第8話 お出かけとは準備から忙しいもの。

 「おはよう、奏」


 今日は外出する予定が無いのか、眼鏡をかけた奏に起こされ、それから寝ぼけた頭を洗顔で覚醒させて改めて。


「うん。おはよう、史郎君」

「休日に来るなんて珍しな。花音ちゃん達は部活?」

「うん」


 テーブルに置いてあったスマホが震える。結愛からメッセージだ。


「悪い」


 集合時間前に打ち合わせね。指示らしい指示を貰ってなかったことを思い出し、少し気が抜けていることに気づく。危ないな。


「あれ、史郎君、出かけるの?」


 朝食を食べ終わり、何故か、奏が掃除機片手に立っていた。


「そうだけど、奏は何してるんだ?」

「見ての通りだよ。最後に掃除したのいつ?」

「忘れた」

「じゃあ、入学式の日に、軽く私がしてからしてないんだね」

「忘れたと言っているんだよなぁ」

「史郎君の忘れたって、やってないとほぼ同義だと思う」


 掃除機の音をBGMに、俺は姿見の前に立つ。

 髪形を弄って、良い感じの形を探す。服装も多分、大丈夫。


「朝倉さんと出かけるんだ」

「出かけるなら鏡の前で格好をチェックする。基本だろ」


 まぁ、その基本が身に着いたのは、志保のことを意識し始めてからで。

 それまでは姿見なんてインテリアの一つだったし。髪形も、朝にシャワーを浴びて乾かしてそのまま。服は引き出しの一番上の物を着るといった感じだった。


「ふーん。私と出かける時、そこまでしてるの?」

「春休みは引っ張り出されてたからな。そこまでする余裕は無かった」

「そっか」


 一瞬だけ見えた不満げな顔。うん、そうだな。そういうのはあまり良くないことだな。今度から気をつけよう。


「それで。どうだ? 今日の俺は」


 あの日々にいた俺と、同じ聞き方をしたのは無意識で。

 そして、奏が答える。


「かっこいいよ、ばっちり! と言いたいところだけど、少し弄れるところ、あるよ」

「は。えっ?」


 奏が、ワックス片手に立っていた。


「少し動かないでね」


 向き合って背伸びして。頭に手を伸ばしてくる。


「お、おい」

「良いから良いから」


 やるなら座らせれば良いのに、そんな体勢で髪形が整えられた。

 顔が近づいて、目の動きまでじっくりと観察できて。近づいた分、奏の意識しないようにしていた、胸元のよく育ったそれが当たりそうになって、でもそれを意識していることを気づかれるのは、なんだか恥ずかしくて。

 冷や冷やそわそわしているのは俺だけなのか、余計に恥ずかしいな。


「どう?」

「まぁ」

「今度、髪切ってあげる」

「いや……」

「見てても鬱陶しいし」

「それが本音だろ」

「史郎君、実は気づいていたけど、前髪上げると、結構きれいな顔してるよね」

「……そうかい。あんがと」




 待ち合わせの三十分前、喫茶店に入る。すぐに結愛を見つけた。


「悪い。待たせたか?」

「いえ、全然ですよ」

「には見えないな」


 紅茶結構減ってるし。

 一番奥の席。休日で中途半端な時間だからか、店内は空いていて。声を潜めれば、ちょっとした話し合いくらいはできそうな環境が整っていた。 


「それで、打ち合わせって?」

「その前に、先輩も何か頼んだらどうですか?」

「あぁ。すいません、コービーお願いします。ホットで」


 注文を取りに来た店員さんが会釈して去っていく。


「あと十分したら志保さんの家の方に移動します。それから待ち合わせ場所まで尾行、護衛し、その後合流ですね」

「徹底してるな」

「徹底しますよ」


 結愛はタブレットの画面に目を落とす。


「動きは確認できていませんけど、油断はできませんからね」

「そうだな」

「というわけなので、これ、読んでおいてください、今日の概要です。私は行きます。先輩はここで待って

いてください」


 紅茶代を置いて、結愛は立ち上がる。

 護衛対象にまで秘密の護衛任務は大変そうだな。とぼんやりと思った。

 俺もついて行った方が良かったのかな、とか考えたけど。すぐにその考えを打ち消す。誰か待っていないとおかしいよな。志保の場合は特に。

 志保は待ち合わせの時間に基本、二、三分、場合によっては五分遅刻してくる。

 待ち合わせまであと二十分。一応目を通しておこう。結愛から貰ったA4の紙一枚。

 素早く目を通していく。速読は組織の仕事の中で身につけている。

 これと言って指摘する点は無い。


「でも、なんだろう」


 違和感があるな。漠然として、捉えどころが無い違和感。


「気のせい、か」


 そう口に出してしまえば、気のせいだと思える、そんな。

紙をポケットに突っ込んで、コーヒーをもう一口。


「相席は良いかな?」


 そんな予想外のことを言われて顔を上げた。


「やあ。奇遇だね」


 そいつは向かい側に腰を下ろし、お冷を出しに来た店員に会釈して、無駄に優雅な動作で水を飲んだ。


「こんなところで何をしているんだ。霧島」

「朝食さ。座ってしまった後に聞くのもあれだが、良いかい? ここ」

「俺はこれから待ち合わせがあるから、すぐいなくなる。別に良い」

「では遠慮なく。ここのモーニングセットは僕のお気に入りでね」


 フレンチトーストにベーコンエッグ。ソーセージにサラダ。コーンスープ。お手本のような朝食だ。


「これからお出かけかい?」

「さっき言った通り、待ち合わせだ」


 優雅にナイフとフォークを使いこなす様子は、知的な顔と相まって、結構絵になるものだ。


「そこのお金。この席に別の人が座っていたと」

「そんなところだ」

「さっき、そこの時計のところ、朝倉さんと萩野さんを見たのだが」

「……! マジで?」

「あぁ。僕は冗談をあまり好まない。そうかあの二人と……ふっ。なるほど」

「何に納得してるか知らないが、それじゃ。俺はこれで」

「会計はまとめて済ませておこう」

「悪い」

 コーヒー代を置いて立ち上がる。時計を見る。いや、え?

 駅前の広場。その中心にある時計のモニュメントの下。そこは、デートの時、いつも待ち合わせしている場所。

 待ち合わせ時間ぴったり。霧島の言う通り、そこには既に、志保がいた。眼鏡引っ込み思案スタイルの結愛と一緒に。


「マジで?」

「何を驚いているの?」

「えっ、いや、だって」

「私だって、いつまでも昔のままじゃないってことよ。覚えておきなさい」


 何だろう、この敗北感。

 いや。ここで乱されては駄目だ。集中。よし、大丈夫。


「結愛もおはよう。さて、じゃあ、行こうか」

「どこに行くの?」


 志保が、当たり前のように隣りに並ぶ。


「結愛、どこだっけ?」

「はい、まずはそうですね……ゲーセンでもどうでしょう?」

「ゲーセンね。わかったわ」


 そう言って、志保が俺の手を取る。


「えっ?」

「ん? あっ、ごめん」


 すぐに手が離れた。結愛がいることを忘れてるのか。全く。

 さりげなく周囲を見渡す。……ん、あれは?


「……史郎さん」

「あぁ、わかっている」


 今は無視しても良いが、いや、なんでついてきてるんだよ……。それとも偶然か?

 それよりもだ。一人の男に目を引き寄せられる。

 休日の繁華街。志保に少しずつ近づいてくる男。

 凝視はしない。気づかれてると思わせない。

 志保の後ろを通り抜ける。瞬間、彼女の方にかけた手提げ鞄に手を突っ込んだのが見えた。


「結愛」

「はい」


 折良くゲーセンの目の前。中に入ったところで、立ち止まる。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「えぇ」


 志保にそれだけ言って、一人抜け出す。

 さて、と。

 さっきの男は割とすぐに見つかった。ので。


「狙いを言え」


 顔を隠すために目出し帽を被り、不意打ちで路地裏に引きずり込んで、鳩尾に蹴りを入れて悶絶させた。

 意外と若いな。俺と同年代くらいじゃないか?


「この財布」


 ポケットに入ってた長財布、開けば志保の学生証が見える。


「あまり大金を持ち歩かない傾向にある学生を狙ったんだ。何か狙いがあるんだろ?」

 例えば志保の家のことを知っていなきゃ、休日の学生なんて狙うだろうか。

「う、うるさい。離せ!」


 こいつ、まだ抵抗する気か。少し怖がらせるか? 吐かせるだけここで吐かせたい。


「先輩、そろそろ拘束部隊が来ます。手筈通りに」

「チッ」


 恐喝にならない程度の脅しを考えていたところで、耳に突っ込んでるワイヤレスイヤホンから聞こえる指示。

 乱暴に路地裏の奥に投げて、結愛から預かってる手錠で手足を拘束。猿轡を噛ませ、すぐにその場を離れる。



 ゲーセンに戻ると、両替機の前で困り顔の志保がいた。

 賑やかなBGMに迎えられながら近づく。


「あっ、史郎、財布見つからなくて、どこかで落としちゃったかなぁ、まぁ、落としたなら落としたで、別に良いけどさ」

「これだろ。入り口に落としてたぞ。貴重品を別に良いって、相変わらずだな……」


 そしてこの切り替えによる温度差。しばらく慣れそうにない。


「ありゃま。これはラッキー。ありがと。史郎に奢ってもらおうか本気で検討してた。……史郎、千円ちょーだい」


 財布を受け取った逆の手を差しだして、クイっと、首を傾げる。その角度は、志保が一番可愛らしく見える角度。当然のように、自分の見せ方を知っている。

 財布から千円札を取り出して渡す。嬉しそうに受け取って、じっと俺の顔を覗き込んでくる。


「なんだよ?」

「やはは。見たことない顔」

「どういう顔?」

「んー。怖い顔」

「は? というか、顔近い」

「……ねぇ、何してきたの? 史郎?」


 急に声色が変わった。冷えた声。思わず、身震いをしてしまうような声だ。


「トイレ、だけど」

「やはは。そうだね。変なこと聞いちゃったね」


 いつもの志保に戻る。息が漏れる。多分、安堵のため息だ。どうしてか、焦った。

 護衛対象に気づかれないように護衛は、難しい。と考えながら、結愛のもとへ向かう。

 ちらりと後ろに視線を向ける。……どうやら、本当に偶々ではなく、ついてきているようだ。ゲーセンなんて、好んで来る人ではない。


「あっ、二人とも来ましたか。何やりますか?」

「そうね、これとかどうかしら?」


 一瞬で切り替えた志保が、ゾンビを撃ち殺すシューティングゲームを指して、百円玉を取り出して見せる。

「わかりました」


 ゲームが始まる。

 結愛が手を抜いているのは、後ろから見てすぐにわかった。それともゲーム機に慣れていないだけか。それにしても、狙いが甘い気がする。

 いや、正体を隠すという意味では正しいのか。全部ヘッドショットの女子高生というのは一般的では無いか。

 でも、最初のボスで負けるのは、やり過ぎな気がする。

 はっきり言うなら、結愛の射撃の腕は俺なんかより遥かに上だ。組織全体で見ても、トップを争う。


「……難しいわね」


 悔し気に呻く志保。


「いえ、私も全然当たってなかったので。次は何をしますか?」

「萩野さんのやりたいゲームで良いわよ」

「そうですか……これ、とか。その……」


 結愛が指さしたのは、意外にもプリクラのコーナーだった。


「良いな。二人で撮って来いよ」


 そう言うと、志保がわかりやすくムスッとした。


「こういうのは記念よ。史郎もいなきゃ意味が無い」


 志保と結愛に半ば引きずり込まれるように、プリクラのカーテンの向こうへ。

 二人に挟まれる形で立つことになり、逃げ道が塞がれる。

 思ったより広い。証明写真機のような、狭苦しい空間をイメージしていた俺にとって、新鮮な光景に映った。

 そして、ゲーセンで人を襲撃するとして、隠れるならここだなとも。


「先輩、笑ってくださいよ」

「えっ。あっ」


 フラッシュで一瞬視界が白く染まる。この瞬間を狙われたらヤバいなと思った。


「二枚目ではちゃんと笑ってくださいね」


 耳元でそう囁かれ、呑気なものだと軽く肩を小突いた。

 でも確かに、警戒しすぎて、不自然な行動をしすぎるのも、考え物だ。

 二枚目、フラッシュが焚かれる直前、右腕。右にいるのは志保だ。右腕に、ギュッと抱き着かれる感触。


「えっ」

「あっ」


 出来上がった写真は外で加工するらしい。


「へぇ、史郎、変な顔」

「お前はポーズまで変だぞ」

「……そうね」


 誤魔化すように髪を後ろに払う。 

 腕に抱き着くか抱き着かないかの、中途半端な体勢を切り取られた志保と。驚いて間抜け顔を晒している俺。

 一枚目の仏頂面の俺と、どちらが良いのやら。

 気まずくて目を逸らしてしまう。それは、志保も同じようだ。


「二人とも、早くしないと制限時間来ちゃいますよ」


 結愛の呆れ声に我に返る。

 結局、二枚目を選んだ。そして、猫耳を生やされ、明らかに加工だなと思えるくらいに肌が白くされて。

「ふっ、似合わねーな」

 デコレーションを女子に任せてたら、こうなるのは仕方無いか。

 プリクラコーナーを出て、ようやく少しだけ気が抜けた。


「そろそろお昼にしようか」


 志保の言葉に頷く。

 気が抜けると同時に、空腹を感じたから。

 二年のブランクと、後輩の二年の間の成長を感じる。結愛は普通に楽しそうに見えるから。

 前を歩く二人は和やかに会話している。仲良くなれているように見えるから、それは素直に嬉しく思う。


「ったく」

「史郎? 早く行くわよ」

「あぁ」


 慌てて追いかける。そうだな。一度目を閉じて開ければ、そこに広がるのは和やかな休日の風景。学生や、家族連れが、楽し気に歩いている様子。

 立ち止まっていた二人に追いつく。

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