩、私に何か話があるのでは?」
「気づいていたか」
「古いパスワードでログインされたら、わかるようにしていましたから。覚えていたのですね」
「まぁな。お前が志保の護衛任務をしているのは本当。でも、狙われているというのは嘘。というのが今のところわかっていることだ」
「それが全てです」
「どういうことだ?」
「どうして騙すようなことをした。と聞きたそうですね」
「当たり前だ」
俯いて、気まずそうに、制服の上に羽織ったパーカーのフードを深く被る。
身構える。もしこれが、襲撃する直前の気の迷いなら。
いや。結愛は知っている。その一瞬の隙があれば、俺ならどうにでもできると。
いや、逆にそれを利用して敵意が無いと油断させる戦略か。
思考の堂々巡り。良くないな。ここは、仕掛けるか? 結愛なら早撃ちで、俺の左手を使用不能にできる。俺が、それに反応しきれるかどうか。
「その、先輩」
結愛の顔が上がり、真剣な目が、真っ直ぐに向けられた。思わず息を呑む。
耳を澄ます。足音はしない。そもそも昼休みの学校だ、部隊を送り込むのは不可能。警戒すべきはスナイパーくらいだ。それも対策は出来ている。いや、目の前の結愛が影武者で、結愛が狙撃手なら、跳弾とかさせて……一流の狙撃手でもある結愛なら可能だけど、いや、目の前にいるのは間違いなく結愛だ。極端な可能性を考え過ぎるな。そう、警戒すべきはやはり目の前の結愛で。
「ごめんなさい」
その言葉とともに、結愛は勢いよく頭を下げた。
「ただ先輩に近づきたかった、それだけです」
「……近づく?」
身構える。何が来る……。
「あの、警戒しないでください」
「そう言われて警戒しない奴がいるか」
「この流れ、前もやった気がします」
一歩、さらに一歩。無造作に結愛は距離を詰めた。武器を抜く気配は無い。袖に何か仕込まれている感じはあるが、それを使う様子もない。
「先輩。私、先輩にずっと会いたかったのです」
距離が詰まる。息が詰まる。
駄目だ。無理だ。
俺は、結愛を攻撃できない。
悪い。奏、約束、守れそうにない。
「……ん? 会いたかった?」
「はい。そして、また先輩と、仕事がしたかった。だから、嘘を吐きました。先輩なら自分の知っている人の危機を、見過ごすようなことはできない。それがわかっていました。ごめんなさい。先輩の性格を利用するようなことをして」
「えっと……」
「ごめんなさい。先輩。信用できないなら、どうぞ」
結愛は、手錠を二つ取り出す。自分の足と手首にそれをかける。
「この状態で話しましょう。なんでも吐きます」
「まずは確認だ。結愛。志保の護衛の任務に就いているんだな、お前は」
「はい、その通りです」
両手両足を自ら拘束した後輩が、目の前に転がっている光景は、見つかれば破滅への一本道になっている気がする。
でも、戦闘部隊を送り込めず、スナイパーが狙うのも難しい。結愛にとって圧倒的不利な場所で、こうして好きにしてくださいと言わんばかりの状態になって。話も聞かないというのは、できなかった。
「志保を今まさに狙っていて、実際に動いている組織がいる、というのは」
「嘘です」
「じゃあ聞くが、あの校門前にいた奴らは?」
「制服を盗んでそれを着て、女子生徒に不埒な真似をしようとしていた奴らです。新学期早々、見覚えのない生徒がいても違和感を持たないでしょう。私もそれを利用して、正式入学前に昼休みに学校に潜入していたので」
「はぁ。あのラブレターは?」
「私が用意しました。事前に特定して、その計画も突き止めていたので。先輩に捕まえてもらうついでに、信用を得るために利用させてもらいました」
「素直に話せよ……」
でも実際、俺はそれで乗せられて、自分から阻止しに動いたんだ。
昼休みの結愛の一瞬の接触も、制服を着れば、今の時期なら紛れ込むことにそこまで苦労しない。そんな可能性に思い至らせるためと考えれば……うまく乗せられたものだ。
「じゃあ、あのスリも?」
「あれは違います。前も報告した通り、ただのスリです。常習犯でした。あの近辺に現れることは、知っていました。ただ……彼も気の毒なことに、変な人に目を付けられたらしく」
「変な人?」
「はい。その人が、黙っておく条件として、志保さんから財布を盗めと」
「……それ、狙われてね?」
「そう考えられることには考えられるのですが、だとしたら妙だと思いませんか?」
「何が?」
「何の意味も無いじゃないですか」
確かに。スリを脅して財布を盗ませたところで、何になると言うのだ。
財布を盗ませて俺を志保から引き離したところを狙うなら、まだわかるが。
例えば、犯罪行為を強要するいじめと解釈することもできる。
「脅した人間の目星は?」
「全くです。学校の下駄箱に入っていた手紙で、自分の犯行シーンを捉えた写真付きで脅されたらしいです。手紙は処分するように指示されたらしく、残っていませんが」
「高校生がやるにしては徹底してるな」
送られた側としても、自分の犯罪行為を証拠付きで指摘している手紙を他の人に見られたくない筈だ。処分するだろう。
「そして、私たちが捕まえた当日に関しては、公衆電話から指示されたそうで。手紙だけなら妄言だって切り捨てるところですが、通話履歴あったので」
「今時公衆電話か……」
どうとでも解釈可能な範囲だ。かなり陰湿なのは間違いない。
「公衆電話ボックスって監視カメラ、基本的に付けないらしいですね。困ったものです。調べるの、結構手間ですよ」
ため息を吐いて、困ったように肩を竦めた。
「本当は、先輩に危機感を持たせて、連絡を取ったり、会いに行ったりする口実を作るだけのつもりだったのですけど、色々起きたせいで、変にリアリティが生まれて、ややこしくなってしまいました」
「はぁ。じゃあ、お前のやっていることは」
「立派な命令違反ですね」
悪びれもせず、ニコッと笑いながらそう答えた。
「まぁ、護衛任務を一人でこなすのは難しいのはわかるが、しかも本人に気づかれないように」
「えぇ。志保さんと仲良くなるところから始めなければいけなかったので。気弱な文学少女を演じるのも大変です」
「ちゃんと調べてはいるんだな。あいつ、結構本好きだからさ」
「はい」
「そういえば、お前も結構読んでるよな」
「そうですね……先輩の影響で」
結愛の前で、本を読んでたことは……結構あった気がする。本部で待機を言い渡された時の暇な時間とか。
何冊か、結愛に薦めた覚えもあるな。そっか、俺が仕事から離れた後も。少し、照れくさい。
「あの、どの時点で私を疑ったのですか?」
「三人で出かけた後、奏がな」
「あの人ですか……やはり、油断なりませんね、あの人」
忌々し気に結愛は呻く。もう少し拘束しておくか、今解放するのは危険だろう。と思ったらがっくりうなだれて、溜息。
「先輩、復帰、しませんか? また先輩と組みたいです」
「お前は優秀だから、そんなに俺に拘らなくても良いだろ」
「私が全力を出せる相棒は、先輩しかいません」
「はいはい」
結愛の制服のポケットから手錠の鍵を見つけて、外す。
外した瞬間に襲われるとか、一瞬頭を過ぎったが、そんなことは無く。
その時点で、俺の中で結愛に対する疑念は解けた。
「じゃあ、教室戻るか」
「はい……ゲッ」
「気弱な文学少女は、そんな声を出さないと思うけど? 萩野さん」
「か、奏さん……負けませんよ。私、諦めるつもりはありません」
「ふん」
プイっと、唇を尖らせて奏はそっぽ向く。
「来てたのかよ」
「史郎君、全然帰って来ないんだもん」
「……心配かけたな」
「全くだよ」
「えっ……私、何をすると思われていたのですか?」
「さぁな」
ったく。まぁ良いや。結愛を疑わなくて良いのなら。胸の閊えが一つ取れたし。
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