第2話 襲撃、再会の後輩。
思い返すは春休みのこと。俺が、失恋のショックで自室にこもって過ごしていた時のこと。
「史郎君。明日から、また起こしに来るから。そのつもりでね!」
そう言いながら部屋に入って来た奏の様子に、俺はただ驚き、首を縦に振ることしかできなかった。
昨日まで、黒髪三つ編み、眼鏡をかけていた子が、急に眼鏡を外して髪を切って、茶髪に染めていたら、誰だって驚く。それが、小さい頃から交流のある幼馴染なら猶更だ。
それから、ある時は普通に優しく。ある時は、特に、説明会とか、制服の受け取りの日とか、入学に関連する重要な日には、妹引き連れ部屋の前でどんちゃん騒ぎして起こしに来た。
思えば、俺があの仕事をして、とある出来事から部屋にこもった時も、奏は励まして、普通の生活を送れるようにしてくれた。
「……奏がいなかったら、志保とも付き合えなかったよなぁ」
出かける時のコースとか、服装とか、細かくアドバイスをくれた。
ちらりと奏の家を見上げて、その隣の家。俺の家に入る。
「……ん?」
自分の部屋が、朝とは様子が違った。
読み散らかした本は本棚に整然と並び、取り込んでそのままだった服はタンスに片付けられ、机の上もデスクトップパソコンは、埃も被らずきれいだ。
……奏か? 入学式の時間までに掃除したとか……?
「いや、違うな」
俺以外の誰かが入ったらわかるように仕掛けたものはそのままだった。
この違和感は……なんて考えながら、部屋を見回す。どこで感じた違和感だ。……あぁ。
鞄を床に下ろして。椅子に座る。それはそうと、少し疲れたな。と思いながら目を閉じた。
けれど。体はちゃんと反応した。
クローゼットから飛び出してきた小さな人影。首元に向けて突き出されるナイフ。
大丈夫。俺は冷静だ。
次の動作、数秒先の未来はちゃんと見えている。下がって避けたところに、もう一度、突き出してくる。その右手首を掴む。力は俺の方が上。
腹に拳を一発入れて、そのまま背負い投げ。関節を極めて取り押さえる。
「目的は……お前、結愛?」
「覚えていてくれましたか。二年ぶりですね。あなたの後輩にして相棒、萩野結愛です」
取り押さえられながらも、嬉しさを爆発させたような声。
体を解放する。でも、油断はしない。
あの組織の人間なら、一般的な家なら普通に侵入できるし、俺一人を囲んで取り押さえて、どっかの海に沈めるくらいできる。
いや、決して犯罪組織ではない。というか、そういう組織を取り締まるための組織ではあるが、それでも、何かしらの制裁を下される可能性はある。
心当たりは無いが、変な疑いをかけられていないとも限らない。
目の前に立ち上がる少女は、幼い顔立ち、眩しいまでの白い肌。黒い髪を二本にまとめている。記憶の中にある姿そのままだ。
任務用の黒い、動きやすさを重視された作業着を思わせる制服。脱げて落ちた黒いマリンキャップを被り直す。
「史郎先輩。警戒しないでくださいよ」
「そう言われてしない奴が今までいたか?」
「そうですね。その通りです。でも先輩。これから襲撃しようという人間が、ターゲットの部屋、掃除しますか? 警戒してくださいって言っているようなものですよ」
「だろうな。本の並べ方、奏がやったものじゃないってすぐにわかったし」
奏は作者ごとにまとめるが。今の本棚の並びは、ジャンルごとにまとめられている。
そこで掃除したのは別の人物という可能性に行きついた。
そして、もう一つ。
結愛に見えるように紙片を摘まみ上げる。扉に挟んでいたものだ。開ければ当然落ちる。
「あとは、俺以外の誰かが入ったらわかるようにした仕掛けを、ご丁寧に戻すとしたら、組織の人間か、またはそれに準ずる存在が入ったと、示しているようなものだしな」
「どこの新世界の神かよ。なんて思いましたけどね」
「シャー芯とドアノブまではやってねぇよ。んで、休職中の俺をわざわざ訪ねて、何の用だ」
「簡単なことです。先輩に復帰を個人的にお願いしに来ました」
「……話だけ聞こう」
俺の知っている萩野結愛は、必要の無いことはしない。個人的な感傷で来るような奴じゃない。だから、それだけ切羽詰まっていることなのかもしれない。
場所をリビングに移す。
カップを目の前で用意し、紅茶を同じポットから注ぎ、まず自分から飲む。
「そこまでしなくても、先輩の事、信用してますよ」
「二年前に組織を抜けた奴を信用するとか、特務分室の人間としてどうなんだ?」
「組織の人として、ではなく。先輩を、人として信用してますよ。私がコーヒーより紅茶が好きだって覚えていてくれた先輩を」
「そもそも、二年ブランクある奴を頼るとか、その組織大丈夫か?」
「そのわりに、私の奇襲、あっさり取り押さえましたよね。私、二年でかなり腕を上げたはずなのですけど」
「そもそもお前、後方支援専門だろ」
「元々入った時、基礎訓練はしましたし。志願してさらに訓練して、前線も多少はできるようになったんですよ」
そうか。変わったな、知らない間に。
俺のバディとして、施設などに侵入する際、防犯システムを掌握、一時的に無力化し、その間に俺が侵入、目的を果たす。なんてことをしていた。
今は裏警察と呼ばれているし組織名として採用している。元々は民間警察リバーシクリーニングとして、警察よりも迅速に、柔軟に、手が届きにくいところまで、を目標とした組織。今は表向きは弁護士事務所だ。
捜査方法として法律的にはアウトなこと、施設への潜入や犯罪者のパソコンへのハッキングなどで、犯罪を計画段階で、違法な取引とか、テロとか、汚職とか、そういうのを察知して潰すことが主な仕事の一つ。後は個人の、事件性が出てないので警察では動けません、という部分も介入していく。
決して公にはできない立場だが、賛同する人たちからの後押しと寄付金。それと成果が出てるから、警察にも協力するから許されてる存在。正義の味方だ、なんて誇りをもって所属していた頃が懐かしい。
カップを傾け、唇を湿らせる。
「俺なんかの力が必要になるほどカツカツって、どんな状況だ?」
「まぁ、簡単に言えば、先輩に無関係な話では無い、ということですね」
居住まいを正す結愛に。意識が切り替わる。背筋が伸びる。この感覚、久しぶりだな。
「朝倉志保さん。先輩の元カノさん、あの子、ヤバいですよ」
「ヤバいって、なんだよ」
「そうですねぇ。端的に言うと、狙われています」
「狙われている? どういうことだ?」
「これを確認してください。聞き終わったら」
「わかっている」
耳にイヤホンを突っ込んで再生ボタンを押すと、音声データが再生される。
「……なるほどな」
手元の端末を確認すると、データが削除されている。相変わらず徹底しているな。
「つまり、護衛につけと」
「その通りです。ちなみに、私も一緒です。が、少し入学手続きが遅れまして、来週からになります。なので、まずは先輩にお願いしたいと」
となると、さっき感じた視線は、護衛をしていた結愛のもの、ってところか。
「ん? お前、確か、今年で……中三、だよな」
「えぇ。まぁ、そこら辺の偽造は出来ますし。勉強に関しては問題ありません。目を付けられない程度の点数は取れます」
「そうか」
でも、俺は。
「俺は」
「普通の日常が。普通の生活が。まともな生き方がしたい。ですか?」
「……あぁ」
それは、俺がいつだったかに、結愛に告げた事。それが、別れの言葉になった。
俺が望むべきでないこと。でも。俺にそれを望んでくれた人がいる。
今俺は、その人を、裏切りたくはない。
「無理は言いません。でも、警戒だけは、していてください」
それから、結愛が帰って。
部屋のクローゼット。その上の棚。一番奥。
厳重に封した段ボールを開ける。
「……必要、だよな」
黒いトランクケース。中身は、まぁ、物騒なものだ。
大体の武器は組織に返したが。室長……直属の上司が、俺に押し付けた物がある。
『君の親のことを考えると、組織を離れても、君自身が狙われることもあるだろう』と。
「持って行った方が、良いよな」
俺に正しさを振るう権利は、もう無いかもしれない。でも。
誰かを守る。その権利が、まだ残っているのなら。
それができる力だけは、あるはずだから。
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