失恋から始まる守りたい人が多い高校生活。

神無桂花

第1話 失恋の春は止まらずに歩き出す。

 入学式はあっさりと終わった。高校に入って初のホームルームだ。

 無難に自己紹介して、座り直す。自分の列の一番前の少女に目が奪われる。

 あいつなら、『「あ」から始まる苗字の宿命だよ』って言うんだろうな。

 長い髪も、触れたら壊れしまいそうな細い体も。何も変わっていない。変わったのは制服だけ。

 どこか緊張感漂う教室。その空気感に耐え切れず、窓の外に目を向けた。

 ボーっと雲の流れを眺める。話は聞こえる。制服や体育着の盗難事件があったので気を付けること、とか。校内でのスマホの使用ルールとか。

 ピシっと額を指で弾かれた。

 椅子ごと振り返った目の前の席の、まだ見慣れない姿をした幼馴染は、悪戯っぽく笑う。


「史郎君。ホームルーム終わったよ」

「友達作りに行けよ。新入生代表」


 こちらにちらちら向いてる視線は、入試点数第一位という栄光にあやかりたい、お近づきになりたいという人のものだ。

 セミロングの茶髪。小動物染みた幼さが残る顔立ち。ちらりと後ろ、教室の前方を見て、穏やかな笑みを浮かべる。


「同じクラスだね」

「わざわざ言うことじゃないだろ」

「違うよ。私じゃなくて」


 奏が目を向けた先には、もう席の持ち主はいなかった。

 あまり積極的に誰かと交流するタイプじゃなかったな。


「……また話しかけたりできるかな」

「頑張れば?」

「……まぁ、その通りだが」


 声の温度が少し下がってビビった。奏を怒らせるのは、普通に怖い。……なんで怒りかけた?


「じゃあ、俺は帰るよ」

「私も帰るよ」


 鞄を担いで立ち上がると、奏も鞄を持ち上げた。頭一つ小さい位置から向けられる視線は、一緒に帰ろうと言っている。


「あ、あの。久遠奏さんで良いんだよね」

「ん? 何かな? えっと、奈良崎さん」


 女の子から呼び止められ、奏が立ち止まり、俺も何となく振り返る。奏よりも背が低い、大人しそうな子だ。しかし、もう名前覚えたのか。


「今から親睦会開くんだけど、久遠さんと、そっちの、えっと」

「九重史郎君だよ」

「九重君……うん。二人は来る?」

「いや、俺は行くところあるから」

「えっ、あっ」

「行けよ。奏」

「でも……」


 奏が迷っている間にさっさと歩き出す。勿論、寄る所なんてない。

 少し急ぎ足だ。及び腰の急ぎ足。追いついたとして、俺は、どうしたら良いかわからない。

 保護者に連れられて帰る人達の間をすり抜ける。

入学式は奏の両親に一緒に乗せてきてもらったが、忙しい人たちだ、入学式を見届けてもう仕事に行っている。

 春の匂いがした。嫌いな匂いだ。

 受験を受けるために来た時は気配すらなかった、新入生を祝うアーチのように並ぶ桜が、やけに眩しく見えた。

 駅に向かうための道から見えるグラウンドでは、先輩方が部活に勤しんでいる。

 そんな俺の前に人影が見える。思わず立ち止まった。

 でもその人は、何かを感じたのか、振り返る。

 目が合った。ぱちりと瞬きしたのが見えた。綺麗、美しい。そんなありきたりな言葉しか出てこない。

 少し強く吹いた風。雪の代わりに、桜が舞った。


「あっ」


 澄んだ声が聞こえた。


「やぁ、史郎」

「……志保。帰りか?」

「勿論」


 ふんわりと柔らかい笑みを浮かべる志保。

 ちゃんと声が出せたことに安心しながら、その横を、通り過ぎる。志保は当たり前のようにその横に並ぶ。

 追いつけるとは思っていた。けれど、話かける自信が無かった。

 漏れたため息は、安堵の感情が込められていた。


「やはは。ひと月ぶりだね」

「そうだな。そっちのキャラなんだな」

「史郎に取り繕ったところでねー。……うん、まぁ、気まずいよねぇ」

「お前が言うか」

「やはは」


 少し前までは当たり前の光景。痛みを感じる思い出も、客観的に見れば綺麗なもの。


「クラスメイトだね」


 志保の顔を見れば、あべこべの感情が心を割く。

 朝倉志保。卒業式の日に別れた。俺の元カノ。別れを切り出したのは、志保だ。

 クラス名簿にその名前を見つけた時、俺は、どんな感情を抱けば良いか、わからなかった。


「また一番前だよ」

「あぁ」

「ねぇ、史郎。相変わらず髪ボサボサなんだね」

「悪いか?」


 志保は、回り込むように俺の前に出て振り返る。

 長い髪が揺れる。風が吹いてたなびく。


「勿体ない」

「どうでも良い」

「そか」


 覗き込むような眼が俺の眼を捕える。

 スッと顔を寄せて、頬に手が伸びる。俺は知っている。志保の手は、冷たくて、すべすべで。肌荒れなんてものを知らなくて。

 もう少しで触れる。慣れ親しんだ感触が、もうすぐ。

無意識のうちに、その手を掴んだ。


「あ……」


志保の手の感触は、変わっていなかった。その手を引いて、俺の後ろに立たせる。

手が離れる。息を整え、集中力を高める。景色が、ゆっくりとしたものに変わる。落ちていた木の枝。短いけど、小学生がチャンバラに使うのには十分な長さだ。左手に掴む。

見上げた先、白球がこちらに向けて飛んでくる。


「しっ」


 鋭く息を吐いて、木の枝を振り上げた。当然折れたけど、こちらにむけて飛んできた野球ボールの威力を殺すのには十分な威力だ。ふわりと少し浮き上がったボールをキャッチする。

 この程度、俺がやって来た仕事を思えば、簡単な部類だ。


「あ、ありがと」


 その声に振り返ると、志保が、はにかんだように笑っていた。


「怪我は?」

「無いよ。守ってくれたから」


 その笑顔は、舞い散る桜の中で、きらめいて見えた。

 ……本当に、きれいだと思う。


「す、すいませーん」


 走って来た野球部員の人にボールを投げ渡して、歩き出す。


「野球部入る?」

「入らない」

「名バッターになれそうだけど」

「興味ないよ」


 俺は、先月まで、志保とどんな風に話していたのだろう。

 俺は今、志保と自然に話せているのだろうか。


「また、友達になれると良いね」


 顔を伏せた。

 戻れるかもしれない。そんな、薄い希望が砕けた気がしたから。

 それなのに。気まずくなる、そう思ったのに。沈黙は、穏やかで、苦しくなくて。あの時と変わらない、心地の良い沈黙で。


「……ん?」

「? どうかした? 史郎」

「いや……」


 こちらをじっと見る視線を感じたのだが。敵意は感じなかったが、つけられているような。


「なんでもない」

「ん。それじゃあ、行こうか。あっ、史郎、荷物持ってー」

「ん? あ、あぁ」


 志保が差し出して来たスクール鞄。それを受け取る。俺はリュックを選んだから、両手は自由だ。大して重くない。殆ど荷物入っていないようだ。


「電車通学、少し憧れてた」


 電車に乗ると、後ろ手を組んで、扉に寄りかかり、窓の外に目を向ける。


「憧れるようなものか?」

「なんか楽しそうじゃない?」

「……わからないでもない」

「やはは。流石史郎、わかってくれる」


 意味もなく、わけもなく、何となく楽しそうだから、憧れてしまう。高校生何て、そんなものだろう。

 電車を降りて、駅を出る。まだ、日は少し高い時間。この時間の駅は空いている。


「それじゃ、また明日。あっ、鞄、ちょーだい」

「あぁ」


 手を振って歩いていく姿を見送った。きれいだな。

 もし、まだ付き合っていたら。自然な流れで、彼女を家まで送って行ったのだろうか。

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