第5話 転校生とクラスメイト。

 「萩野結愛です。よろしくお願いします」


 そんな自己紹介が朝の教室で行われた。

 俺に一度だけ見せた、制服スタイル。パーカーを羽織り、眼鏡をかけ、俯き加減に話すその姿は、控えめで大人しそうな印象をクラスに与えた。見事なまでの擬態である。

 あとは小説でも読ませておけば、クラスの隅に小さな居場所を作ることが可能だろう。

 しかし、本当、中学の頃の奏を思い出すな……。

 入学して一週間。来週にはゴールデンウィークに入るこの時期。人間関係も固まりつつある。

 部活動は入らないことを選んだ。志保が本当に狙われていると発覚した以上、放課後の時間はなるべく自由にしておきたい。どうせ志保は帰宅部だ。

 迫る中間試験も補習なんて馬鹿な事態にならないようにしなければならない。

 ……はぁ。やることが多い。

 俺の個人の感情とか言っていられない。危機が迫っている人間を守る。当然のこと。

 顔をあげると、奏と目が合った。逸らされると思ったけど、そのまま見つめ合う形になる。


「何見てるんだ? 奏」

「別に」


 奏はジトっとした視線をそのまま結愛に移して。そして、ため息を一つ吐いた。


「ねぇ、史郎君」

「なんだ?」

「私を誤魔化せるなんて、思ってないよね?」


 修羅場はそれなりに潜ってきたが。背筋を冷たい汗が流れた。





 昼休み。奏がくるりとこちらを向いて弁当を広げた。


「狭いのだが」

「良いじゃん。机持ち上げるの手間だし」

「お前、友達は?」

「誰と食べるかくらい、自分で決めるよ」

「一番大切な時期だと思うけどねぇ」

「と言っている史郎君、一人で食べようとしていたよね」

「俺は別に良い」


 今はそんなことよりも大切なことがある。下手に人間関係を広げて、時間を取られるわけにもいかない。

 ちらりと結愛の方を見る。コンビニの袋片手に、所在なさげに立っていた。

 この間までは黙っていれば給食が出てきて、机四つを合わせるだけの生活だったからな。戸惑うのも無理はない。


「なんだよ、奏」

「ふーん。そっか」


 奏がヒョイと自分の机を俺の机と合わせて立ち上がる。


「萩野さん、一緒に食べない?」

「い、良いのですか? ありがとう、ございます」


 あの人懐っこい賑やかな結愛とは思えない、おどおどした態度。

 見事な演技力だなぁと思う。俺を見て一瞬ホッとした顔を見せたのは見逃そう。


「萩野さんって、どこ中だったの?」

「県外です。引っ越してきました」

「ふぅん。なんで?」

「親の仕事の都合ですね。それでこうして遅れたわけでして」

「親御さんの職業は?」

「えっと、普通の営業マンですよ」


 完全に疑ってかかっている奏の質問攻め、ここで断ち切った方が良さそうだな。


「おっ、今日も美味いな。ありがとう。奏」

「本当? ありがとう」

「卵焼きとか最高だよ」


 普段はわざわざ言わない。誉め言葉は言い過ぎるとお世辞に聞こえる、というのが俺の持論だからだ。けれど、何だろう。奏の表情見る限り、今後はもっと積極的に言っても大丈夫なのではと思えてきた。

 ちまちまとコンビニのサンドイッチを食べる結愛の目は、じーっと俺の弁当に注がれていた。




 俺は学校生活において、毎回悩むことが二つある。

 まず一つ。学校の体育でどれくらい手を抜くか、だ。

 組織できっちり訓練を受けると、それこそ、毎日体を動かす運動部の人たちより、身体能力は上になる。むしろ、一般人より動けなきゃ、あんな仕事やっていられないのだが。

 サッカーとかで、うっかり本気でタックルすれば、怪我をさせかねない。

 これは気を抜かずに手を抜き続けれれば良いのだが。

さて。もう一つ。

 男女別れての行動。周りの会話に耳を傾ければ、会話にも人間関係にも、入り込む余地何てもう残っていないのがわかる。

 こういう時に悩むこと。

 ペアが必要になる、が、相手がいないことだ。

 男女混合ならなぁ……結愛か奏、かな。その辺りと組みたいな。必死になって手を抜かなくても良い。


「九重君、調子はどうだい?」


 トンと肩を叩かれ、振り返る。

線の細い体形。整った目鼻立ちからは、どこか知的な雰囲気も感じる。しかし、話しかけづらい雰囲気というわけではない。多分、モテるタイプだ。確か、名前は……。


「霧島恭也か。ちなみにペアはいない」

「おっ、覚えていてくれたか」


 護衛をするんだ。自分の身の回りの情報くらい頭に入れなくては。既に一年生の顔と名前は一致させた。


「じゃあ、僕と組もう。君とは話してみたい、と思っていた」

「話?」

「あぁ。君はいつも女の子としか話してないから」

「話せる奴が女子しかいないの間違いだな」

「ほぅ。じゃあ、君に良いことを教えてあげよう」


 そう言って、指を三本立てた。


「一つはクラスの女子の中で。お前が二股男だと。それに飽き足らず、昨日転校してきた萩野さんにも早速手を出そうとしていると」

「馬鹿馬鹿しい」


 俺の昼食の席は毎日修羅場だと思われているのか。


「もう一つは男子。お前は女たらしだと」

「一点目と大して変わってないじゃん。とりあえず、俺が早速クラス内で白い目で見られ、順調に嫌われているのはわかったよ」

「三つめは、山に埋めるか川に埋めるかが冗談半分で話されている」

「川に埋めるって何だよ。川底に埋める気か?」

「間違えた、海だった」

「埋めるのは変わらないのか」


 くだらね。そんなことを言うために話しかけたのか。

 そういえば、こいつ、確かクラスでも結構運動部に所属する、イケイケなメンツともよく話してる奴だ。からかいに来たんだな、そうだな。

 だがここで、事を荒立てて目立つのは得策ではない。大人しくしておこう。


「ところで知ってるか? クラス親睦会があるって」

「もうやったんじゃないのか?」

「あぁ、やったよ。入学式の後。萩野さんは勿論。君や朝倉さん、久遠さん、来てなかったね。クラスの半分くらい来なかったわけだが」


 なんだ、奏、結局行かなかったのか。奏ならそうしてもおかしくは無いけど、いい加減、そろそろ良いと思うのだが。姉の責任感って奴かね。


「んで、男子たちで君らも呼びたいという話があったわけで」

「あ? なんで?」

「そりゃあね。君の周りにいる子たちのこと、思い出してみて」


 と、霧島が言ったところで、自分の出番。反復横跳びか。


「じゃあ、頑張って」

「あぁ。頼んだ」


 合図に合わせて動き出す。リズミカルな足音が響く。

 思えば俺は、本気を出そうと思って出せるような、できた人間ではなかった。

 例えば任務とか、そういうのじゃないと。集中しきれない。

 だから結果的に、それなりに優秀程度の成績で収まった。


「なぁ霧島よ」

「なんだい?」

「さっきの話だ。その親睦会とやらには、俺を踏み台に奏や志保に近づこう、って奴らがいる、そういう理解で良いか?」

「あぁ。その通りだよ」

「……それを教えてどうするつもりだ? その情報で俺の機嫌を取って、自分だけお近づきになろうとか?」

「そんな警戒しなさんな。僕は単純に、気に食わないだけさ」

「何が?」

「やり方が。気に入らない」


 そこで霧島の出番。

 運動部に所属するだけあって、それなりの結果だ。


「仲良くなりたいなら、直接話しかければ良いじゃないか」


 戻って来た彼は、心底呆れた様子でそう言った。

 ハンドボール投げの待ち時間。話の続き。


「仲良くなりたいからとりあえず話しかける。そんなことできたら苦労しねぇよ。それに、その理屈だと、君は俺と仲良くなりたいことになる」

「察しが良いね。その通りだよ」 


 転がって来たハンドボールをポンと投げてくる。投げ返す。


「僕は君の友人になりたくて声をかけた」

「は?」

「ん? おかしなことを言ったかい?」

「おかしなことは言ってないが、理解し難いことは言った。俺の友人? なんでそんなものになりたいんだよ」

「僕はね、君に興味があるんだ。君の何が人を引き寄せるか」

「意味深なことばかり言いやがって、中二病か」

「そう言われたことはある」


 ニヤリと、霧島は唇の端を吊り上げた。

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