第7話 夜。二人で歩く道。

 志保の家に行く最短ルートを考えながら、その周辺を屋根から屋根へ飛び移りながら探す。

 気づかれたらすぐに通報だろうか。まぁいいや。今は急いでるし。


「あっ、いた」


 気づかれないように、少し離れたところに着地。したはずなのに。

 不思議だ。志保は。

 着地して歩き出してすぐ、くるりと振り返った。街灯に照らされる顔。その目は真っ直ぐに俺を見ていた。


「やぁ、史郎」


 特に驚いた様子もなく、志保は駆け寄ってきた。


「偶然だね」

「そうだな。何してるんだ?」

「久遠ちゃんの家行ってたんだ。その帰り」


 普通に会話できていることに驚いている。

 でも、足が後ろに少しだけ下がる。逃げ出したい。

 冷たくなりそうな言葉を飲み込んで、当たり障りのない言葉を絞り出す。


「送ってくよ。折角会ったんだし」

「えー。大丈夫だよ。と言いたいけど、お願いしようかな」


 そう言いながら、志保は俺の胸元に鞄を押し付けた。受け取る。相変わらず軽い鞄だ。

 渡された鞄をちらりと見る。頭を振る。疑問を持たないようにする。

 両腕が自由になったのを強調するように、志保はグッと伸びをした。志保のスタイルの良さが強調されたのに気づいて、眼を逸らす。まじまじと見るのは罪悪感が勝る。

 二人で歩く。スマホが震えた。ワン切り。結愛か。

 結愛の尾行に気づいている様子は無い。護衛が尾行、おかしな話だ。

 でも、そうだ。無闇に怖がらせることは無い。俺と結愛はもう、頭までどっぷりと浸かってしまった世界。でもそれは、本来触れなくて良い世界。知らなくて良い世界。

 だからこそ、結愛には友達として志保に接して欲しい。

 志保と仲良くなるのは難しい。けど、志保と過ごす時間は、確かに楽しかったから。


「それくらい、望んで良いよな」

「何が?」

「なんでもない」

「史郎が何望んでるかわからないけど、望んで良いよな、なんて誰に確認取っているの?」

「誰にって……」

「望むも望まないも、自分にしか決められないよ。許可なんて誰も上げられない。駄目だ、なんて誰にも言えないんだから」


 誰も許可できなくて、誰も禁止できない、か。


「えっ、黙り込まないでよ。らしくないこと言ったことは自覚してるんだから」

「いや、むしろ志保らしいとは思ったけど」

「そ、そうかな? やはは」


 それに、俺は納得した。確かにそうだと。でも同時に思った。

 俺は、また間違えているのではないかと。

 曇った夜空。頼りになるのは街灯だけ。

 聞こえるのは、二人分の足音。後ろに結愛の気配はするけど。それでも、確かに二人だけと言って良い空間だった。


「なぁ、志保」

「ん?」

「なんで、別れ……」


 口元を抑える。あの日、卒業式の日。

 別れを告げた。関係の終わりを告げた志保が振り返ることなく、校門の向こうに消えていく。

 そんな光景が、頭の中をぐちゃぐちゃにかき回す。

 しゃがみ込みそうになるのを堪えて。吐きそうになったものを飲み込んで。

 心配そうに覗き込んでくる志保の顔が見えた。 

 情けない。でも、情けないなりに。追いかけてきた分の、収穫は、得なければ、ならない。


「あの、さ」

「うん」

「ゴールデンウィーク、暇か?」

「暇だったら?」

「出かけないか? 結愛がさ、君と出かけたがってるんだ」

「やはは、もう名前呼びって、仲良くなったんだ」


 あぁ、そっか。志保は俺の仕事も、結愛との関係も知らなかったな。


「まぁ、うん。結構人懐っこい奴だったよ」

「んー。まぁ、良いかな。私もいつまでも、今のままではいられないから」

「どういう意味だよ」

「覚悟を決めきれていなかった、ってことだよ」

「高校に進むだけなのに、大げさな」


 でも確かに、人と仲良くすることが得意ではないの志保にとって、環境が変わるのは大変か。

 自分の見た目が良いことを、志保は理解している。それ故に、人が寄ってくることも。

 志保の目が、一瞬、悲し気に見えた。でもそれはすぐに消え、いつもの志保になる。


「史郎と、萩野ちゃん。久遠ちゃんは誘う?」

「いや、良い。今回は」


 別の目的がある。奏を巻き込みたくない。


「そか。じゃあ、またね」


 気がつけば、志保の家の前。ご令嬢様と知った今見ると、違和感がある。本当に普通の一軒家じゃないか。

 でも、当時から思っていたことは、しっかり防犯してるなぁということで。その感覚は納得とともに肯定された。

 俺の手から鞄をひったくると。手を振って家の中に消えていく。あの日々と、同じように。




 私が史郎君の仕事を知ったのは。朝方に帰ってきた彼と出くわしたのがきっかけだ。

 史郎君は朝が弱い。だから、いつも起こして、準備を急かすんだ。

 彼の起きる時間より少し早い時間に行って、朝ご飯を作るんだ。

 当時の私は、親があまり家にいないことを良いことに、好き勝手やってると思っていた。そんな歪んだ根性叩き直してやる、って思ってた。今思えば、親の代わりに甘やかしているようなものだけど。

 でも、彼の目はとても鋭かった。

 いつもは気怠そうに、眠そうにしている目が、一睨みで誰もが委縮してしまいそうな、そんな目をしていた。


「史郎君? こんな時間に何してるの?」

「えっ? 奏? あー。ランニングだよ」


 いつも通りの史郎君だ。さっきまでの彼が、まるで別人だったかのように。幼馴染が目の前に立っていた。


「ランニング? 似合わない事するね」 


 すぐに嘘だとわかった。証明するための根拠は無いけど。

 次の日の朝。いつもより早い時間に行って、家探しした。

 でも。問い詰める材料に使えそうなものは見つからなかった。

 仕方がないから、私は毎晩、史郎君の家の入り口を、部屋の窓から見張るようにした。

 そして見た。

 彼が家から出て行くのを。夜中と言って良い時間。十一時。別の言い方で二十三時。


「ねぇ、史郎君」

「ん?」


 次の日の朝。私は早速聞いた。


「昨日の夜。どこに行ってたの? 私見たよ。出て行くの」

「……あー」


 史郎君は首を掻いて片目を瞑る。


「えっと。コンビニ行ってた」

「朝方の三時まで? わざわざ帰りは裏口から入って?」

「んぐっ」


 頭を抑えながら、唸り始める。もう一押しだ。


「教えて欲しいな」

「あぁ、まぁ、いや、けど。でも。奏に隠し事は、したくないな。嘘も吐きたくない。」


 そう言っていたのに。

 目が覚めた。目覚ましが鳴る三分前。


「嘘つき」


 抱き枕にそんなこと言っても、意味は無いけど。

 今日からゴールデンウィーク。休みの日は、起こしにいかない。

 でも、正直、今は史郎君から目を離したくない。

 枕元に置いてある眼鏡をかける。


「よし」


 花音と音葉の朝食を用意して、それから隣に行く準備。

 朝起きるのは苦痛じゃない。妹たちの世話をするのも、慣れた。

 むしろ、最近は、少し楽しい。

 楽しい、か。史郎君に少し、ほんの少しだけ寄りかかってもらえて、楽しい。嬉しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る